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印南祭

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詳細 2017年5月23日 18:22更新

一、祭の由緒
 山口八幡神社は和歌山県日高郡印南町西山口に鎮座し、祭礼は印南祭(山口八幡祭)として印南町内において執行される。

 御坊市内の名田町(旧名田村)野島・上野・楠井三地区は日高郡印南町西山口の八幡神社の氏子で、出祭である。旧名田三か字が遠く離れた西山口の八幡社の祭に参加することについて、文献資料が少なく詳かでないが、地元にはいろいろな伝承があり、そのひとつに次のような話がある。

 大昔、尾ノ崎は祓井戸(はらいど)の浜辺に「ミコシ」または漂流人が流れ着いて上陸した。(これは朝廷から流された貴人ともいうが、いわゆる遠来の神、もしくは開拓神であろう)。しばらく祓井戸で休息(住んだ?)したが、流されてくる途中に波の音が恐ろしかったということで野島の仮家家(かりやけ)へ移り長らく逗留した。それで仮家家の戸口には今も賽銭を投げたあとがあるというが、これは民家の建築年代から推して後の付会である。また、一時野島の春日社にも留まったともいう。次いで上野の梅田の宮へ移ったが、そこも波の音が聞こえるので、さらに津井(印南町)の叶(かのう)の宮へ移ったがやはり波の音がするので、最後に海岸から離れた山口へ移って落ち着かれたとのことである。それで今も祭礼渡御において仮家氏の子孫が「お立ち」と言わなければ神輿が出発しないし、御輿舁(みこしかき)もほどんど仮家氏の一族で占めている。

 海浜に上陸された神が波の音を嫌われて奥地へ入ったという話は、全国各地に多く聞かれる例であり、後述する「お立ち」の時の唱詞が「男山、男山、男山・・・・」ではじまることから推してこの神は八幡神であり、男山八幡宮から海路勧請したと考えられている。いずれにしてもその伝承が、現代の祭礼行事の中に遺存している。

二、氏子組とその準備
 祭はもと旧暦八月十四・十五両日に行なわれ、一名「月見祭」といわれていたが、新暦になってからは十月一・二両日に執行している。山口八幡の氏子は宮元の西山口・地方(あげ)・浜・津井(以上印南町)と、御坊市域内の野島・上野・楠井の三地区を合わせて七組であるが、野島はさらに三分して祓井戸・野島・加尾となっている。もっともこの三組は地下内においては別々に祭を行なうが、本祭は一つの組となって参加する。印南祭は典型的な奴祭(やっこまつり)で、神賑行事として各組とも獅子舞、奴踊りを、そして印南町地方(あげ)地区が「ケンケン踊(雑賀踊)」を奉納する。旧暦の頃の初寄合は八朔(八月一日)であったが、いまは九月一日に各組の宿となる青年会場で行なう。初寄り以降は毎晩会場で獅子舞や踊りの稽古をはじめるが、日高地方の秋祭として最も早くから稽古をはじめるのはこの印南祭である。

 一方、役員たちは地区内を廻って寄附を集めるが、この地区の寄附の金額は高く昭和五十年頃でさえ「婿酒」の相場は五万円、最低でも二万円である。その他、新築した家や商店、地区内の各種役員などからも集め、不足分は区の費用から支出する。婿酒とは地区内の娘を娶(めと)った相手の男性から出される祝儀で、これは村の娘を他所へ出すことについてのヨナイ(余内・余荷)である。だから原則として同じ村内の婚姻であれば不要であるが、近年はこの方も祝儀として出している。

 幟立(のぼりたて)は九月二十八日で、会場前及び地区内の主要な場所に立てる。十月一日は傘揃で、それぞれ地下内で宵宮の行事を行い、二日の本祭には片道10キロ余り(野島)の山口八幡へ参拝して渡御に供奉し、終わって地下に戻り再び行事を行なう。

 
文献「御坊市史」より。

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