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建築家 山田守

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詳細 2017年5月12日 00:23更新

 山田守は戦前から戦後を駆け抜けた、日本の近代を代表する重要な建築家の一人です。
 1894(明治27)年4月19日岐阜県羽島郡上中島村(現羽島市)に生まれ、東京帝国大学(現東京大学)在学中には学生仲間(堀口捨己、石本喜久治、森田慶一、滝沢真弓、矢田茂)と日本初の建築運動とされる「分離派建築会」を起こし、自分達の理想の建築像を百貨店等での展覧会と出版物を通して主張しました。
 大学卒業後、逓信省に入省し、技官として沢山の電信、電話局および郵便局などの設計を行いました。中でも「東京中央電信局」は曲線を駆使した特徴のあるデザインで一世を風靡しました。
 関東大震災後、復興院橋梁課嘱託として永代橋等の橋のデザインも行いましたが、中でもお茶の水のランドマークである「聖橋」は山田のデザインの特徴を良く現しています。
 1929〜30年には欧米視察に出かけ、第二回国際建築家会議(CIAM)に出席、当時欧州で花開いていたモダンムーブメントに強く影響を受け、帰国後の「鶴見邸」や「東京逓信病院」の設計で日本での先駆けとしてその理念を実現します。
 戦後は紆余曲折を経たのち、個人の設計事務所を立ち上げ、特に病院建築や水道関係施設の設計を多く手掛けました。
 1964(昭和39)年に完成した「日本武道館」や「京都タワー」は建築界のみならず、一般市民も巻き込んだ、大きな論争になります。
 晩年は東海大学建築学科の設立に尽力し、広大な東海大学キャンパスの設計も行いました。しかし残念な事に、夢であったキャンパスの完成を見ぬまま、1966(昭和41)年6月13日にこの世を去りました。

[現存する主な作品]
■NTT門司電気通信レトロ館(1924)
■永代橋(1926)
■聖橋(1927)
■天下茶屋郵便局電話分室(1927)
■千住電話局(1929)
■万代橋(1929)
■甲府市役所南館(旧甲府郵便局・電話局)(1931)
■荻窪電話局(1932)
■広島逓信病院被爆資料室(旧広島逓信診療所)(1935)
■熊本市役所花畑町別館(旧熊本貯金支局)(1936)
■広島電話局西分局(1937)
■東海大学代々木校舎(1955)
■防衛庁東京中央病院(1955)
★NTT西日本九州病院(旧熊本逓信病院)(1955)
★長沢浄水場(1957)
■野田市郷土博物館(1958)
■蔦サロン・珈琲店(山田自邸・没後改装)(1959)
■社会保険横浜中央病院(1960)
■東海大学付属相模高等学校(1962)
■NTT西日本高松診療所(旧高松逓信病院)(1962)
■大和郡山市庁舎(1962)
■東海大学付属翔洋高等学校(旧工業高等学校)(1963)
■古河千代田ビル(旧互助会ビル)(1963)
■和田堀増圧ポンプ所(1963)
■日本武道館(1964)
■京都タワー(1964)
■東海大学湘南キャンパス(1962〜)

★;日本のDOCOMOMO100選に指定されています。

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2006年3月6日

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カテゴリ
学問、研究
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