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開催終了不如帰R:弟18話 信長包囲網

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2012年09月11日 23:08 更新

姉川で勝利し、浅井・朝倉連合軍に打撃を与えた信長だったが、その大勝とは裏腹に、状況は暗転し始める。

七月末、岐阜に戻っていた信長の元に、足利将軍より急報が入った。信長に追われて阿波に逃げ戻っていた三好三人衆が、三好康長、篠原長房、十河存保らを徒党に迎えて勢力を回復。この月二十一日、一万三千の大軍をもって摂津中島天満森に布陣した、というのである。三好三人衆は、盟主として管領家嫡流の細川六郎を担ぎ、更に紀伊雑賀衆の頭目・鈴木孫一や、美濃回復を目指す斎藤竜興らをもその軍容に加えていた。

将軍は畿内の守護たちに三人衆追討を呼び掛けたが、合戦に及んだ河内の三好義継、畠山高政らはあっさりと破られ、大和の松永弾正は、信貴山城で三好勢を迎え撃つ構えをとったが、その地盤である大和国人衆に不穏の動きが有り、彼も容易には動けぬ状況に置かれていた。

信長は配下の諸将に出陣を命じると、八月二十日に馬廻の兵三千を率いて岐阜を出立。二十五日には京へ到達し、翌二十六日には天王寺に本陣を置いて、三好三人衆が籠った野田、福島の両砦を包囲する構えを見せる。彼の軍勢は、先に集結していた織田諸将に、三好、松永、和田らの畿内守護、将軍配下の奉行衆などを含め、四万程に達していた。さらに三十日には信長の要請により、将軍・足利義昭が二千の兵を率いて自ら出陣。織田軍の士気はさらに上がった。

大軍の利を活かした織田軍は、攻勢を強めて、じわじわと包囲を狭めていき、籠城する敵を追いつめていった。三人衆側は打つ手なく、敗色濃厚と見て、和睦の使者を送るが、信長はこれを無視。ここで煩い三人衆の息の根を止め、後顧の憂いを断とうという姿勢を見せる。

九月十二日。進退きわまった敵に止めを刺す総攻撃の下知が近いことを感じた織田軍陣中では、部将から足軽まで沸き立っていた。いまこそ手柄を立てる好機である。よき敵を討ち取り、褒美を授かるのだ、と。合戦の手配りを終えると、みな、翌日に備え、英気を養うべく寝についた。

だが、その眠りは、誰もが予想もしなかった形で、破られるのだった。

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