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折原昌夫

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詳細 2015年9月8日 08:39更新

名前 折原昌夫
身長/体重 175cm/85kg
生年月日 1969年6月16日生
出身地 群馬県邑楽郡
血液型 A型
デビュー 1990年2月22日 浜松市体育館 菊地毅戦
得意技 スパイダージャーマン コンソリクト・コンソリクター

<経歴>
幼い頃見たタイガーマスクに憧れ、
アマレスを経て1990年〜91年まで全日本プロレスに在籍。
主に第1試合でキビキビとしたファイトで人気を集める。
付き人をしていた天龍源一郎選手のSWS移籍に伴ない、自身も全日本からSWSへと移籍。
95年に同様の理由でWARへ。
新日本との対抗戦では思い切りのいい空中殺法で評価を高め、
96年に「トップ・オブ・ザ・スーパージュニア」参戦。
ダイナマイトキッドを思わせるファイトで一躍注目を浴びる。
主戦場のWARではウルティモ・ドラゴン、外道選手らをライバルに
玉砕ファイトで盛り上げるが、97年以降、腰を始めとする度重なる怪我に泣かされ、
98年12月にWAR武井社長より引退発表がなされ退団。

99年東京プロレスマットで「月光」の名で覆面レスラーとして復帰し、
「月影」こと田村忍とともにヤングデストロイヤーズを結成。
99年末にはFFF(旗揚げ前に解散)に移籍。
その後2000年にメビウスを旗揚げし、
トンパチマシンガンズ、ファーイーストコネクションの一員として
バトラーツ、みちのくを主戦場に悪事の限りを尽くした。

2004年7月に突如、耳鳴り・呼吸困難・全身硬直、よだれ垂れ流し、
視界ゼロという症状に教われ職場放棄同然で失踪。
後日その間、週刊誌にて精神科に運ばれ
「ドメスティック・バイオレンス症候群」と診断されたことを告白。
本当は格闘技が嫌いで、モルモットや小動物が好きな優しい人間なのに、
求められていた悪役像を維持するために、
全身に痛いピアスの穴をあけ、全身に痛い刺青をいれるなど、
本当はやりたくないことをやってきた反動が出たという。

小学生相手にアマレスを教えるなど、リハビリを経て、
2005年1月にインディー団体イーグルプロで復帰。
現在は憧れの人、初代タイガーマスク・佐山サトル氏の団体、
リアルジャパンを主な戦場とする。

<キャラクター>
エキゾチックアニマルショップと日焼けサロンを潰した実業家は折原さん。

まだ全日本でデビュー前、高校生時代に、
新日本の道場破りにやってきたことがあるという折原選手。

クリクリ頭で体も細かった折原少年を見て、
当時道場にいたのはグラン浜田選手は
四つん這い姿勢で「どっからでもかかって来なさい」と甘く掛かると、
何を思ったか折原少年、トップロープに昇りダイビングニー。
浜田選手にモロヒットで完全に怒らせたという
無謀、非常識っぷりを当時から発揮。
全日本プロレス入門後には天龍選手より「トンパチ」の異名を付けられる。

*トンパチ=「トンボにハチマキ」を語源とする相撲用語。
トンボの頭は目ばかりだから、ハチマキをすると前が見えなくなることから転じて、
非常識、型破り、無鉄砲の意。

その後も同業者との裁判、結婚or離婚騒動、宝くじ当選、
これでもかと全身を塗りつぶした刺青、多額の借金、大蛇と入場
自らの技名に「折原昌夫」と名付けるなど
ファンから「心底憎いけれど、なぜか放って置けない」トンパチっぷりと
全日本育ちの確かなプロレス技術からファンに愛される。


以上、ファンの方のサイトから無断転載;

昨日('06 4/16闘龍門)試合を観て思いっきり引き込まれたけど
コミュなかったから作りました。 

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