九十年代の終わり、スーパーカー/supercarは諦念を歌った。ギターロックを三割放棄して、ブレイクビーツとドラムンベースを取り入れて、僕らの日曜日の住人にしてくれた。そこには微かな希望がある。僕はまだ若い。どうしようもなく残酷で無根拠な理由。
やがてテクノに進み、スーパーカーは四人でいる必要はなくなった。その言葉を誰もが飲み込んだまま、ナカコーとミキちゃんとジュンジとコーダイの四人組の奏でる音楽を僕らは受け取り続けた。
別にスーパーカーが嫌いになったわけじゃない。
それでも解散後、ずっと聴いている、という人は少ない気がする。時折思い出したように聞きかえす。
まずは想像でいいと思う。一度全てを失ってみよう。
その後の世界を夢想してみるんだ。
そこに何もかも失った後から出来上がった、ニューオーダー/NewOrderのブルーマンデー/bluemondayが響く。
別にスーパーカーが嫌いになった訳じゃない。
それでもOKコンピューターの厭世観がそろそろ辛くなって来た人は多いと思う。その理由を探りたいのだ。
青森から十九と二十歳の最高にクールなバンドが生まれてもうすぐ十年になるから、そろそろ私語りの世代論が生まれるのも悪くはない。
※名刺代わりに登録するだけじゃなく、語って頂けるような方に登録してもらえると嬉しい。酒飲んで何年かぶりに、スーパーカーを聴いたけど、何故か泣けなかった。このバンドが、へなへなで弱そうに見えて、実は強いせいだと思う。
『SUNDAY PEOPLE』 SUPERCAR
サンデーピープル見習ってサンデーピープルライフ
手抜きなんて当たり前 いざ、サンデーライフ
自分で自分のかてになっていくよ
つまんない自分はつまんないまま友情にゆずってみたのさ
自分で自分の風に乗って
時間と時間を混ぜるのさ
風にのって
サンデーピープル見習ってサンデーピープルライフ
長いものには巻かれたい いざ、サンデーライフ
時代が時代さ、多分そんなふうに
ゆがんだ気分とたよりないこの空想を支えているのさ
自分で自分の風に乗って
時間と時間を混ぜるのさ
時代と時代の影に立って
時間と時間を――
うそで守ったままだった
宇宙をなぞったみたいだった
誰にだって――