デンマーク出身のFrank'e, Peter CandyそしてIan Ion は90年代前半に一緒に働き始めた。ファーストシングル Where's The Party Recordsと Peter Candyの Outloud Recordsをリリースした後、 Koxboxは DJ Sven Väthのレーベル、Harthouse と契約した。 ファーストアルバム Forever Afterは幅広く知れ渡り、 Koxboxの知名度をかなり上げることになった。この成功で Koxboxは生の音を試すため、ライブを行う事を決め、Flukeと一緒にデンマークの The Blitzでライブデビューをした。1997年、 Koxboxはロンドンのエレクトロニカレーベル、 Blueroom Releasedと契約し、11月にはアルバム Dragon Talesをリリースした。 このアルバムについてDave Fowlerは雑誌Muzikで大絶賛している。 Koxbox として Juno Reactorと Slinky Wizardのリミックスを出した同じ年、 Frank'e and Ianは T.I.P.Recordsから Psychopodの名前で成功したシングルをリリースした。Koxboxにとって98年は転換期で、世界中を回ってエキサイティングなギグを終え、99 年夏、彼らはニューアルバム The Great Unknownを完成させた。ミレニアムを迎え最も売れたサイトランスのアルバムの一つとなり、 Koxboxは世界中でギグをし、トランスシーンをリードしていった。続く12インチCDM “A Major Problem in Australia”ではいろいろなリミックスでプログレッシブの新境地を開拓していく。 The Great Unknownで成功をおさめた後、 Frank’e とIanは新しく Psychopod プロジェクトを始めた。 T.I.P. Recordsとの契約が終わると彼らは“サウンドブレーカー”というオリジナルのコンセプトは保ったままクラブ向きに方向性を変え、名前も Saiko-podとした。“Saiko”日本語で“最高”という意味を持ったこのユニットは2001年には Koxbox とはまた違った新しいスタイルのコンピレーションでいくつものトラックをリリースし始める。2002年の始めには Saiko-podとしてのファーストアルバム, “Phutures and Options”を完成させ、スウェーデンの Spiral Trax , 日本のSolstice Music そしてメキシコのSound Sorceryと販売契約を結んだことにより、世界中の聴者たちが地元のレコードショップやダンスフロアで彼らのトラックに出会える事を可能にした。 Phuturesと Optionsを終えている間、 Frank'eと Ianは彼らの地元コペンハーゲンに新しいスタジオを造り始め、そして74分間の知的なトランス、ダウンビートが Koxboxらしいパンチの効いた革新的な音を造り出した。Psychopodのリリースに続くのは、皆が絶対に楽しめる多くのギグとリミックス、そしてその先はこれから歴史に刻まれる。。。今回は、まだ日本で一回もプレイされていないアルバムのリリースパーティーとなる。