ヤクルト応援一筋50年
故岡田正泰さんをしのぶコミュニティです。
管理人は直接お会いしたことがありませんでしたが、
この人なしにヤクルトは語れないと思いコミュニティを立ち上げました。
-「ファンに楽しみ、喜んでもらう」ことが
オレの応援のポリシーである-
外野席に観客が5人っていう時代もあったよ。こちとら江戸っ子でぇ。「判官びいき」っていうんかな。弱かったスワローズを応援していたら、当時のサンケイの球団社長から「頑張って応援してくれ」っていわれてな。17,18歳の頃からだから、応援生活も、かれこれ44,45年になるんだなぁ
昔の応援っていうのは、もっとキレイだったよ。ヤジとか拍手だけだったけど。痛くなるほど手を叩く。情がこもっているじゃねえか。別に応援なんて一人だってできるんだよ。大勢いればいいってもんじゃない。な、そうだろ。
「協力したい」っていってくれる若いもんが今は15人ほどいるがな。まぁ、オレも仕事(看板塗装業)があるからよ。それが終わってから神宮に駆けつけると、どうしても7回ぐらいなっているけどな。それでも”ここが大事だ”と思った試合には北海道でもどこでも行っちゃうよ。年間100試合ぐらいは必ず応援にいっている。
でも、野球自体はあんまり見れないな。それより気になるのが、”人の流れ”。「きょう応援してくれるのは、どんな人かな」って。気になってスタンド中、歩き回っているよ。オレもちっとは顔が知れてるからな。ヤクルトファンの人に声をかけてもらうし、声をかける。何かアピールするものがなけりゃ、サッカー人気に追い越されちゃう。
これまでで印象深いのは、いわずもがな78年の優勝だよ。嬉しかったねえ。「東京音頭」もあの頃からだね。でも、みんな歌詞を知らなくて、オレは歌詞をコピーして配って回ったよ。「カサの応援」を始めたのは8年ぐらい前から。どこの家でも余っているビニールの傘でいいんだよ。金をかけなくても。な、そうだろ。
たとえ大敗しようとファンに楽しんで球場から帰途についてもらいたい。”ファンに喜ばれる”というのがオレの応援のポリシーだ。「応援しろ」と強制なんかしねえよ。応援を楽しむことによりファンがのって、そのファンの応援で選手をのせられれば、最高じゃないか。な、そうだろ。
今年の優勝はホント、嬉しかったよオレも、もう61歳。親父とお袋が亡くなった時、もうやめようとかとも思ったんだが、まだ情熱が残っていたんだよ。他人からみれば、かわっていると思われたかもしれないけどな。嬉しいよ。これからも選手を励ます応援を続けていくよ。
(ヤクルトスワローズ優勝記念号・週刊ベースボール 1992・10・21 増刊号)
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