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八幡の藪知らず

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詳細 2012年7月10日 23:04更新

千葉県市川市八幡の千葉街道(国道14号線)沿いにある樹木の生い茂った禁足地(入ってはならない場所)

【案内板より】
不知八幡森(通称:八幡の藪知らず)

江戸時代に書かれた地書や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。
そして「この藪余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。」とか、「藪の間口漸く十間(約18メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹藪にして竹・漆の樹・松・杉・柏・桑の樹などさまざまな雑樹生じ…」などと書かれたりしていますが、一様にこの藪知らずには入ってはならない所、一度入ったら出てこれない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され「諸国に聞こえた名高き所なり」と言われて全国的に知られていました。
入ってはいけない理由については、
◆最初に八幡宮を勧請した旧地である。
◆日本武尊が陣所とされた跡である。
◆責人の古墳の跡である。
◆平将門平定のおり、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。
◆平将門の家臣六人がこの地で泥人形になった…
と、いろいろ言われてきました。
中でも万治年間(一六五八〜六一年)、水戸黄門(徳川光國)が藪に入り神の怒りに触れたという話が、後には錦絵となって広まりました。
「藪知らず」に立ち入ってはならないという本当の理由が忘れ去られたため、取り沙汰されてきたものではないでしょうか。
また理由のひとつとして「藪知らず」が「放生池」の跡地であったからではないかとも考えられます。
古代から八幡宮の行事に「放生会」があり、放生会には生きた魚を放すため、池や森が必要で、その場所を放生池と呼びました。
藪知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が十分に考えられます。
市川市周辺地域は中世には千葉氏の支配下にありましたが、千葉氏の内紛で荒廃し、八幡宮の放生会の行事が途絶えてしまい、放生池には「入ってはならぬ」ということのみが伝えられてきたことから、以上のような話が作られていったものと思われます。
「不知八幡森」の碑は安政四年(1857年)春、江戸の伊勢屋宇兵衛が建てたものです。

市川市教育委員会

【アクセス】
総武線・本八幡駅から徒歩5分
京成本線・京成八幡駅から徒歩5分
市川市役所前

【注意】
どのような考えであっても、地元の人とのトラブル含めた、あらゆるトラブル防止のため、当地へ立ち入りは絶対に慎んでください。また、不法侵入の罪に問われる可能性があります。

【トピックスはご自由に】

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開設日
2006年4月10日

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