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加藤清正

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詳細 2017年2月23日 23:05更新

加藤清正

なおも深く愛される戦国武将清正公を大好きな方々が集うコミュニティーです。


加藤清正公のエピソード


☆ 清正は朝鮮出兵で三成と対立し、それが原因で秀吉から京に召還された後、伏見に蟄居させられていた。しかし慶長元年(1596年)、伏見大地震が起こって秀吉がいた伏見城が倒壊したとき、清正は300人の手勢を率いていち早く秀吉のもとに駆けつけ、警護を務めたと言われている。蟄居身分でありながら、これは秀吉の許しもなく駆けつけたものであり一つ間違えれば切腹となるところだったが、秀吉は清正の忠義を賞賛して朝鮮での罪を許したという。これにより、清正は「地震加藤」と称された。

☆ 清正は豊臣氏への忠義を終生忘れなかったが、家康を恐れその天下も認めていた。朋友の正則が家康の子・徳川義直が入る尾張名古屋城の普請を命じられたとき、「大御所の息子の城普請まで手伝わなければならないのか」と愚痴をこぼしたのに対して清正は「嫌なら領国に帰って戦準備をしろ」と告げたという。

☆ 徳川時代になって戦国の気風が謀反の心として警戒されるようになり、大名たちに髭を剃ることが流行りだしたとき家康は家臣に命じて清正に聞きに行かせた。貴殿も剃られてはいかがかと勧められたのに対して「鎧の頬あてに髭があたる感覚が心地よいので」と断ったことから、骨のある武将との評判がたった。

☆ 晩年は豊臣家への恩義と自家の徳川政権での存続に心を悩ませた。そのためか、論語に朱で書き込みをして読み込むほどであった。徳川と豊臣の雲行きが怪しいなか、大坂からの船旅の中、清正の飼っていた猿が真似をして彼の論語の本に朱筆で落書きをしたのを見て「お前も聖人の教えが知りたいか」と嘆じたという。

☆ 清正をはじめ秀吉恩顧の大名達は、秀頼が成人した暁には彼を将軍に擁して再び天下分け目の戦いに参じるつもりであった。清正はその時を想定して熊本城本丸に「昭君の間」(=将軍の間)を設けていた

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