(今回は久しぶりに、「パソコン画面」向けに、
改行を多めに使用して書きました)
★あるマイミクさんが、
普段はパソコンから打っている 「日記」 を、
今回 試しにケータイから入力してみたところ、
『ものすごく疲れました。 推敲もできないし』
という感想を持たれたそうです。
自分も深く納得し、コメントしたのが、下記の文章です。
(2つのコメントを結合し、
第三者にも分かるように最低限の補足をしてありますが)
僕は、
昨今の日本人の脊髄反射な言動の原因の1つに、
『ケータイ・スマホの小さな画面に慣れてしまったこと』
があると考えています
それが暴論かどうか、
まずは下記コメントをご一読ください。
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(ここから) ---------------------------------
★
「画面が小さいせいで 推敲する気が失せる」 …
「長文を読む気力が 持続しない」 …
僕も全く同感です
ケータイ・スマホの小さい画面は、
パソコンに比べて はるかに表示範囲が狭いので、
広い範囲へ目配りするさいの障害になります。
キッチリとした長文で発言する者にとっては、
投稿をする気を無くさせますし、
逆に、普段から物事を深く考えず、
短文ばかりを吐き捨てている連中にとっては、
その危ない性質を より助長するツールになってしまっている…
と考えています
昨今の日本人が、脊髄反射だったり、
頭が悪くなってきていたりする原因の1つとして、
間違いなく 『ケータイ・スマホの普及』 がある と、
自分は断言します。
(もちろん、日本人の短絡化の最大の原因は、
『長期的なストレスによる、大脳新皮質の機能低下』
だとは思いますが…)
★よく、中途半端に文章テクニックをかじった輩が、
『意味というものは、いくらでも短い文章にして伝えられる
』
などと自慢げに語っていますが、
あんなものは 「勘違い」 です
文章が短くなりすぎると、
表現が不明瞭 (いろいろな意味に取れてしまう) になり、
人によって受け取り方が大きく変わってしまいます。
「発信者」 の意図が、曲解されてしまう わけですね
(これは決して、読み手側に読解力が無いとか、
悪意があるとか、そういう意味ではありません。
元の文章が玉虫色であれば、
意味の読み間違いは いくらでも発生するのです)
★
「自分の考えるところを、
可能なかぎり正確に他者に伝達しようとする行為」 が、
文章をはじめとするコミュニケーションの基本 ですから、
そのために 「根拠や説明」 を重ねた結果の長文であれば、
それは 意味がある、
『これ以上 削れない・削ってはいけない 長文』 です
なのに、「長文」 というだけで敬遠され
(パソコンに比べて画面が小さすぎるので)、
長文が、なにかの悪のように疎外されてしまっている
今の 「スマホ・ケータイの情報世界」 は、
非常にイビツな
『コミュニケーションの実態が無に等しい、
無数の個人だけが浮遊している 異常空間』
といえるのではないでしょうか…?
(ここまで) --------------------------------
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★「コミュニケーション」 の本目的は、
『意思の疎通』 です。
なのに、大多数の庶民の使用する機器の
画面の小ささのせいで、
『意思の疎通よりも、文章の短さが評価(?)される』
ようになったとき…
そこに本当に、
コミュニケーションは存在するのでしょうか?
僕は それを考えると、ゾッとするのです。
【終わり】
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●【2018/01/16 追記】
そういえば、書き忘れていましたが、
実は
僕も 昨年10月にスマホデビューし、
当然ネットにも ちょくちょく使用しています。
(SHARP の androidスマホ、『507SH』 です。
ブラウザは Chrome を使用しています)
が、スマホによるインターネットの閲覧が、
パソコンに比べて とんでもなく悪いことに、唖然としています。
特に
mixi の見づらさについては、ショックに近いものがあり、
「なるほど… これではスマホユーザーは、
僕の日記のような長文は絶体に読まんわ…
」
と、mixi で日記を書く気力がガクンと減退してしまいました。
今後は もう、mixi では ごく少数派の 「パソコンユーザー」 のみを対象に
日記を書いていくしかないのかもなぁ… と、
なんとも寂しい気持ちがしています
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