三「戦艦に革命をもたらしたドレッドノート。その設計に準じて作られた戦艦を弩級戦艦
と呼ぶ。列強各国はこぞって弩級戦艦の建造に乗り出した。日本も例外ではない」
金「日本が造った弩級戦艦が河内型戦艦。河内と摂津の2隻デース」
三「ただこの2隻、本当に弩級戦艦と呼ぶのにふさわしいか、という点については意見が
分かれている戦艦でもあるのじゃ」
金「速力のほうは計画上では20ノット。しかし全力試験では21ノット出たそうですか
ら、いちおうドレッドノートと互角と言えますネー」
三「問題は兵装じゃな。30.5cm(50口径)連装砲2基、30.5cm(45口径)連装砲4基、15.2
cm(45口径)単装速射砲10基、12cm(40口径)単装速射砲8基、7.6cm(40口径)単装
速射砲16基、7.6cm(23.5口径)単装高角砲2基、45cm水中魚雷発射管単装5基じゃ」
金「随分と多種類の方を積んでいマース。ドレッドノートとは違いますネー」
三「どうも日本海軍は斉射戦法を理解できなかったようじゃ。日本海軍は砲撃手の猛訓練
によって、砲撃精度を高める属人性の強い戦い方に依存していた。斉射戦法のように
システマティックな戦闘法は軽視してしまう傾向があったな。この傾向は日米戦争ま
でずーっと続いていくことになる」
金「ただこの設計はドイツ海軍初の弩級戦艦ナッサウ級を真似たとも言われていマース」
三「確かにドイツのナッサウ級も、多種の口径の砲を搭載していた艦じゃった。ただしこ
れには理由があって、ドイツはイギリスとの海戦を考慮しており、戦場となるのはバ
ルト海または北海と想定していた。これ等の海域は非常に霧が発生しやすく、視界が
不良になることが多い。なので遠距離戦よりも近距離戦を重視して中小口径の砲をあ
えて多く搭載したという背景がある。そうした明確な理由は河内型には無かった」
金「日本海軍が個々の戦闘員の練度を重視し、それに依存する傾向があったのに対し、ア
メリカ軍は個人の力量に頼らず、システムとエレクトロニクスを駆使した戦い方で、
日本を圧倒しましたネー」
三「この傾向は現在でも、自衛隊と米軍を比較した場合、システマティックな戦い方では
自衛隊は米軍に遠く及ばない、と元自衛隊員の多くが証言しているな」
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