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荒木村重

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詳細 2017年6月27日 19:15更新

乱世の荒波に翻弄され続けた中間管理職、荒木村重を応援するコミュです。

荒木村重(あらき むらしげ)
天文4年(1535年) - 天正14年5月4日(1586年6月20日)

戦国時代・安土桃山時代の武将。利休七哲のひとり。

摂津国池田城主・池田長正の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として池田(現・大阪府池田市)に生まれる。幼名を十二郎、のち弥介(または弥助)。最初は池田氏の家臣として仕えたが、織田信長が上洛してくるとその配下となる。智勇に優れており、信長からその才を認められて摂津一国を与えられた。

しかし天正6年(1578年)、有岡城にて突如、信長に対して反旗を翻す。これには今でも諸説があり、理由は明確にされていないが、石山本願寺や足利義昭と密かに通じていたためという説が有力である。やがて織田軍 中国方面軍団長の羽柴秀吉から、村重と旧知の仲でもある黒田官兵衛が使者として有岡城に送られてきた。だが村重は官兵衛を拘束し土牢に監禁した。その後、織田軍に対して1年の間、徹底抗戦したがかなわず、単身で毛利氏に亡命し、有岡城に残された妻子一族は皆殺しにされている。

ところが、信長の死後に羽柴秀吉が覇権を握ると、大坂に茶人・荒木道勲として復帰を果たし、堺に居を構え千利休らと親交をもった。まさに戦国一、不可解な武将と言えよう。はじめは妻子を見捨てて逃亡した自分を嘲って「道糞」と名乗っていたが、秀吉は村重の過去の過ちを許し、「道薫」に改めさせたと言われている。

江戸時代初期の絵師、岩佐又兵衛は息子である。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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開設日
2006年3月6日

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カテゴリ
学問、研究
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