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烏山 山あげ祭

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詳細 2015年7月12日 16:20更新

栃木県烏山で450年続く祭です!!


由来!!
永禄3年(1560)、烏山城主那須資胤が城下五町鎮守牛頭天王(素盞鳴命)を八雲神社にお祀りし、天下泰平、五穀豊穣、疫病消除を祈願したのが起源とされています。

当初、奉納余興として相撲や神楽獅子などが行われていましたが、寛文年間(1661〜1672)には踊りを上演するようになり、さらに元禄年間(1688〜1703)には狂言が行われ、やがて享保から宝暦年間(1716〜1763)にかけて歌舞伎舞踊がとり入れられ、同時に舞台装置や舞台背景も大規模になり、江戸時代末期頃に現在の野外歌舞伎の形態となりました。

全国でも類例のないこの「山あげ行事」は、昭和34年栃木県重要文化財民俗資料第1号に指定され、昭和38年国選択の民俗資料、昭和54年2月には国重要無形民俗文化財に指定されています。


例大祭 第4週木曜日
夜に「笠揃」と呼ばれる公演が行われる。山あげ余興公演の始まりの行事である。
出御祭 金曜日
早朝、当番町により八雲神社から神輿が降りてくる。神輿はそのまま当番町内を巡り、旧烏山町市街中心部の仲町交差点に設けられた御仮殿に納められ、続いて山あげの公演が御仮殿前で行われる。この一連の儀式を「天王建」と呼ぶ。
渡御祭 土曜日
早朝、神輿が御仮殿を出発。旧烏山市街を巡行する。担当は再来年当番町となる。
還御祭 日曜日
夕方、神輿が御仮殿を出発。最後の神輿巡行となる。担当は来年当番町。神輿は0時頃まで市内を巡行し、八雲神社へ帰って行く。山あげ余興公演は22時頃、終わりを告げる「笠抜」が行われる。演目は「関の戸」「老松」。
金曜日の余興公演初日、土曜日の2日目には「訪問」という儀式がある。これは当番町が各町内の会所前で山あげ余興公演を行うもの。祭り期間中、当番町の世話人や若衆達は他の町内に入る際は正装するのが仕来たりで、普段は半被姿の若衆も訪問時には正装に着替えて公演に向かうのである。

最終日の日曜日の夕方から、八雲神社の鳥居前で「ぶんぬき」という行事があり、各町の屋台、若衆が集結し、太鼓や鉦を鳴らしあい、大声を出し合う勝負事がある。市民はこの行事が一番盛り上がる場面といい、事実この30分間は異様な興奮を醸し出す。


[編集] 山あげ余興公演
「笠揃」から「笠抜」まで、4日に渡り10数回の公演を市内各所にて行う。担当は当番町。この山あげ余興公演は、若衆達が舞台や太夫席、背景である「館」「波」「前山」「中山」「大山」等を公演場所で組み立て、歌舞伎の野外劇中はそれら背景を特殊効果などで操作したり、花火や音響、光等で幻想的に演出する役割も請け負っている。公演が終わるとそれらを素早く解体し、舞台を変形させて「地車」にして積み込み、次の公演場所に向かう。山あげ祭りの名は、竹の骨組みに和紙で作った山のパネルを取り付け、若衆のリーダーである「木頭」の合図で立てる所から来ている。当番町がこれら山あげ余興公演の役割を担う為におよそ150名からなる若衆が必要で、また、舞台の設営や撤収の動作が非常に機敏なのは、各町内同士の対抗意識から来ている。早く、正確である事は大変誉れなことで、逆に不手際により設営に手間取ったり、次の公演場所へ向かう先陣隊となる「地車」の担当若衆達が上手く「地車」を操作出来なかったりすると、市民から囃されたり、煽られたりする場面が見られる。

歌舞伎を演じる踊り子達は皆女性で、小学生から高校生位までの女子生徒が演じる。代表的な演目は「将門」「戻り橋」「子宝三番叟(こだからさんばそう、笠揃に必ず公演される)」「関の戸(笠抜に公演される)」「老松(関の戸に続いて公演)」「忠信」「宗清」等。中でも「将門」は一番公演機会が多く、山あげ祭りのマスコットともいうべき「ガマ」が登場する。演目が始まって暫くすると、滝夜叉姫を乗せたガマが花道奥からゆっくり舞台前に移動してくる。町内の演出担当によって異なるが、大抵の「ガマ」は口から煙を吐き、目を光らせると言う様な演出が施されている。公演が終わり、次の公演場所に移動する際、「ガマ」は「地車」の一番上にちょこんと置かれて移動するのが各町内の決まり事でもある。

舞台から約100メートルの間に「波」「館」「木」「前山」「中山」「大山」等を設置する。若衆は「木頭」をリーダーとし、「副木頭」が補佐を行う。約150名の若衆は各部門毎に分担して作業を行い、各部門では「主任」がリーダーとなる。特に「前山」「中山」「大山」を組み立て、上げる作業には大変手間と時間がかかるため、各部門は自部門の作業を終えたら直ぐに山の作業を手伝う為に走る。これら一連の作業で若衆達の団結と連携が強まって行く。


[編集] 裏話
「地車」と呼ばれる荷台は、公演時には変形して舞台となり、撤収の際は再度変形して荷台となり、解体した波や館、ガマ等が載せられて次の公演場所に向かう。しかしこの地車には方向を転換するようなものが一切無く、またブレーキも無い。担当する部門は「舞台」部門だが、彼らの苦労は舞台を設営するよりもむしろこの「地車」を次の公演場所まで移動させる事に集約していると言っても過言ではない。「副木頭」の指揮の下(地車移動時は副木頭が前方に乗り込み指揮をする。「舞台」主任は後方に乗り、副木頭を補佐する)、若衆は引き手、押し手が直進時には猛スピードで走らせ、止まる際には数人の「棒持ち」の若衆が車輪に丸太棒を咬ませて停止させる。曲がる際は引き手と押し手の技術で曲がれる事もあれば、急な曲がり角では棒持ちが丸太棒を使い、てこの要領で方向転換させる。舞台部門に配される若衆は多くが高校生や大学生等の若者で、逆に言えば彼等の様に若くて元気が無ければ務まらない部門でもある。
昔、祭り開催前には小麦粉の相場が上昇したという。これは山に和紙を貼るのに以前は小麦粉を糊としていたため、大量に小麦粉が必要だったためという。
旧町内の電線にはリボンが付けられているのをみる。これは山を移動するときに架線にかからないようにという配慮である。
露店の数が非常に多く、中でも旧烏山市街を通る「せせらぎ通り」の左右に露店が立ち並ぶ。祭りに訪れる若者達は、祭典よりも専らこれら露店散策の方が中心の様である。
祭り期間中は旧烏山市街の殆どが交通規制される為、県警の一個中隊が配備される


烏山山あげ祭号
平成18年(2006年)、平成19年(2007年)にはJR東日本では、山あげ祭りの開催に合わせて、快速「烏山山あげ祭号」を運転していました。上野から宇都宮線(東北本線)宝積寺を経由し、終点の烏山線の終点烏山駅まで直通で乗り入れる快速列車でした。
山あげ祭りで使われる屋台の正面を模した快速「烏山山あげ祭号」と書かれたエンブレムや、DD51のディーゼル機関車がブルーの12系客車を牽引する姿は、一部の鉄道ファンの間でも大変好評でした。
非電化の烏山線を走るためのディーゼル機関車の牽引ですが、電化された宇都宮線(東北本線)をDD51機関車が牽引する列車も珍しい光景で、かつ、普段はキハ40の2両編成しか運転されない烏山線に機関車が牽引する列車が走るのも注目を集めたのです。
沿線付近ではたくさんの鉄道ファンが撮影のためにカメラを持って待ち構えるシーン見られました。インターネット上でも画像が見られます。多くのファンの皆さんがそのときに撮影した画像や動画などをブログやサイトで公開しています。また、乗車する側の楽しみとしても、車内で食べられる記念弁当の「山あげ祭弁当」もとても豪華で美味しいとの評判でした。
この快速「烏山山あげ祭号」が運転されると、その日の烏山線の一部列車は運休となってしまうこともあり、宇都宮−烏山間は自由席車両も存在していたのも特徴の一つです。平成20年(2008年)も多くのファンの人たちがこの快速「烏山山あげ祭号」の運転を期待していましたが、残念ながらJR東日本では運転の予定はなく時刻表にも記載がないので運転はされない模様です。




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