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林語堂

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詳細 2013年11月29日 02:15更新

◆ 林語堂略伝
 はじめの名は和楽。大学在学中に玉堂に改名、のちに語堂となる。1895(光緒21)年10月10日に福建省龍渓県のキリスト教牧師の家庭に生まれる。ミッションスクール卒業後、清華大学に英語の教師として赴任、独学で中国古典の知識を身に付ける。1919年にハーバード大学に留学、1年後にドイツのイエナ大学、さらにライプチヒ大学で言語学を専攻、1923年に博士号を取得して中国に帰国する。
 帰国後、北京大学、北京師範大学の教授を歴任する一方、魯迅・周作人兄弟の主宰する『語絲』に寄稿する。北京政府をたびたび批判したことから南下を余儀なくされ、1926年5月に北京を脱出、廈門大学に逃れた。翌年2月、陳友仁の求めに応じて武漢国民政府外交部の秘書となるが、やがて文筆業に専念するようになる。
 30年代になると、林語堂は上海で『論語』、『人間世』、『宇宙風』などの雑誌を創刊し、「幽黙大師」として名を馳せる。パール・バックの勧めにより執筆した『吾国与吾民』(My Country and My People)が米国で大好評を博し、36年に渡米する。
 1943年、『啼笑皆非』(Between Tears and Laughter)という論文を書き、中国の抗戦に対する外国からの援助が少ないことを非難し、帝国主義に転化する民主主義の矛盾を指摘する。この直後、林語堂は半年ばかり重慶視察をし、これをもとに同年『枕戈待旦』(The Vigil of a Nation)を出版する。この書物において、「反共」の立場を明確にする。
 1966年、台湾に帰国。76年3月26日、香港にて死去。

◆現状とコミュニティの目的
 近代中国において、伝統中国を真に理解し、また西洋を真に理解していたのは、この林語堂ではなかったろうか?
 彼の名を世界に広めたのは、何と言っても『My Country and My People』(邦訳に『中国=文化と思想』講談社学術文庫)であるが、戦後の日本では、竹内好氏などが批判したせいか、ほとんど忘れ去られた存在となってしまった。
 彼は、中国共産党からは「保守反動」・国民党擁護のイデオローグと目され、長らく大陸でもタブー視されていた。その証拠に、大陸で出版された『林語堂名著全集』全30巻には、彼のほとんど全部の著作が収められているが、なぜか彼が「反共」の政治的立場をはっきりとさせた『the Vigil of a Nation』は入っていない。
 東洋と西洋の融合は、林語堂の生き方において体現されている。

 このコミュニティでは、いつの日か完全日本語版の『林語堂全集』が出版されるのを祈念しつつ、林語堂の著作を紹介していきたいと思います。


◎現在紹介している著作
【中国語】
・林語堂名著全集(全30巻)
・中国印度之智慧(全2巻)
・中国人的生活智慧
・新中国的誕生
【日本語】
・中国=文化と思想
・蘇東坡(上・下)
・人生をいかに生きるか(上・下)
・北京好日(上・下)
・嵐の中の木の葉
・朱門
・自由のまちへ
・則天武后
・杜十娘
・愛と諷刺
・支那のユーモア
・自由思想家林語堂―エッセイと自伝
・支那に於ける言論の発達
・ソビエト革命と人間性
・開明英文文法―表現の科学―
・涙と笑の間
・孔子論
・東西の国民性
・機械と精神
・支那の横顔
・支那の知性(中国の知的ライフ・スタイル)
・日本への忠言(毎日新聞寄稿)
【英語】
・On The Wisdom of America
・The Vigil of a Nation

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カテゴリ
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