mixiユーザー(id:2616666)

2018年05月16日10:43

311 view

合法的不正義の究極とは

■野党、働き方法案の撤回要求=誤データ2割、与党譲らず
(時事通信社 - 05月15日 21:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5112140

悪法が次々と制定されていく状況を景気の良さだけで満足し黙認していると、茹でガエルよろしく、いつの間にか取り返しのつかない抑圧社会に生きることを余儀なくされる。

先の参考人質疑を終えてみてハッキリ分かったのは、安倍政権お得意の「合法的不正義」の存在だった。誰の目にも明らかな首相の私的友人への不公平な優遇が、決定的な証拠を作らない形で進められ、まんまと逃げ切ったということだ。

問題は、有権者としてこの問題をどう捉えるかである。不正の決定的証拠が出なかったことをもって、安倍政権は公正適切な行政運営を行っていると考えるのか。それとも、これは悪代官が上手く逃げ切っただけであって、本質的には国家を私物化し、国民の財産を自分の取り巻きに分配する政権だと評価するのか。

私は圧倒的に後者の逃げ切り悪代官と評価する。そしてこの政権がもたらす最悪の腐敗は、ほかならぬ国民・有権者の側に発生するものと思っている。

結局、最高権力者がこのように「法律の枠内で」悪事をなすようだと、最高権力者に擦り寄ることに独特の旨みが出てきて、国民がそのおこぼれに預からんと権力者の前に列をなすようになるのだ。そうして国家財産は権力者とその支持者という一部の人間たちに消尽され、インチキを嫌って正直に暮らす生活者は困窮する。

比較的最近の例でこういった腐敗国家化したところで思いつくのは、北朝鮮あるいはチャウシェスク時代のルーマニアだろうか。

既存の法律は、まだしも権力者側がその抜け穴を探さねばならない建て付けになっているかもしれないが、安倍政権が長期化し、安倍一党に都合のいい法律が制定され続ければ、もはや法を犯す可能性を恐れる必要すら無くなっていくだろう。そうなった時、本当の意味での「合法的不正義」が完成する。

人類が経験した合法的不正義の究極は、おそらくナチスによるユダヤ人虐殺であろう。ハンナ・アーレントはこの点について、次のように言う。

「問題なのは、全体主義体制、とくにヒトラー体制の最後の数年間は、この犯罪的でない命令にこそ、非合法という明確な刻印が押されていたということです。(中略)第三帝国における殺戮の新しさは、それが合法的な秩序の枠組みで実行されたこと、この「新しい法律」の要が、「汝殺すべし」という命令にあったこと、しかも敵ではなく、危険をもたらす可能性もない人々を、何らかの必要性のためではなく、反対にすべての軍事的な配慮やその他の功利的な配慮に反してまでも、殺害することにあったことであり、この事実を認識することが道徳的な考察において重要な意味を持つのです。」『責任と判断』より

ヒトラー体制の最後の数年間は、現代の我々の法感覚からすれば明らかに非合法な、ユダヤ人殺害が合法とされていた。そしてそれに反する命令、つまり「ユダヤ人を殺すな」という命令には「非合法」の烙印が押されていた。

その結果は、「こうした殺戮行為は、無法者、怪物、狂乱したサディストが実行したのではなく、尊敬すべき社会で、もっとも尊敬されていた人々が手を下したのです」(『責任と判断』より)という倒錯した悲劇であった。

我々はいつまでこうした「ナチスの手口」に学ぼう(麻生副総理の弁)とする政権を延命させるのだろうか。気がつけば我々は、安倍一党が「汝殺すべし」と命じた相手、「しかも敵ではなく、危険をもたらす可能性もない人々を」殺すことまで要求される社会に生きることになるかもしれない。

10 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年05月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031