あの人検索・汪兆銘
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【汪兆銘】
売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平に賭けた。中国の国民の幸せのために。今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか。
汪兆銘は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。時に1937(昭和12)年。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道である、と確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる独自の道を目指した。結果はこの言葉の後半そのままとなった。妻は獄死、子どもたちは海外にちりぢりとなった。
汪兆銘本人は「漢奸」(中国の売国奴)と今でも非難されている。そしてなによりも、彼が幸せを願った中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制という過酷な運命が待っていた。汪兆銘を抜きにしては、近代中国の悲劇も、日中関係の不幸も語れない。
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