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小早川水軍の将 浦宗勝

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詳細 2015年9月5日 15:30更新

生没:大永6年(1526)〜文禄元年(1592)
本拠:賀儀(鍵)城主(広島県竹原市忠海町)

沼田小早川家一族。本姓は浦、乃美兵部丞と称す。幼名万菊丸、長じて新四郎。兵部丞。備後守。
小早川隆景に仕え、小早川水軍の将として、そして毛利水軍の提督として、毛利家の中国制覇を導いた。
小にして武勇を好み、武勇絶倫、万人の敵として恐れられる。

浦宗勝年表

■大永6年(1526) 安芸国安芸郡瀬戸町(現・倉橋島音戸町の東半分)に、浦賢勝の子として生まれる。
■弘治元年(1555) 「厳島の戦」 村上水軍への援軍要請の使者となり、決死の説得により救援の確約をえる。この後の戦闘でも厳島の海上封鎖に活躍。
■同年末〜弘治3年(1557)4月 「防長攻略戦」 (現・山口県の攻略)一揆鎮圧、海上封鎖に活躍する。
■永禄元年〜永禄4年(1558〜1561)「門司城攻防戦」 北九州の覇権をかけ豊前門司城にて大友軍と激突。神出鬼没の戦いで大友軍を翻弄する。
この戦いの中で、敵将伊美弾正左衛門と一騎打ちを演じ、衆人環視の中、槍で相手をつき伏せている。
■永禄11年(1568)「河野氏救援」 伊予国(現・愛媛県)の大名河野氏よりの救援要請により、四国遠征に加わり、宇都宮氏、一条氏、長曽我部氏と戦う。(2月〜5月)
■同年6月 「九州出兵」 豊前立花山城の攻防をめぐり、大友軍の戸次艦連(のちの立花道雪)、臼杵艦速、吉弘艦理らと戦う。
立花山城を落とした際、降った敵将らの命を助け、大友氏陣営に護送し無用の流血を避けた。
■永禄12年(1569)「大友義鎮の策謀」
・第一 尼子残党、山中幸盛(鹿介)、立原久綱らが、尼子勝久を盟主とし出雲に侵入。諸城を攻略する。
・第二 備後、旧神辺城主山名氏の家臣藤井氏らが毛利氏拠点・神辺城を占領し浦上氏、宇喜田氏と共に毛利の背後をおびやかす。大友氏は能島村上武吉の調略にも成功し味方につける。
・第三 大内氏の遺族、大内輝弘を援助し、周防秋穂浦(現・山口県吉敷郡秋穂町)に上陸させ、大内氏復活の戦いを始めさせた。

四面楚歌に陥った毛利氏は本隊を北九州から撤兵し、立花城には宗勝以下、兵200余りを守備させる。(10月15日)
大友軍からの情理を尽くした開城勧告により、元就の指示を仰ぎ、勧告に応じ撤退する。(11月6日)
後、大内輝弘との戦いに参加している。
■元亀2年(1571)「能島村上氏仕置き」 毛利氏に対抗していた能島村上氏に対し小早川隆景は、宗勝に命じ、来島、因島、両村上水軍と共に能島の連絡を遮断した。能島村上氏に阿波の塩飽水軍が加勢し両軍による激戦が展開された。
能島村上氏はこれ以後小早川氏の有力水軍として活躍する。
■天正2年(1574)「備前常山攻略戦」 織田に通じ、毛利に背いた三村氏に対し備中へ軍を進めた。
この時、三村高徳婦人、鶴姫との戦いがあった。
■天正4年(1576)「第一次木津川の戦い」 織田軍に包囲された石山本願寺救援作戦であり、兵糧米を搬入する計画であった。宗勝、児玉就英、能島村上元吉に率いられた毛利水軍は、投げ焙烙や潜水隊をつかい、織田水軍を殲滅させた。
■天正6年(1578)「第二次木津川の戦い」 世に名高い織田水軍の九鬼嘉隆の率いる6艘の大安宅船との戦いである。鉄張りで防御し、桁外れの火器を装備した最強の軍船にてこずり、容易に抜くことが出来なかった。悪戦苦闘の末、三日目にようやく石山城に兵糧を入れることが出来た。
■天正7年(1579)「三木城兵糧補給戦」 播磨の三木城の別所氏は、羽柴秀吉に攻められ毛利氏に救援を求めた。宗勝、児玉就英の両将は、海路から三木城に兵糧補給を行った。
兵糧搬入は成功したのだが、結果的には、羽柴氏の勝利となり、別所氏は滅亡した。
■天正10年(1582)「秀吉の勧誘」 羽柴氏は、蜂須賀正勝(小六)、黒田孝高(如水、官兵衛)に命じ宗勝と、嫡子元信に勧誘の手を伸ばした。宗勝の心は揺らぐことはなかったが、幼少の元信は、後見の老臣山本氏の進言により不穏な気配を漂わせていた。これを察した小早川隆景により、元信は宗勝の知行内に幽閉された。
■同年「備中高松城攻防戦」 羽柴秀吉による、高松城(現・岡山県岡山市)の水攻めである。
高松城内との通路を遮断され長期の対峙を余儀なくされた中、明智光秀による本能寺の変がおこる。しかしそれを知らぬ毛利氏は、秀吉との講和条件に応じ、清水宗治は切腹し、果てたのである。
■天正13年(1585)「秀吉の四国攻め」 羽柴秀長率いる羽柴勢と小早川隆景率いる毛利勢の2軍が四国に攻め込んだ。隆景は伊予国(現・愛媛県)から侵入。四国を統一寸前だった長曽我部氏はこれに抗しきれず、降伏し、土佐(現・高知県)一国を安堵される。
戦後、隆景は伊予国32万石を与えられ、宗勝もこれに従った。
■天正14年(1586)「秀吉の九州の役」 吉川元春、小早川隆景、両将率いる毛利軍は豊前(現・福岡県北九州市)へ、仙石秀久、長曽我部元親ら四国勢は豊後(現・大分県)へ侵入。宗勝は毛利軍に従軍する。
吉川元春、同年11月15日小倉城に病没。(57歳)
戦後、隆景は筑前、筑後、肥後一郡半30万7千石を与えられ、小早川秀包(毛利元就9男)、立花宗虎(宗茂)が隆景麾下に入る。
■文禄元年(1592)「文禄の役」 小早川隆景の将として参加。朝鮮の首都京城を占拠するも、陣中で中風を発症。帰国する。
筑前立花山の麓の秋山(現・福岡県糟屋郡)にかえるも、同年9月23日に66歳で没する。


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