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安江仙弘・犬塚惟重

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詳細 2016年1月1日 16:28更新

 「日本のシンドラー」と言えば、杉原千畝リトアニア・カウナス代理領事が有名である。
 しかし、この人は一緒に日本に帰国した人々から、理由は明らかにされないが評判が悪い。杉原氏自身はヴィザ発給について、生前は固く口を閉ざしていた。しかし、「命のヴィザ」の美談は夫人によって広まった。その数は当初は1,500人であったが、今では6,000人になっている。

 それに対して、亡命ユダヤ人を救おうとした大連特務機関・安江仙弘陸軍大佐及び犬塚特務機関・犬塚惟重海軍大佐は、忘れ去られようとしている。

 1937年にハルピン特務機関長・樋口季一郎陸軍少将の支援の下、第1回極東ユダヤ人大会が開催された。勿論、安江大佐も出席していた。
 亡命ユダヤ人の期待はむしろ日本陸軍きってのユダヤ問題に精通している安江大佐に集まっていた。安江は、満州国の「五族協和」にユダヤ人を加える構想を持ち、同年12月『猶太對策要項』を五相会議で国是とすることに成功した。

 そして、「河豚(フグ)計画」と呼ばれる、満州国内に「ユダヤ人特別自治州」を設置、即ちユダヤ人に対して高度自治権を付与する事実上の「ユダヤ人自治国」を目指した。
 しかし、1940年の日独伊三国同盟締結の翌日に安江大佐は大連特務機関長を解任される。しかし、その翌月に私設安江機関を設立する。
 なお、安江大佐はご子息の仙夫氏に、満州に住んでいる中国人を始め全ての人々に礼儀をするよう厳しい躾を行ったと言う。

 犬塚特務機関(支那方面艦隊司令部附上海勤海軍武官府特命)・犬塚惟重海軍大佐は、日本海軍きってのユダヤ問題研究家であった。1938年、犬塚大佐は亡命ユダヤ人が多い上海に赴任する。
 そこで、提督への道を辞退し、ユダヤ難民保護に従事する。1939年には、安江大佐等と共に現地調査委員会が設置され、上海ユダヤ難民自治区構想に奔走する。
 後に、亡命ユダヤ人たちは「上海は楽園でした。」と語ったと言う。 

 しかし、日本はナチス=ドイツとの同盟を重視し、1942年『猶太人對策要綱』を廃止する。さらに、後に日本軍は『上海ゲットー』を設立する等、ナチス=ドイツの外圧に屈する。

 その後、安江大佐は1950年、旧ソ連・ハバロフスク収容所で死去する。帰国した犬塚大佐は、1965年に永眠する。

 管理人も勉強中です。歴史では、忘れ去られようといている方たちの思想・活動について一緒に考えてみませんか?

 なお、自由闊達な議論による研鑽を行いたいので、管理は最低限のものにとどめたいと思っております。
 ただし、このコミュのマナーとして参加者の意見が異なる場合があっても、参加者同志が互いの異なる意見を尊重して議論をすることだけは求めます。

※ 写真左が安江仙弘氏、右が犬塚惟重氏です。

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2006年5月28日

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カテゴリ
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