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霊・死後の世界についてコミュの愛の学校 私達の人生は何のためにあるのでしょうか?何を目的にして産まれ、何のために生きているのでしょうか?その答えの一部でもこの本で理解し、愛のある生活を、深い人生をおくれることを願っています。 1.人生は愛の学校 私達の人生は何のためにあるのでしょうか?それを一言で言うなら自分の魂を成長させ、愛のある人間に成長し、その成長を楽しむことにあります。 私達は、あらゆる喜び、怒り、苦しみ、悲しみを、人生の中で経験することになるでしょう。そして、その経験の中で私達人間は愛を成長させていきます。私達は愛を学ぶ学校としてこの地上に産まれました。イエスの言葉に、人を裁くな、そうすれば裁かれないという言葉があります。魂が喜怒哀楽色んな感情を経験すると、相手の気持ちが分かるようになり相手を裁かなくなります。もし、苦しみが無ければ、相手が苦しんでいてもその気持ちがわかるでしょうか?おそらく相手に冷たく接して裁いてしまうことでしょう。しかし、その苦しみを経験し理解する事が出来れば、相手に冷たく接することなく暖かい気持ちで、相手を見ることができます。それが魂の成長なのです。この世で生きている人にはそれぞれ考え方にも違いがあります。しかし、それぞれの考え方を受け入れることによって、人に優しくできます。あなた方が神と呼んでいる存在は無限の受容、無限の愛なのです。あなた方が例え神を信じなくても、人を殺しても、どんなことでも受け入れてくださいます。そして、神に近づく為に私達は日々あらゆる経験を通じて受け入れる事を、裁かないことを学んでいくのです。 例えば仕事場で何でも仕事ができる人には、出来ない人に対して厳しく当たってしまうこともあります。ですが、仕事が出来ない人は出来ない人に対して優しく接することが出来ます。それこそが魂の成長なのです。そして、相手を幸せにしたいという愛の心で接することが出来たとき魂は飛躍的に成長をとげるのです。この世界の人は自分が1番になりたいとか、偉く見れたいとか、傲慢な気持ちがある人が多くいます。しかしあの世に帰った時、名誉やお金は全くの無価値であることに気付く人も多いことでしょう。そのような名誉、お金、財産、などはあの世にまで持ち帰ることは出来ません。あの世でも残り続ける本当の宝は、愛、受容、感謝です。私達は人を受け入れ、どれだけ優しく、思いやりが強く、相手を幸せにしたいという気持ちを持っているかにかかっています。 私達はお金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか、相手を憎んだり、恨んだりする未熟性の欲求と、相手を幸せにしたい、受け入れたい、優しくありたいと思う成熟性の欲求があります。日々の生活を通じて、未熟性の欲求を受け入れ、反省し、成熟を目指して前に進んでいくことで私達は魂の年齢を上げていくのです。 2死後の世界 死後の世界はどうなっているのか、ご説明しましょう。人間は死後、貴方の親しかった親や、守護霊に導かれこの世を去ります。そして、日数は人によって異なりますが、数十日間この世に留まった後、あの世に向かいます。そこで自分の人生を映像を見るかのように見せられ、反省します。その後、自分の魂の成長度合いの相応しい階層【幽界】に行くことになります。利己主義に囚われた魂の成長度合いが低い魂は、低い階層へ、隣人愛を、人を愛し、受け入れた魂の成長度合いが高い魂は高い階層へ行くことになります。魂が高い階層に行けば行くほど、素晴らしく美しい世界に行くようになり、低ければ低いほど、地上に近い世界、鈍い世界に行くことになります。また、成長度合いの高い階層では思うことが何でも実現し、お互いがお互いを愛し合い、周りも美しい光に輝いています。一方低い階層の人々は光も薄く、自分で会社をおこしたり、物質的なな生活を送っている人も沢山います。そして、魂の成長の為に、この地上と環境を選んで沢山の魂の成長度合いが異なる人がいる地上に産まれてきます。また、幽界上層部の人は余りに居心地が良いので、その場に留まろうとするのですが、それを思い正せるのが、向上欲です。魂をもっと成長させたい、そう思った上層部の魂は幽体という霊の身体を捨て、純粋な魂だけになり、霊界に行くことになります。そして、自分の本体の類魂【自分の本体であり、その中の代表が地上に魂の成長の為に来る】に入り、経験と感動を共有します。そして類魂の代表者が魂の成長の為に地上に降りてくるのです。【産まれる際魂の成長の為に顕在意識としての記憶は無くなる】そして魂が成長すると地球を卒業し、あの世で魂を成長させたり、地球を手助けしたりします。そうして、愛と優しさ、受け入れ【受容】を学びながら神に近づいていくのです。 3物質主義と霊的主義 私達人間は物質主義と霊的主義の二つの価値観を持っています。幸せは、物質的に恵まれていたり、お金があったり、名誉を得たり、特定の宗教に属することや、順風満帆な生活をすることだと考えている物質主義な人間と、幸せとは心の中にあり、相手を幸せにしたいという気持ちや、受け入れるという考え方によって得られる物だと考えている霊的主義の人がいます。魂が成長すればするほど、物質主義から霊的主義に変わります。霊的幸せは、物質主義よりはるかに勝るものであり、長く永遠に残ります。この世ではどのような実績を残したか、社会貢献をしたかという物質主義によって世間から評価されますが、あの世ではその動機がどうであったか、どのように考えて行動したかが問われます【霊的主義】。世界平和という物質主義の為に政治家になったり、政治団体を作ったりしている宗教家や、自分だけが特別な存在【再臨のキリスト、再臨の仏陀等】だという宗教家には気をつけなければなりません。預言者は自から正体を明かすことはないからです。それでも、何もしないで利己的な人よりは世界平和の為に行動している方がマシです。イエスは世界平和の為にこの地上に来たのでも、人類の罪の身代わりの為に来たのでもありません。イエス自身も高次元における魂の成長を果たすため【全ての受容、隣人愛、感謝に近づく喜びの為】にこの世に産まれた神霊の一人です。イエスの教えは物質主義の考えが殆どありません。イエスの教えは霊的主義であり、幸せは貴方の心の中にある、相手を幸せにしたいという思い、受け入れる心にこそ本当の幸せがあることを愛を持って弟子に伝えました。そして、その結果弟子に裏切られることも分かっていながら、少しも恨むことなく、神の愛の表現者として十字架にかかったのです。 私達は物事を善、悪で表現しようとし、悪を悪いもの、善を良いものとして考えています。しかし、それは霊的視点から見るときには完全なる間違いです。私達は未熟性と成熟性の両方を持っていますが、私達は、未熟性があるからこそ、霊的に成長する喜びを味わうことが出来るのです。未熟性も神が与えた大切なものです。未熟性があることにも感謝し、受け入れた上で成熟を目指して頑張ることに意味があるのです。 自殺についても、自殺したら永遠の地獄に落ちる、という考えかたの人がいますが、それは全く関係ありません。自殺したという物質主義的な考えよりも霊的視点からどのような理由で自殺に至ったのかが大切になります。例えば電車でひかれそうな人を助ける為に飛び込んで亡くなった人がいます。これもある意味自殺ですが、これは霊的視点から見ると成熟した行為であり、しっかりと素晴らしいあの世に帰っていくのです。また鬱や、人生に苦しんで自殺した人も自分の考えを改めれば、霊的扉は開かれ、また生まれ変わることが出来ます。しかし、自殺は自分の魂の成長を途中でリタイアすることになるので、せっかくの魂の成長を途中放棄することになり、後悔の念に苛まれる事が多いのです。 4因果応報と魂の成長 神の愛の法則の一つに因果応報があります。つまり、相手を苦しめたり、イライラしたり、故意に相手を貶めようとしたり、そのような事を行うとその分、自分が苦しい思いをしたりすることになります。【地上で収まるわけではなく、あの世で償うことがある】ですが決して因果応報は罰ではありません。因果応報の法則は魂を成長させるために存在します。私達は自分の未熟性から過ちを犯します。もし過ち【未熟な気持ち】を犯さないなら、この地上に産まれてきていないでしょう。そして、過ちを犯した後、私達はその過ちを受け入れ、二度と犯さないようになるために、苦しい思いをしたり、大変な思いをすることがあります。しかし、もし過ちを犯した後、反省し、魂が成長したならば、苦しみも、返ってくることはありません。例えば、人に偉そうにしたり、恨んだり、未熟な感情を抱くと、津波ができます。その津波の高さが10mだとします。そして壁【魂の成長度合い】が8mだとすると、津波が来た時に壁を津波がこえてしまいます。しかし心から反省し、魂が成長すると壁の高さが上がり12mになったとします。すると津波は壁をこえられず、被害は起きません。この因果応報の法則の目的は魂の成長の為にあります。魂を成長させ相手を受け入れることができるようになれば、私達はあの世で素晴らしい愛の世界に行くことになるのです。そして神の法則に感謝することでしょう。 5イエスの愛と喜び 地上に高級神霊として降りてきたイエスの霊的言葉【聖書】をご紹介しましょう。 悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。【イエスの愛の教えです】 敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 【イエスの中には自分を敵対視する人にも神の子供であるという気持ちで愛せよという、気持ちがあったのでしょう】 天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。 【神はどんな成熟した人でも、未熟な人でも、平等に愛し受け入れて下さっている】 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受ける事がないであろう。 【自分が良いことをしている、褒められたい、見られたいという傲慢な気持ちを持つのではなく、人の役に立ちたいという気持ちで行ないなさいということ】 天に、宝をたくわえなさい 【地上の名誉、財産、は死後の世界に持ち帰ることは出来ない。人を愛し行ない、受け入れたことは死後の財産として永遠に残る】 人をさばくな、自分が裁かれない為である 【人をこういう人間だから、ダメだとか、そのような気持ちを持つのではなく、愛し受け入れなさいということ】 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 【相手に対して、こんな人間だからなおしなさいと注意する前に、自分が人を愛し受け入れている事が大切。自分が未熟な気持ちを持っているのに相手に注意するなという事。相手を成長させたいという正しい動機の元で相手を注意する成熟した人間は問題ない】 あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか 【人でさえ自分の子供には、良い者を与える、ならば宇宙の親である神はあなたがた人間に最高のものをプレゼントしているであろう【病気、苦しみも含め】】 地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 【イエスは世界平和という外的な目標の為に来たのではなく、イエス自身の愛の成熟の為に、愛の言葉というつるぎを投げ込みに来た】 6異世界と引き寄せの法則 私達人間は時間と言うものをどのように受け止めているでしょうか?私達には時間は過去から、現在、未来に動いているように見えるでしょう。実はこの当たり前と思うような話は実は幻想なのです。実は私達は、無限の宇宙を意識でワープしているのです。例えば私が大金持ちになった場合をAとします。貧乏になった私をBとします。今の私は普通のサラリーマンだとして、AとBは既に存在していて、AとBどちらを選択するかを意識で選んでいるのです。あらゆる現実は既に存在していて、その世界を意識で選んでいます。つまり世界が混乱状態の世界も、平和な世界も存在しているのです。周りが変化したとき、世界が変わったのではなく、あなたの意識でその世界を選択しあなたがその世界にワープしただけなのです。つまり、世界平和になったという物質的変化には何の意味もありません。大切なのは世界平和を目指すにしても、相手を幸せにしたい、受け入れたいという気持ちを持つ過程が大切なのです。【霊的主義】 引き寄せの法則というのは、自分の意識で既にある世界をワープするのですから、意識次第で好きな世界を引き寄せることが出来ます。それが成熟した思いでも未熟な思いでも何でも引き寄せます。プラス思考の人に成功者が多いのは、その現実を自らの思いで引き寄せているからなのです。

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愛の学校

私達の人生は何のためにあるのでしょうか?何を目的にして産まれ、何のために生きているのでしょうか?その答えの一部でもこの本で理解し、愛のある生活を、深い人生をおくれることを願っています。


1.人生は愛の学校
私達の人生は何のためにあるのでしょうか?それを一言で言うなら自分の魂を成長させ、愛のある人間に成長し、その成長を楽しむことにあります。
私達は、あらゆる喜び、怒り、苦しみ、悲しみを、人生の中で経験することになるでしょう。そして、その経験の中で私達人間は愛を成長させていきます。私達は愛を学ぶ学校としてこの地上に産まれました。イエスの言葉に、人を裁くな、そうすれば裁かれないという言葉があります。魂が喜怒哀楽色んな感情を経験すると、相手の気持ちが分かるようになり相手を裁かなくなります。もし、苦しみが無ければ、相手が苦しんでいてもその気持ちがわかるでしょうか?おそらく相手に冷たく接して裁いてしまうことでしょう。しかし、その苦しみを経験し理解する事が出来れば、相手に冷たく接することなく暖かい気持ちで、相手を見ることができます。それが魂の成長なのです。この世で生きている人にはそれぞれ考え方にも違いがあります。しかし、それぞれの考え方を受け入れることによって、人に優しくできます。あなた方が神と呼んでいる存在は無限の受容、無限の愛なのです。あなた方が例え神を信じなくても、人を殺しても、どんなことでも受け入れてくださいます。そして、神に近づく為に私達は日々あらゆる経験を通じて受け入れる事を、裁かないことを学んでいくのです。
例えば仕事場で何でも仕事ができる人には、出来ない人に対して厳しく当たってしまうこともあります。ですが、仕事が出来ない人は出来ない人に対して優しく接することが出来ます。それこそが魂の成長なのです。そして、相手を幸せにしたいという愛の心で接することが出来たとき魂は飛躍的に成長をとげるのです。この世界の人は自分が1番になりたいとか、偉く見れたいとか、傲慢な気持ちがある人が多くいます。しかしあの世に帰った時、名誉やお金は全くの無価値であることに気付く人も多いことでしょう。そのような名誉、お金、財産、などはあの世にまで持ち帰ることは出来ません。あの世でも残り続ける本当の宝は、愛、受容、感謝です。私達は人を受け入れ、どれだけ優しく、思いやりが強く、相手を幸せにしたいという気持ちを持っているかにかかっています。
私達はお金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか、相手を憎んだり、恨んだりする未熟性の欲求と、相手を幸せにしたい、受け入れたい、優しくありたいと思う成熟性の欲求があります。日々の生活を通じて、未熟性の欲求を受け入れ、反省し、成熟を目指して前に進んでいくことで私達は魂の年齢を上げていくのです。
2死後の世界
死後の世界はどうなっているのか、ご説明しましょう。人間は死後、貴方の親しかった親や、守護霊に導かれこの世を去ります。そして、日数は人によって異なりますが、数十日間この世に留まった後、あの世に向かいます。そこで自分の人生を映像を見るかのように見せられ、反省します。その後、自分の魂の成長度合いの相応しい階層【幽界】に行くことになります。利己主義に囚われた魂の成長度合いが低い魂は、低い階層へ、隣人愛を、人を愛し、受け入れた魂の成長度合いが高い魂は高い階層へ行くことになります。魂が高い階層に行けば行くほど、素晴らしく美しい世界に行くようになり、低ければ低いほど、地上に近い世界、鈍い世界に行くことになります。また、成長度合いの高い階層では思うことが何でも実現し、お互いがお互いを愛し合い、周りも美しい光に輝いています。一方低い階層の人々は光も薄く、自分で会社をおこしたり、物質的なな生活を送っている人も沢山います。そして、魂の成長の為に、この地上と環境を選んで沢山の魂の成長度合いが異なる人がいる地上に産まれてきます。また、幽界上層部の人は余りに居心地が良いので、その場に留まろうとするのですが、それを思い正せるのが、向上欲です。魂をもっと成長させたい、そう思った上層部の魂は幽体という霊の身体を捨て、純粋な魂だけになり、霊界に行くことになります。そして、自分の本体の類魂【自分の本体であり、その中の代表が地上に魂の成長の為に来る】に入り、経験と感動を共有します。そして類魂の代表者が魂の成長の為に地上に降りてくるのです。【産まれる際魂の成長の為に顕在意識としての記憶は無くなる】そして魂が成長すると地球を卒業し、あの世で魂を成長させたり、地球を手助けしたりします。そうして、愛と優しさ、受け入れ【受容】を学びながら神に近づいていくのです。
3物質主義と霊的主義
私達人間は物質主義と霊的主義の二つの価値観を持っています。幸せは、物質的に恵まれていたり、お金があったり、名誉を得たり、特定の宗教に属することや、順風満帆な生活をすることだと考えている物質主義な人間と、幸せとは心の中にあり、相手を幸せにしたいという気持ちや、受け入れるという考え方によって得られる物だと考えている霊的主義の人がいます。魂が成長すればするほど、物質主義から霊的主義に変わります。霊的幸せは、物質主義よりはるかに勝るものであり、長く永遠に残ります。この世ではどのような実績を残したか、社会貢献をしたかという物質主義によって世間から評価されますが、あの世ではその動機がどうであったか、どのように考えて行動したかが問われます【霊的主義】。世界平和という物質主義の為に政治家になったり、政治団体を作ったりしている宗教家や、自分だけが特別な存在【再臨のキリスト、再臨の仏陀等】だという宗教家には気をつけなければなりません。預言者は自から正体を明かすことはないからです。それでも、何もしないで利己的な人よりは世界平和の為に行動している方がマシです。イエスは世界平和の為にこの地上に来たのでも、人類の罪の身代わりの為に来たのでもありません。イエス自身も高次元における魂の成長を果たすため【全ての受容、隣人愛、感謝に近づく喜びの為】にこの世に産まれた神霊の一人です。イエスの教えは物質主義の考えが殆どありません。イエスの教えは霊的主義であり、幸せは貴方の心の中にある、相手を幸せにしたいという思い、受け入れる心にこそ本当の幸せがあることを愛を持って弟子に伝えました。そして、その結果弟子に裏切られることも分かっていながら、少しも恨むことなく、神の愛の表現者として十字架にかかったのです。
私達は物事を善、悪で表現しようとし、悪を悪いもの、善を良いものとして考えています。しかし、それは霊的視点から見るときには完全なる間違いです。私達は未熟性と成熟性の両方を持っていますが、私達は、未熟性があるからこそ、霊的に成長する喜びを味わうことが出来るのです。未熟性も神が与えた大切なものです。未熟性があることにも感謝し、受け入れた上で成熟を目指して頑張ることに意味があるのです。
自殺についても、自殺したら永遠の地獄に落ちる、という考えかたの人がいますが、それは全く関係ありません。自殺したという物質主義的な考えよりも霊的視点からどのような理由で自殺に至ったのかが大切になります。例えば電車でひかれそうな人を助ける為に飛び込んで亡くなった人がいます。これもある意味自殺ですが、これは霊的視点から見ると成熟した行為であり、しっかりと素晴らしいあの世に帰っていくのです。また鬱や、人生に苦しんで自殺した人も自分の考えを改めれば、霊的扉は開かれ、また生まれ変わることが出来ます。しかし、自殺は自分の魂の成長を途中でリタイアすることになるので、せっかくの魂の成長を途中放棄することになり、後悔の念に苛まれる事が多いのです。
4因果応報と魂の成長
神の愛の法則の一つに因果応報があります。つまり、相手を苦しめたり、イライラしたり、故意に相手を貶めようとしたり、そのような事を行うとその分、自分が苦しい思いをしたりすることになります。【地上で収まるわけではなく、あの世で償うことがある】ですが決して因果応報は罰ではありません。因果応報の法則は魂を成長させるために存在します。私達は自分の未熟性から過ちを犯します。もし過ち【未熟な気持ち】を犯さないなら、この地上に産まれてきていないでしょう。そして、過ちを犯した後、私達はその過ちを受け入れ、二度と犯さないようになるために、苦しい思いをしたり、大変な思いをすることがあります。しかし、もし過ちを犯した後、反省し、魂が成長したならば、苦しみも、返ってくることはありません。例えば、人に偉そうにしたり、恨んだり、未熟な感情を抱くと、津波ができます。その津波の高さが10mだとします。そして壁【魂の成長度合い】が8mだとすると、津波が来た時に壁を津波がこえてしまいます。しかし心から反省し、魂が成長すると壁の高さが上がり12mになったとします。すると津波は壁をこえられず、被害は起きません。この因果応報の法則の目的は魂の成長の為にあります。魂を成長させ相手を受け入れることができるようになれば、私達はあの世で素晴らしい愛の世界に行くことになるのです。そして神の法則に感謝することでしょう。
5イエスの愛と喜び
地上に高級神霊として降りてきたイエスの霊的言葉【聖書】をご紹介しましょう。
悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。【イエスの愛の教えです】

敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
【イエスの中には自分を敵対視する人にも神の子供であるという気持ちで愛せよという、気持ちがあったのでしょう】

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
【神はどんな成熟した人でも、未熟な人でも、平等に愛し受け入れて下さっている】


自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受ける事がないであろう。
【自分が良いことをしている、褒められたい、見られたいという傲慢な気持ちを持つのではなく、人の役に立ちたいという気持ちで行ないなさいということ】

天に、宝をたくわえなさい
【地上の名誉、財産、は死後の世界に持ち帰ることは出来ない。人を愛し行ない、受け入れたことは死後の財産として永遠に残る】

人をさばくな、自分が裁かれない為である
【人をこういう人間だから、ダメだとか、そのような気持ちを持つのではなく、愛し受け入れなさいということ】


自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
【相手に対して、こんな人間だからなおしなさいと注意する前に、自分が人を愛し受け入れている事が大切。自分が未熟な気持ちを持っているのに相手に注意するなという事。相手を成長させたいという正しい動機の元で相手を注意する成熟した人間は問題ない】

あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか
【人でさえ自分の子供には、良い者を与える、ならば宇宙の親である神はあなたがた人間に最高のものをプレゼントしているであろう【病気、苦しみも含め】】

地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
【イエスは世界平和という外的な目標の為に来たのではなく、イエス自身の愛の成熟の為に、愛の言葉というつるぎを投げ込みに来た】

6異世界と引き寄せの法則
私達人間は時間と言うものをどのように受け止めているでしょうか?私達には時間は過去から、現在、未来に動いているように見えるでしょう。実はこの当たり前と思うような話は実は幻想なのです。実は私達は、無限の宇宙を意識でワープしているのです。例えば私が大金持ちになった場合をAとします。貧乏になった私をBとします。今の私は普通のサラリーマンだとして、AとBは既に存在していて、AとBどちらを選択するかを意識で選んでいるのです。あらゆる現実は既に存在していて、その世界を意識で選んでいます。つまり世界が混乱状態の世界も、平和な世界も存在しているのです。周りが変化したとき、世界が変わったのではなく、あなたの意識でその世界を選択しあなたがその世界にワープしただけなのです。つまり、世界平和になったという物質的変化には何の意味もありません。大切なのは世界平和を目指すにしても、相手を幸せにしたい、受け入れたいという気持ちを持つ過程が大切なのです。【霊的主義】
引き寄せの法則というのは、自分の意識で既にある世界をワープするのですから、意識次第で好きな世界を引き寄せることが出来ます。それが成熟した思いでも未熟な思いでも何でも引き寄せます。プラス思考の人に成功者が多いのは、その現実を自らの思いで引き寄せているからなのです。