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開催終了【180304_AM】80年代文化研究ゼミ(私の感情―ブレードランナーと心脳問題―)

コミュ内全体

詳細

2017年12月11日 08:31 更新

■企画について
80年代と言えば、オタク、バブルカルチャーの一部が取り沙汰され、80年代は高度経済成長からの転落、異常な時代だったという先入観が多くあります。一方、近年はリバイバルとして、音楽、アイドルの振り返りも頻繁に特集が組まれており、ノスタルジーの対象として捉えられる様相が増えているように感じます。
このイベントでは、
こうした断片的な評価に対して、80年代に起こった事象を点ではなく、その後につながる線としてとして捉え直したいと考えています。今後洋楽、邦楽、アートシーン、文学、社会現象と数回連続で開催します。


第3回の今回は、
「私の感情―ブレードランナーと心脳問題―」
というタイトルで実施します。

1982年公開の『ブレードランナー』は、未来世界の描写が秀逸な作品というだけでなく、自分が入れ替え可能な存在なのではないか?等、存在不安について扱った映画とも見ることが出来る作品でした。
これは時代背景とも整合しており、80年代という時代は消費社会化により大衆消費材が世の中に行き渡る過程で、物的価値に対しての記号的価値が重視されるようになった時代でした。そういった意味で、80年代はあらゆる人間が横並びになった時代で、人との差異がどこにあるのかを探索していた時代であるとも言えます。
この探索の中でキーワードとなった言葉は、「感性」という言葉でした。英語ではSenseとする部分かと思いますが、当時の用語では「感情」の要素も含んだ言葉でした。では、この個人と他者を隔てる最後の壁となった「感性」とは一体何なのでしょうか?

この会では過去、第1回は都市文化としての東京、第2回は「ダサい」という概念を取り扱いました。この過程は、都市文化やメディアを内在化した個人は、何以て自己を自己として認識するのか?という70、80年代以来の再帰的近代の議論に通じるものです。前回はキーワードとして、時代の感性に対する違和感としての「ダサい」という概念が個人を表現する上で重要なのかもしれないというアプローチを試みました。
今回は、時代への違和感の感覚、感性そのものをどう捉えるべきかという疑問にチャレンジしたいと考えています。
実はかなり前から、再帰的近代の議論と心脳問題を接続したいと考えており、感情とは何か?を繰り返し考えてきました。また幸いにしてフィクションも含め、こうした問題を考えるためのコンテンツが世の中に揃ってきたので、今回他人との会話を通じて考えをまとめたいというニーズから参加者を募集します。


■課題図書
 ̄撚菷如屮屮譟璽疋薀鵐福(ファイナルカット版)」の鑑賞

▲屮譟璽疋薀鵐福屡禀
〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫)
町山 智浩
http://amzn.asia/59l41he

心脳問題
戸田正直『感情:人を動かしている適応プログラム (コレクション認知科学)』
http://amzn.asia/grBYV2K

魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)
西川アサキ
http://amzn.asia/bQ70kEi

【注意】
課題図書のうち一冊がAmazon上で古書扱いになったので、ご参加される方で本をお持ちでない方は旧版をお買い求めください。
私が参照するのもこちらのバージョンです。

感情―人を動かしている適応プログラム (認知科学選書)
戸田 正直
http://amzn.asia/iLLZd7e


■参考文献
Future Noir Revised & Updated Edition: The Making of Blade Runner
Paul M. Sammon
http://amzn.asia/3D8bvK6

再帰的近代について
Reflexive Modernization: Politics, Tradition and Aesthetics in the Modern Social Order
Ulrich Beck
http://amzn.asia/91GFdyK

Sociology
Anthony Giddens
http://amzn.asia/d1WUqZ0


色々集めた論文(心脳問題中心)
https://drive.google.com/drive/folders/0B7ioD9JarZtVR3FHV2p0VlZRZGc?usp=sharing

コメント(54)

  • [5] mixiユーザー

    2017年10月31日 03:08

    面白そうなので、参加します!

    80年代-再帰的近代化-心脳問題と、ネタが幅広いのでとても濃い会になりそうですね……!

    (自分の理解が間違ってるかもですが)再帰的近代化の話って、ギデンズが『近代とはいかなる時代か?』等で、「みんなは近代とは別の時代として現代をポストモダンと呼ぶけど、そうじゃなくて、近代の特徴である再帰性を更に深めたのが現代なんだ!」と主張したところが発端という認識なんですが、ポストモダン的なものの最たるものだとされがちな80年代日本をあえて再帰的近代として捉えよう、みたいなそういう意図がある感じでしょうか??

    あと、風の噂にいまデネットにご興味があると伺ったのですが、まさにこの心脳問題への関心からというところでしょうか。自分も『解明される意識』はずっと興味があるものの、手が出ないままだったりします汗
  • [6] mixiユーザー

    2017年10月31日 03:12

    あ、それと、現時点では全く未定ですが、奇数月の二週目日曜には、最近では駒井組が入りがちだったりします。

    近ごろはフィロソフィアも奇数月にやってるので、定例会ない日を探す方が大変な感じですが、念のために小耳に……。
  • [7] mixiユーザー

    2017年10月31日 10:06

    >>[5]
    そういう部分に気付いて頂けるとこうした試みをやっている意味があります。
    ご指摘の通り、再帰的近代の議論は70年代以降の社会を”ポスト”モダンではなく、モダニティの再帰性、つまり近代を再帰的、連続的な現象として捉える考え方です。その上で一般としてポストモダン論=消費社会論と大きく融合した結果、ギデンズまたはベックは「再帰的近代」または「後期近代」の議論において消費社会が人間に与えた影響について殆ど議論していません。
    ベックの「再帰的近代」論の特徴は、近代以前の集団的アイデンティティに対しての個人が個人としてアイデンティティを確立すること(個人化)を軸としています。一方で、ボードリヤールの消費社会論の議論は、個人に先行し、「差異の体系」、「差異化の構造化理論」があることを前提としています。喩えるならボードリヤールの議論は、個人が自律的に振る舞うのではなく、これが「個人的に振る舞うということだ」という前提を共有する社会像を示したものです。この意味で、本来のボードリヤールの議論において、消費者の主体性は否定されます。
    80年代以降の消費社会論においては、ブランド礼賛や「ブームに踊らされる」など受動態の表現が用いられてます。しかし本当に現代において、個人はメディア空間の中での受動的な存在なのでしょうか?
    過去のこの会の議論において、(伝わらない部分もあったかと思うのですが)取り扱いたかったのは、消費社会論を乗り越える空間を読み替える作用、時代の感性に違和感を持つ作用です。今回は、もっと根本的な「個人」が寄って立っていたもの、感情、感性について取り扱おうという次第です。
    ここに心の問題が出てきます。私たちは環境の中で擬態をするようにファッションをしているのか?それとも好きで服を選んでいるのか?私が感じるのは、環境からの刺激と脳の物理現象なのか、ではそれを統合的に認識しているのは「誰」なのか?という問いがあります。数年前から深層学習をやるようになり、この問いについて考えるようになったのですが、今回人と話してみたいと考えた次第です。


    あと、開催日について有難うございます。
    1月は私も忙しいので、2月にスライドしたいと思います。
  • [8] mixiユーザー

    2017年10月31日 10:24

    >>[5]
    デネットの『解明される意識』、5〜6年前に読了しました。600ページ2段組の膨大な書物を読んで「結局あまり解明されてないじゃん!」という読後感が…という思いもありつつ、デネットの主論としては「意識とは脳の中に小人がいて、それがメインコンピュータとして機能しているのではなく、分散型コンピュータとして並列型に機能している」というような旨だったと思います。詳しくはウィキペディアに「カルデジアン劇場」という記事で纏められているので、それを読めば自分の解説よりわかりやすいかと思います。
    この手の本では最近、デヴィッド・イーグルマンの『意識は傍観者である』がハヤカワ文庫落ちしたので、入手難度を考えてこれを副読本にしてもいいかもしれませんね。自分が未読なんで読みたいだけですが…
  • [10] mixiユーザー

    2017年10月31日 14:32

    >>[8]
    『意識は傍観者である』は自由意志の問題にフォーカスがあり、どちらかと言えば、責任能力や個人の主体性、制度設計についての議論が多くを占めていたと記憶をしています。脳科学ならなんでもいいわけではなく、取り扱いたいのは感情ですね。
    あと分子生物学と神経科学を経ていない意識の議論は、人の数ほどに学説があるので、空中戦になりがちです。デネットの説も、彼自身が認めていますが、「蓋然性が高い」というだけですので・・・。

    正直に言うと、私の家にはニューラルネットワーク絡みの数学書と論文が山のようにあるのですが、猫町では意識とは”そういうもの”ではないというスタンスでやっています。議論にならないこともさることながら、文系には文系の能力があると感じるからです。 このため〜の本を読んだ、読んでないレベルではなく、読んだものを個々人の中で編集し、集約していく形にしていきたいと思っています。

    この分野は、本気でやりたい場合は、
    Principles of Neural Science, Fifth Edition (Principles of Neural Science (Kandel))
    Eric Kandel
    http://amzn.asia/dG8e4li
    などを読むのがいい訳ですが、これでは形にならないので、ブレードランナーとかの枠組みで考えようとしている次第です。
  • [11] mixiユーザー

    2017年10月31日 22:40

    >>[7] なるほど、それでギデンズではなくベックだったんですね! 自分の中では個人化と差異化は対立構図にないイメージですが、そこらへんを含めて当日は語る感じですね。面白そうです!
  • [12] mixiユーザー

    2017年10月31日 22:43

    >>[8] え、解明されないのか……。自分の中でも、意識とは、他者とのコミュニケーションの中で生まれた、個人に主体性を持たせるための想定、という感覚なので、まあそうなんやろかなという感じです……。
  • [16] mixiユーザー

    2017年11月01日 08:01

    >>[15]
    色即是空 空即是色は対をなす概念ですので、お書き頂いたゝ甸囘に入れ替え可能な存在であること、感性や存在が掛け替えのないものであること、が「次元が異なる」とされている部分がよく分かりませんでした。 ↓△倭破僂貌匹瓩仟侘する現象と読めるため、次元は同じなのではないでしょうか?
    敢えて、色即是空云々の部分を除いて、書いて頂いたことを解釈するなら、△糧生により、,成立しないという状況が続いて考えられる筈です。つまり、主観的には満たされている状態でも、システム的には入れ替え可能という状況です。これはまあ単純に今の社会であり、人類史では宗教などが果たしてきた役割なのかと思います。
  • [17] mixiユーザー

    2017年11月01日 12:49

    ついていけるか少し心配ですが、好きなテーマですし、哲学的なことをSFを切り口にして考えるのも好きなので、参加したいと思います!
  • [20] mixiユーザー

    2017年11月01日 13:38

    >>[18]
    ああ分かりました。最初の投稿では「自分の感性や存在がかけがえのないものであること」とされている箇所が、2つ目の投稿では「主観的な体験のかけがえのなさ」とされています。この2つの箇所は区別する必要があるものだと思います。
    私の経験は私自身ではなく、経験という事象を私が経験していると考えた場合、私自身の中でのかけがえのない「ある経験」というものが成立します。逆にこの場合、「かけがえのない経験をしている私は、かけがいのない存在である」と論理的に導けるでしょうか?これは因果が逆転しています。ある存在であるため、ある経験をしているということは言葉の上の論理として成立しますが、逆に経験をしていることだけでは存在の証明にはならないからです。
    もう一つ、投稿の中では、等価になることによる価値の棄損が問題になっているかと思います。これも経験の価値の棄損なのか、私の価値の棄損なのかを、区別した方が良い必要があるのかと思います。上記のロジックでは、私の価値が等価になっても、”私の”経験の価値は棄損しません。
    ただ、人間なので気持ちの上では落ち込むとか、価値に確証が持てなくなるよね、的な話は同意します。
  • [21] mixiユーザー

    2017年11月01日 13:51

    >>[17]
    ありがとうございます。
    各参加者のバックグラウンド故のバラツキを減らすため、今回の話題についてはコンポーネント毎に読んでおくと分かりやすい論文などは整理して提供しようと思います。
  • [22] mixiユーザー

    2017年11月03日 13:59

    とても興味があるテーマです。
    ぜひ参加させてください!
  • [23] mixiユーザー

    2017年11月07日 17:33

    >>[22]さん
    宜しくお願いします。
  • [24] mixiユーザー

    2017年12月02日 01:08

    全体スケジュールを受け、日程を変更します。
    申し訳ありませんんが、ご予定の確認をお願い致します。
  • [25] mixiユーザー

    2017年12月02日 01:18

    >>[24] 2/11(日)大丈夫です!
  • [26] mixiユーザー

    2017年12月04日 17:03

    >>[24] すみません。11日の三連休はすでに旅行の予定が入っておりまして・・・。残念ですがキャンセルしますね。
  • [27] mixiユーザー

    2017年12月04日 17:40

    11日AMは参加できないのでキャンセルします…。

    3月のマンガの方、人集まるといいですねぇ(3月11日だと駒井組と被るかもなのですが(^^;)。
  • [28] mixiユーザー

    2017年12月04日 18:36

    お世話になります。
    本勉強会の開催スケジュールについてご相談をしたく存じます。
    お手数ですがリンクから、ご出席可能な候補日を選択頂けないでしょうか。
    https://chouseisan.com/s?h=071e5c329aa24da3a7502264c8440c53

    どうぞ宜しくお願い致します。
  • [29] mixiユーザー

    2017年12月10日 23:08

    艶月堂さん、皆さんこんばんは。
    東京シネマテーブルの「ブレードランナー2049 」で、艶月堂さんとご一緒した時にこの分科会のことを教えてもらい、ぜひ参加したい!と思ったところ、2月3日がたまたま仕事できびしく、どうしようかなと思っていました。いま拝見したら、リスケジュールされるようなので、自分も調整さんに記入させていただきます。^_^
  • [30] mixiユーザー

    2017年12月11日 08:40

    >>[29]
    ありがとうございます。
    最近PoCで動画像からの音声認識と感情抽出をやっていたので、2049的な話もできるかと思います。

    >>皆様
    ご回答ありがとうございました。
    民主主義により、開催日を3月4日に決定します。

    加えて、今回は課題本があって無いようなものなので、
    ・こういう論点も取り扱って欲しい
    ・解説して欲しい
    等がありましたらどうぞ。
  • [31] mixiユーザー

    2017年12月11日 08:45

    >>[30] すみません、入力してませんでしたが、3/4だいじょーぶです!
  • [32] mixiユーザー

    2017年12月11日 13:16

    >>[31]
    Danke schön!
  • [33] mixiユーザー

    2017年12月14日 00:42

    >>[30]

    動画像からの音声認識と感情抽出ですか。まさにブレードランナー的ですね。最新の状況をお伺いできるのを楽しみにしています(^ ^)

    再帰的近代化といえば、少し概念を援用させてもらうと82年のオリジナル・ブレードランナーに対するそれが今回の「2049」であったように思います。

    mixiのシネマテーブルの「2049」のトピックでも少し触れましたが、続編であると同時にオリジナルのリファインを行っているところに、この作品のユニークさがあるように思えます。

    ここ十数年間、音楽やファッションにおいては80年代リバイバルというよりは、80年代に生み出されたマテリアルそのものを近代化するような状況が進行してきたと思うのですが、その意味で、ブレードランナーの新作が公開されると聞いたときに、個人的にすごく腑に落ちた記憶があります(そして作品を観たときに大納得^ ^しました )。

    その意味で、80年代的な「感性」を扱うのであれば、最初に艶月堂さんの「見立て」をしっかり伺ったうえで、関連性があると思える事象について1978年くらいから2017年末くらいまでを参照しながら、中心にブレードランナー2作品を置くと、皆さんからいろいろなお話を聞けそうな気がしていますが、そうすると「80年代縛り」感がなくなってしまいますし、当初の目的と異なってしまうかもしれませんね^_^

    そう、80年代縛りで対話するとしたら、ロジャー・ペンローズさんの「皇帝の新しい心」が1989年刊行のようなのですが(日本語訳は94年)、量子力学と意識、心について話しだすと、それこそ空中戦になってしまいますでしょうかね。。僕は数学的センスがないので、あくまで文学的想像で話すようになってしまうでしょうし。

    この前の「2049」のシネマテーブルの時には、時間切れになってしまったのですが、実は艶月堂さんとお話した時には、実はブレラン話として量子力学とニューラルネットワーク、心について質問するチャンスをうかがっていたものですから、機会があればぜひお願いしたいです(量子脳についての基本的な問題であろう時間的・空間的スケールについては少し甘めに見積もっていただいて^_^)。
  • [34] mixiユーザー

    2017年12月14日 23:56

    再び参加します!
  • [35] mixiユーザー

    2017年12月15日 00:27

    たぶん大丈夫です。
  • [37] mixiユーザー

    2017年12月15日 14:53

    >>[33]
    特に80年代縛りの意味が無いのでその辺は置いておきまして、
    >再帰的近代化といえば、少し概念を援用させてもらうと82年のオリジナル・ブレードランナーに対するそれが今回の「2049」であったように思います。
    とされていることがよく分かりませんでした。作品そのものが再帰的近代である、という言葉の意味です。
    まず、おさらいとして「再帰的近代」(化)とは、ベック的な定義に従えば、産業社会の変動が、その諸前提と輪郭を解体し、もう一つ別のモダニティへの道を切り開くという、モダニティの徹底化とされています。
    大前提として、オリジナルのブレードランナーは非常に再帰的近代的な作品であると私は考えています。
    オリジナルのブレードランナーは、煌びやかな未来イメージに対しての「もう一つの未来」を描いていた作品です。従来のSFによって描かれていた近代化された未来都市に対して、オリジナルのブレードランナーはLos Angelesにアジア的要素が入り込んだ新しい都市の未来像を提示しました。アジア的要素をカオスなものとして扱うことで、合理化された近代化に対し、”リアルな”モダニティのイメージが提示されています。
    また、登場人物のキャラクターの葛藤も再帰的近代という状況と個人との関係を示す好例となっています。それは、合理性への疑問と自己内省化というテーマです。デッカードは殺人を”処分”と表現するような合理的なレプリカント狩りに疑問を持っており、生きる目的を失っています。彼は劇中ロイ・バッティとの闘いを通じて自分の人生を取り戻します。近代以前に還ることで、生の実感を取り戻したのです。こうした形式を取る映画は非常に多く、例えばデビット・フィンチャー「ファイトクラブ」などもその一つでしょう。
    このほかにも、人間とレプリカントとの間での境界をめぐる議論は、従来的な意味での自然と人工物との間の線を脱構築するような展開であり、別の近代化のイメージを提示しています。ただ、これ自体はポストモダン的なとりオリジナルのブレードランナーにおい
    ては、デッカードの逃走という形で処理をされており、脱政治的立場を取りがちなポストモダン的思考故の限界も表していると感じます。
    上記的な意味で、私は、オリジナルのブレードランナーについて再帰的近代をイメージするのに良い例ではないかと感じます。

    さて、では2049とオリジナルの関係を何らかの近代化として捉えることが出来るのかという問題です。そもそも作品のブラッシュアップというのは、「近代化」なのでしょうか。
    脱構築的要素においては、上記の文脈に対応し、今回素朴に革命というキーワードが出てきます。しかし、これは政治的には前時代的な要素であるように思えます。
    2049がオリジナルのブラッシュアップというのは理解できます。ただ、これを再帰的近代そのものとされた部分についてもう少し説明が欲しいという印象です。
  • [39] mixiユーザー

    2017年12月15日 17:42

    >>[37]

    コメントありがとうございます^_^

    82年のオリジナル・ブレードランナーは煌びやかな未来イメージに対しての「もう一つの未来」を描いていた作品であり、リアルなモダニティのイメージが提示されている、としたうえで、それゆえに再帰的近代"的"な作品であることはおっしゃる通りだと思います。

    その意味において、80年代的な「感性」について考える、ということが今回の研究会の主要なテーマのひとつであり、心脳問題との接続も試みたい、という見取り図でよろしかったですよね。

    ご質問をいただいたので、ここは素直に自分の考えを述べたいと思うのですが、課題図書にある町山さんの本の説を採用すれば、リドリー・スコット監督版のブレードランナーは、「デュエリスト」+舞台としてのゴッサムシティなんです。

    なにせ、原作読んでつくっていないから、原作にある「共感」や「存在不安」については映画の中で具体的にはほとんど叙述されていないと思います。それがあるように感じられるのは受け手の問題であって、テクスト(台本やダイアローグという意味ではなく、映画をテクストとして読む、という意味において)としてのオリジナル・ブレードランナーには書かれていないのではないかと思えます。

    例えば、原作の「電気羊」を読んでいれば、デッカードの心情を勝手に補完したり、誤読することは可能です。あるいは、ルドガー・ハウアーの有名な台詞に関して言えば、葛藤を抱えている人にとっては物語やその叙述の中で台詞が本来持っている以上の意味合いを帯びてしまうこともあり得るでしょう。

    例えば、82年のオリジナルを観ただけだと、デッカードが死にたがっているとは本当は分からないはずなんです。鬱っぽいデッカードがビルの屋上で死の恐怖にさらされ、現在を生きることができるようになり、レイチェルと逃避行する前提となるはずの心情は語られません。理由は明白で、映画におけるレイチェルは、ノワール映画におけるファム・ファタールという役割を与えられているからです。町山さんの本によれば、監督と脚本原案のファンチャーにとって、デッカードとレイチェルが逃避行を試みることは必然だったのだと思います。

    ヴィルヌーヴ監督は、そのために、2049の終盤で、デッカードに「なんで死なせてくれなかったんだ」という台詞を用意しました。レイチェルと別れて以来、再び生きる意味を失ったデッカードは逃避行の中で遅延された死を待っていました。レプリカントなどではなく、誇り高い人間としてのデッカード≒ハリソン・フォード様はむざむざとはやられない。慎重に身を隠し、トラップを仕掛けてラスベガスで待っていました。しかし、それは無意識によるエクスキューズのようなものでした。Kとの格闘はそのことを如実に語っています。怪力のKに人間のデッカードが素手の殴り合いで勝てるはずがない。あそこで死んでも良いと思っていたはずです。その理由を探していたのですから。

    80年代における時代の感性、としての存在不安がどのようなものであったかは置いておいて、82年のオリジナルの作品の主題としての存在不安は弱いです。レプリカントであるレイチェルが不安を抱くのは当然で、人間としてのデッカードがレプリカントに共感を抱くようになり、遂には自分の存在が揺らぐ、という原作の骨子があるからこそ、存在不安というテーマ(実際は、ディックの抱えている不安ということですが)がクローズアップされると思います。映画だと、ルドガー・ハウアーにデッカードが殺されそうになるとか、サスペンス的な不安しか観客は本来は感じることができないはずなんです。そこから先は、受け手の内面の問題というか。本作においては、その意味においてはじめて「内省」という言葉がクローズアップされると思います。

    作品が作者の思惑を超えて、意図しない意味合いを帯びることもありますし、どのような読み方をするのも自由だと思いますが、それをやってしまうと研究としてはちょっともったいないというか。

    要約すると、前近代的な「デュエル」の映画であったリドリー・スコット版を、「ブレードランナー」という映画が本来持つべき、内面世界におけるリアルを提示したのが2049であった、というのが僕の見立てです。

    ヴィルヌーヴ監督はそれを「誤読」であるとして映画の中で謙遜しましたが、僕はそれを支持したいというか、共感しました。それは先に述べたとおり、ユースカルチャーにおいて80年代的なマテリアルの再帰的近代化が進行している現在において、映画「ブレードランナー」について考えてみる、というのはとてもクールであり、有効なアイデアであると思ったからです。

    とりあえずそんな感じですかね。。
  • [40] mixiユーザー

    2017年12月15日 17:54

    長々とスミマセン。

    要は、オリジナルと2049をセットで参照したほうが、心脳問題へのアクセスが容易になるのではないか、という下心なんです。自分の一番の興味がそこなので^_^

    ただ、現状でも「再帰的近代」や「80年代感性」についてそれなりにお話できることはあるかと思いますし、そこから心脳問題への接続については、僕自身はノーアイデアなので、艶月堂さんの見立てをお伺いするのを楽しみにしております^ - ^
  • [41] mixiユーザー

    2017年12月16日 08:21

    >>[39]
    オリジナルが存在不安を扱っていないという主張は、過度に2049の分かりやすさを前提にした乱暴な主張なのではないでしょうか。
    主張内で整合が取れていないように読める部分があり、
    「例えば、82年のオリジナルを観ただけだと、デッカードが死にたがっているとは本当は分からないはずなんです。鬱っぽいデッカードがビルの屋上で死の恐怖にさらされ、現在を生きることができるようになり、レイチェルと逃避行する前提となるはずの心情は語られません。理由は明白で、映画におけるレイチェルは、ノワール映画におけるファム・ファタールという役割を与えられているからです。町山さんの本によれば、監督と脚本原案のファンチャーにとって、デッカードとレイチェルが逃避行を試みることは必然だったのだと思います。」
    とされている部分について、記号的役割を問題にされています。決闘もfemme fataleとの逃走もそうしたドラマという見立てです。ただ問題は鬱っぽいのは何故なのかという視点なのではないでしょうか。この点について映画製作過程と喋っている台詞のみを証拠として、単純に何の背景もない鬱という役割と考えるのは曲解なのではないでしょうか。
  • [42] mixiユーザー

    2017年12月16日 11:09

    >>[41]

    ?^_^

    82年のオリジナルには、存在不安がない、とは書いていないのですが、誤解させるような箇所がありましたでしょうかね。。先の投稿でも述べましたが、82年のリドリー・スコット版でもレイチェルたちレプリカントの存在不安は描かれていましたよね。

    一方で、映画の物語の構造、叙述、登場人物の役割と機能、台詞から考えると、「電気羊」の物語が持っていた存在不安や共感というテーマがばっさりと落とされてしまっていて、かなり弱められてしまっているのは町山さんの本を引くまでもなく、言ってみれば衆知のとおりであると思います。

    鬱っぽい、というのは僕の「印象」で、あの文章では形容詞的に使っている訳ですが、たしかに文章の内容からすると艶月堂さんのご質問がでるのは理解できます。

    とくにそこにはこだわっていないというか、この場合はミスリードになってしまうと思うので、前の投稿の文章からは「鬱っぽい」という言葉は削除していただいて、「鬱っぽいデッカード」というところはたんに「デッカード」としていただけますと幸いです^_^
  • [43] mixiユーザー

    2017年12月16日 12:04

    >>[42]
    いや単純に存在不安についてデッカードとレイチェル、人間とレプリカントを対比させ、片や存在不安がない、あるとする発想が本当によく分かりません。
    まず些末な部分でリドリースコットは脚本段階からデッカードはレプリカントであるとしており、ファイナルカット関連のバージョンもそうした意図に基づいています。これは映画の背景に関する前提です。
    そしてそれ以上にオリジナルのブレードランナーのテーマは、単に人工物であるレプリカントが人間になる話ではなく、人間らしく生きることが設定や出自とは無関係であるという部分にあります。反転すれば、人間らしく生きていないキャラクターが、人間らしく生きるというストーリーです。この為、自分は人間らしく生きていないという不安が作品の重要な出発点と考えられます。
    一応付け加えますが、私が言っている存在不安は、ディックのテーマそのものに限定していません。
  • [44] mixiユーザー

    2017年12月16日 12:27

    >>[43]

    ディックにこだわる必要は必ずしもないですが、82年のオリジナルのみをテクストとして使用して、存在不安について扱う場合の、基本的な諸問題をここまで明らかにしてきたつもりです。

    艶月堂さんの投稿に、「こういう論点も取り扱って欲しい 」というリクエストがあれば受け付ける、とありましたので、多少書いてみたところですが、まずは艶月堂さんの今回の「見立て」が明らかになるまでお待ちしていたほうが良いのかもしれませんね^_^

    いずれにしろ、楽しみにしております。
  • [45] mixiユーザー

    2017年12月16日 14:45

    >>[44]
    最初の投稿から話が進んでおらず、要するに
    オリジナルを文学的に補完した作品が続編の2049であり、それを扱え。逆にオリジナルを文学的に解釈するのはテクスト論的に問題って話ですよね。
    で、私の投稿は、
    ・オリジナルと2049の関係って何でしょうか?
    ・オリジナルは解釈以前にそもそも文学的作品なのでは?
    という点についての確認です。文学的に云々は存在的不安が問題になっています。
    確認とは、私の見立てと全く無関係に、貴方の解釈についての説明をして欲しいだけなんですが。
  • [46] mixiユーザー

    2017年12月16日 16:36

    >>[45]

    うーん、ここまでの投稿ならびに課題図書を踏まえた僕の「見立て」ならびに投稿のスタンスについては、すでに述べたとおりですので、あとはご覧いただくしかないかと思います。

    また、今回の投稿に見られる「文学的に〜」というお話については、正直なところ、ちょっとラフで文意が取りづらく、現状ではお答えの仕様が分かりかねる印象です。

    気にさわったならごめんなさいね。
    トピ主というか、今回の企画者は艶月堂さんなので、まずは艶月堂さんの「見立て」を伺ってからのほうが効率が良いし、効果的な役割が果たせるかと思いました。

    今回の企画とは関係なく、僕の話を聞きたいということであれば検討しますが、ここにふさわしいかどうかは、現状を踏まえると、良く分からないというのが正直なところです。

  • [48] mixiユーザー

    2017年12月16日 21:58

    >>[46]
    気分を損ねる以前に、話が噛み合っていない訳でありまして…

    opato3さんの話では82年のオリジナルについて、デッカードの存在的不安を問題にするのはテキスト論的に問題があると。何故ならそんなことは「劇中の台詞」で言ってないから!!
    この部分は2049の誤読によって初めて文学的に解釈可能になった、というスタンスですよね。
    これで違うと言われると上で書いていることが逆に何なのでしょうということになりますね。

    私がお話で違和感があるのは、上記の部分で、元々オリジナルはそういう話なんじゃないでしょうかという話をしています。オリジナルが扱っているテーマが存在不安だという話ですね。
    あと2049がオリジナルに対して再帰的近代だってされている部分もよく分かりません。
  • [49] mixiユーザー

    2017年12月18日 16:34

    >>[48]

    数日置いて、ここまでの流れを検証してみたのですが、僕としてはこれ以上お話することはないかと思いました(今回は、僕が何かお教えするという場でもないかと思います)。

    また、現状では僕自身の関心分野である心脳問題にはアクセスできないと判断せざるを得ないと思います。

    個人的には、かみ合う、合わない以前の別の問題があるように感じていますが、いずれにしましてもこれ以上はどなたにとってもメリットはないと思いますので、今回の参加はいったん見合わせたいと思います。

    皆さん、お騒がせいたしまして大変失礼いたしました。m(._.)m
  • [50] mixiユーザー

    2017年12月18日 18:49

    >>[49]
    ええ!?
    いや、失礼な物言いで申し訳ありません。
    単純に何を書かれたかったのか確認がしたい訳でありまして・・・

    建設的な方向として、ペンローズも是非扱いたい訳ですが、
    物理と数学の両方が必要になるので、生物学以上に厳しいと感じていました。
    本自体は邦訳されていないものも含めて結構読んでいると思います。
  • [51] mixiユーザー

    2018年02月09日 01:08

    申し訳ない。諸般の事情でキャンセルさせていただきますm(__)m
  • [52] mixiユーザー

    2018年02月25日 22:04

    こちらって開催でいいんでしたっけ?
  • [53] mixiユーザー

    2018年02月26日 10:44

    >>[52]
    実施可否について参加者の方に確認を行いました。
    全員から回答は得られていませんが、参加希望がごく僅かであったため、中止としたいと思います。

    アンケート時点ではいらっしゃいませんでしたが、
    仮に書籍など購入されてしまった方がいらっしゃいましたら大変申し訳ありません。
    個人的には日々考えていることなので、適当に呼び出して頂ければ喋ることができます(ウェルカムです)。
  • [54] mixiユーザー

    2018年02月26日 10:49

    >>[53] りょーかいでーす!
mixiユーザー
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