mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > 学問、研究 > 山本権兵衛

山本権兵衛

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2017年2月18日 15:01更新

帝国海軍構築の立役者山本権兵衛。

彼の功績をたたえるコミュニティーです。

鹿児島県(薩摩藩)出身。1891年(明治24)、西郷従道海軍大臣の下で海軍省大臣官房主事に就任した。権兵衛は従道の全幅の信頼のもと、陸軍の従属的立場に扱われがちであった海軍の地位向上を目指し、「島国の国防はまず海上権を先にすべきものであり、せめて陸海軍を平等な立場にすべきである」と主張し、十年間をかけて海軍軍令部の独立という成果を引き出した。さらに権兵衛が行ったのが、将官8人、尉佐官89人に及ぶ海軍軍人の予備役編入を実行。これは、藩閥出身のみが理由として高い階級にあり、かつ正規の近代海軍教育を受けていない海軍将校は、来たるべき戦争では不用となるとみなした大リストラであり、山本と個人的に親しかった将校も容赦なく整理対象とされた。1894年(明治27)から95年にかけての 日清戦争当時は、海軍省軍務局長として海軍の戦略の中枢に位置した。 その後も海軍次官を経て、山県内閣の海相に就任。1904年(明治37)には海軍大将に昇進し、同年から翌年にかけての日露戦争中は海軍大臣の地位にあり、軍政面から戦争を支えた。戦争後にその功績により、伯爵に叙せられた。その後軍部の要人として存在感を強め、護憲運動などにも理解を示した。

1913年(大正2)2月20日に退役となり、立憲政友会を与党として内閣総理大臣に就任した。第一次山本内閣では、軍部大臣現役武官制を廃止したが、シーメンス事件の贈賄疑惑をめぐり、内閣は瓦解し、山本は1914年4月16日辞任した。第二次山本内閣の組閣は関東大震災の被害もまだ明けぬ1923年9月2日である。山本は帝都復興院総裁に後藤新平を任命して東京の復興事業を行う一方、普通選挙実現に動くなどしたが、同年12月27日に起きた摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が難波大助に狙撃された虎ノ門事件の責任を取り、翌1924年1月7日内閣は総辞職した。

明治日本海軍の父としてその手腕は高く評価される反面、首相としては不運が惜しまれる。
(Wikipediaより)

ほんとのところは、
司馬遼太郎の書
「坂の上の雲」
の登場メンバーのコミュニティー欲しさに
作ったとこあります。

共に明治人の気概を感じましょう。

コミュニティにつぶやきを投稿

最近の投稿がありません泣き顔
つぶやき・トピック・イベント・アンケートを作成して参加者と交流しようわーい(嬉しい顔)
参加メンバー 229人

もっと見る

開設日
2006年4月9日

4184日間運営

カテゴリ
学問、研究
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!