ヒップホップ音楽は、常にコミュニティーに密着した表現であり続けてきた。
なぜ彼らがゴールドのアクセサリーとバギーパンツを身に纏い、薄汚れたゲットー・ライフをラップしなければいけなかったのか。その意味を知るためには、彼らのバックボーンを振り返る必要がある。
そういう意味で、デ・ラ・ソウルがヒップホップを始めた動機は少し特殊だったと言える。
ニューヨーク郊外の中産階級出身だった彼らは、拳銃、麻薬、貧困とは無縁の生活を送っていた。つまり、コミュニティーに属していない彼らは、従来のヒップホップの価値観とは異なる表現を身につける必要があった。
彼らの取った手法は、当時蔓延していたハードコアな空気を明るいラップで一掃すること。そして、インテリならではの豊富なボキャブラリーを用い、サンプリングされた音源でトラックを埋め尽くすことだった。
その結果、デ・ラ・ソウルのデビュー作『3フィート・ハイ&ライジング』は、コラージュ的な技法を駆使した、良い意味でツギハギだらけの作品になった。お馴染みのPファンクに始まり、スティーリー・ダン、ホール&オーツ、ジョニー・キャッシュ、はてはフランスの教材用のテープまでネタにしてしまう奔放さ。いかにも大学生たちがガレージに集まってワイワイと楽しみながらやっている光景が目に浮かぶ。
そんなアマチュアリズムも、本作の魅力の一つだろう。なにより気軽に楽しめるのが良い。
ここまで書いてお気付きの方もいるかと思いますが、本作が日本のヒップホップ・シーンにもたらした功績は計り知れない。言わずもがな、黒人貧民街のような格差コミューンは当時の日本には存在しなかったし、デ・ラ・ソウルのようなナードなメンタリティはことさら身近に感じられたはず。
彼らが現れなかったら、スチャダラパーみたいなアクトは出てこなかっただろうし、おそらくヒップホップが我が国に正当に伝わるまでに、さらに10年単位の時間を要したはず。
日本のみならず、いまやヒップホップは世界の主流の音楽と化している。
だけど本作を聴いていると、それがもともとは寄せ集めのジャンク音楽に過ぎなかったことに気付かされる。そもそも、こんな他人のモノをパクって使い回すようなガラクタ音楽が正統派になっていいわけがない。
ただし、ジャンク音楽だったからこそ、そこには斬新で奇抜な発想が産まれたのも、また事実。『3フィート・ハイ&ライジング』は、本来ヒップホップが持っていたツギハギだらけを笑顔を浮かび上がらせている。
著作権を巡る問題により、現在このようなジャンク音楽は二度とお目に掛かれなくなってしまった。そんな一抹の侘しさも含めて、今だからこそデ・ラ・ソウルを聴いておきたい。原点回帰の一枚。
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