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尾崎 秀実

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詳細 2016年5月17日 01:20更新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾崎 秀実(おざき ほつみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1944年(昭和19年)

11月7日は岐阜県加茂郡白川村(現・白川町)で生まれる。ソビエトのスパイでありながら、近衛文麿政権のブレーンとして、政界、言論界に重要な地位を占め、また、軍部とも密接な関係を持ち、日中戦争当時の政局の最上層部で活躍する。アジア共産化を目的とした、数々の謀略を実行してきた。ゾルゲ事件で逮捕され、処刑される。

経歴
幼少の頃は、台湾の台北で育ち、台北第一中学校に進学。1922年(大正11年)、第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部(現東京大学)に入学。1925年(大正14年)、東大卒業後、一年間、東大大学院に在籍。そこで、大森義太郎が指導する唯物論研究会に参加し、共産主義の研究に没頭する。1926年(大正15年)朝日新聞社に入社し、東京朝日新聞に勤務。社内で『レーニン主義の諸問題』をテキストとした研究会を開催。1927年(昭和2年)、大阪朝日新聞に転ずる。1928年(昭和3年)11月、上海支局に転勤し特派記者となり、3年余、上海で過ごす。その期間に中国共産党と交流するようになる。アグネス・スメドレーと出会い、コミンテルンの諜報活動に参加するようになる。リヒャルト・ゾルゲと出会う。1932年(昭和7年)2月、大阪本社に戻り、外報部に勤務。1934年(昭和9年)10月、東京朝日に転じ、東亜問題調査会に勤務。1937年(昭和12年)4月から昭和研究会に参加。1938年(昭和13年)7月、東京朝日を退社。第1次近衞内閣の嘱託となり、1939年(昭和14年)1月の第一次近衛内閣の総辞職まで勤める。同時に、「朝飯会」のメンバーにもなり、これは、第2次近衛内閣、第3次近衛内閣までに渡る。1939年(昭和14年)6月1日、満鉄調査部嘱託職員として東京支社に勤務。ゾルゲ事件で逮捕されるまで、同社に勤務していた。

言論
評論家としては、中国問題に関して、『朝日新聞』、『中央公論』、『改造』で論陣を張った。1937年(昭和12年)『中央公論』9月号で『南京政府論』を発表し、蒋介石の国民政府に正統性のないことを主張。それは、翌1938年(昭和13年)1月16日の「爾後国民政府ヲ対手トセズ」の近衛声明を前もって正当化した。1938年『改造』5月号で『長期抗戦の行方』を発表し、また、1938年『中央公論』6月号で『長期戦下の諸問題』を発表し、早期講和に反対し長期戦を正当化した。その当時は、『最も進歩的な愛国者』、『支那問題の権威』、『優れた政治評論家』と評されていた。

ゾルゲ事件
1941年10月15日にゾルゲ事件に連座して逮捕された。訊問には積極的に答えたので、28回分の検事・司法警察官訊問調書、また、28回分の予審判事訊問調書などの、膨大な量の資料を遺した。1944年、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、国防保安法違反、軍機保安法違反、治安維持法違反により巣鴨拘置所でリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された。

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開設日
2006年5月19日

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カテゴリ
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