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2013年06月30日16:23

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外伝7 第12章の4

『隻眼の邪法師』〜アルデガン外伝7〜

第12章 修羅の洞窟 その4

 長さの違う足を引きずりながらひたすら洞窟を下ってきた男がついに広けた空洞に出た。壁が失われたことで埋め込まれた赤い宝玉の列が放つ光も失せ、あたりは深い闇に閉ざされた。一瞬、リアはとまどったが、すぐ違和感の正体に思い至った。この目が闇を見通すようになってもう六年余、いつしか自分はそのことに慣れてしまっていたと。そして悟った。見ているのが男の記憶であるがゆえ、自分も闇を見通せぬものとして感じていることを。魔少女の脳裏にかつてアルデガンの洞窟で自分を押し包んだ闇の記憶が甦った。自分を毒した何者かの悪意の蠢きを感じさせずにおかなかった、あの戦慄的な闇のことが。
 その実感が混沌としつつあった自我を取り戻させかけたとき、音が聞こえた。早瀬の音だった。深い闇の向こうに隠れた崖の下から聞こえてくる、岩を噛むばかりの流れの音だった。その音は空洞に響きわたり、滝の音にも似た轟然たる響きを纏っていた。もしも人の身で落ちれば、助からないのは明らかだった。決戦の場にたどりついたのをリアは悟った。

 すると男が向き直った。轟々と響きわたる深き川の響きに背を向け、目をこらし耳をそばだてた。リアもまた耳をそばだてた。闇を見通せぬ目が、轟々たる響きに惑う耳がこれほどもどかしいものだったとは! 瞬間、凄まじい焦りが突き上げてきた。もしこの轟音のせいで、ただ一語でも呪文を聴き落としたら!
 歯噛みしつつ来た道へ数歩戻ったとたん、影が洞窟からゆらぎ出た。逆光に塗りつぶされた顔が、にもかかわらず残忍な喜色を浮かべているであろうことが、いやというほど伝わってきた。

「焦っているのか、哀れなヨハン。恐怖で血迷ったあげく、自ら行き止まりへ逃げ込むとは!」
 こらえきれぬ興奮にうわずった声があざ笑った。その甲高くて耳障りな声が、地底の川が響かせる轟音を縫うように耳へと届いた。これだ! と思った。この声なら、奴の興奮をかきたてれば勝機は掴める! 地面に身を投げ出し呪うべき敵に手を差し伸べた。可能な限り惨めな、哀れっぽい身振りで。ほんの子供でしかなかった、あの遠い日々のように。
「た、助けてくれ。死ぬのはいやだあっ」

 応じた笑い声は甲高い、興奮を抑えられぬものだった。
「嬉しいじゃないかヨハン。まるで初めて会ったときのようだ。若返る思いだよ。この術を言祝ぐのに実にふさわしい!」

 一歩詰め寄った影が、ゆっくりと杖を掲げた。
「その声をもっと聞かせておくれ。なるべくゆっくり唱えてやるよ。その血をじわじわ腐らせてやるよ……」
 望むところだ。来るがいいっ!

 心の中で叫びつつも、耳を押さえ身を震わせて怯えてみせる。全身を文字通り耳にして聞き入りながら、未曾有のものであろう苦痛の襲来に身構えていることを悟られぬように。瞬間、ついに耳に届き始めた未知の呪文。大地に伏せて身を縮め、身じろぎもせず必死に聴き入るその耳に、高まる喜悦に上擦り震えさえする甲高い声が、あたかも毒蛇がとぐろを巻いたことで体表の模様が捻れてより複雑化したかのような長大な呪文を紡ぎゆき、それがついに、ヨハンという偽りの名を呪われた法則に従い変形させた結尾で締めくくられる!
 複雑を極めた呪文を緊張で焼き切れそうな脳髄へと刻みつつ、必殺の衝撃や今かと歯を折れんばかりに食い縛る。だが、待てど暮らせど呪文が発動する様子がない。

 呪文が失敗した? まさか読まれたのかっ 動揺を隠せぬまま見上げたその視線の先で、邪悪の権化さながらの老魔導師が杖に縋った身を折り哄笑する。
「おいおい、なにを構えている? これだけの術がこんなに短い呪文ですむわけがないだろう? 私のような年寄りが一息で唱えきれるものじゃないから、段階を踏んで唱えられるようにしたのだよ。なにも感じなくても、魔力はちゃんと空間に撓められているさ。あと何度か呪文を唱えれば、積み上げられた魔力は一気におまえに襲いかかる。さあ何回目かなヨハン? あと何度でそうなると思う?」

 最悪だ。老いのせいなんかじゃない。こいつは最後の瞬間までいたぶるだけのために、わざわざ分断しても術が発動するように呪文を編み直していたんだ。そのせいで無意味に複雑化しているはずの呪文を、いつ来るか見当もつかぬ死の衝撃に身構えながら覚えなくてはならないとは!
 ではこちらもそのつど唱えるか? ここまでの呪文だけでも。川の音に紛れて唱えれば、奴に気づかれずにすむのでは……?
 だめだ。奴は魔力の変化を感じるかもしれない。気どられたらそれで終わりだ。呪文が発動したのを見届けて奴の気がゆるむ、その一瞬を捉えて一気に唱え切るしか勝機はない!

 そんな思いのさなかに再び蠢き始める邪悪な呪文。猛毒の大蛇に締め上げられつつ格闘するがごとき精神の緊張が積み上がり、不滅の体に閉じこめられた娘の心を石の拳すら上回る圧力で握りつぶそうとする。それが何度繰り返されたかもわからなくなったその瞬間、リアの全身の血が一気に沸騰した!


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