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新居辰基

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詳細 2016年2月13日 23:39更新

新居 辰基(あらい たつのり、1983年12月22日−)は、北海道石狩郡当別町出身のサッカー選手(FW)。現在はJ1・湘南ベルマーレに所属。

【経歴】
名前の辰基(たつのり)は、少年野球の指導者であり巨人ファンである父親が巨人の人気選手だった原辰徳にあやかって命名したもの。新居自身も小学生のころはサッカーと並行して野球もしており、今でも大の巨人ファンである。子供のころは家族からも友人からもタッチと呼ばれ、プロになってからはチームメイトからタツと呼ばれている。小さい頃からの憧れの選手はカズ(三浦知良)。

サッカーを始めたのは小学校1年生のとき。野球をやっていたがサッカーもやってみたいと思ったのがきっかけで、地元の当別サッカー少年団に入った。中学生のときはユニオンジュニアユースチームFC(江別市)でプレー。高校生になるとき、ユニオンのユース(U-18)ができるならユニオンでプレーを続けようと考えていたが、結局ユニオンでは高校生年代のチームができなかったため、クラブチームの方が性に合うというコーチの勧めにより設立3年目のコンサドーレ札幌ユースに入団した。 コンサドーレ札幌ユース時代は、年代別日本代表には無縁だったが、1年生の秋ころから試合に出るようになり、2年生でチームのレギュラーとなり、ピッチ上でのらりくらりと歩いていたかと思うと一瞬でDFラインの裏に抜け出す駆け引きや、ボールのこぼれてくるところに走り込む得点への嗅覚に非凡なところを見せた。調子のよいときはニヤニヤした表情を見せ、オフサイドの旗をあげる副審にはガンを飛ばすふてぶてしい態度は、得点にどん欲でプロ向きな性格とサポーターに期待された。高校3年の2001年には日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会でチームを準優勝に導く原動力となり、MIP(Most Impressive Player)の表彰を受ける。

2002年からトップチームに昇格。この年チームはJ2に降格したが、新居はJデビュー戦であるホーム鹿島戦でのゴールを含む5試合出場2得点を挙げる。 札幌ユース出身選手として初めて将来のチームの主軸となりうる可能性を持った選手として周囲の期待も大きく、当時の監督張外龍はASローマ生え抜きのフランチェスコ・トッティになぞらえてか、「コンサドーレの王子」と称した。 その後もコンスタントに試合出場を続けていたが、プロ3年目の2004年8月に酒気帯び運転から人身事故を起こして逮捕され、チームから解雇されてしまう。 それからの約2カ月は解体工事現場で働きながら、夜はジムに通ってトレーニングを行っていた。 その後、同年10月にJFL入りを目指す東海リーグの静岡FCに入団した。

2005年にサガン鳥栖に移籍し、Jの舞台に復帰する。開幕当初はスーパーサブ的な起用をされたが、すぐにスタメンに定着。17得点を挙げて長谷川太郎とともにJ2の日本人得点王となった。 また、同僚で15点を挙げた鈴木孝明と2人で、2004年のチーム総得点分の得点(32点)を稼いだ。 この活躍により移籍話が浮上したが、「拾ってもらって、1年で出ていくわけにいかない」と自ら封印しチームに残留した。

2006年はチームの得点源であるため相手チームのチェックが厳しくなって怪我を負うことも多くなり、特に第4クールは半分近くの試合を欠場した。それでも出場試合数は前年より減ったのにも関わらず前年より多い23得点を挙げ、2年連続でJ2の日本人得点王となった。ここ数年の活躍により、日本代表に推す声も聞こえるようになっている。

2007年、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍。
2007年移籍当初は、なかなかチームにフィットしないのと、ジェフには新居を活かせるようなパサーがいなかったことから、スタメンより主にスーパーサブ的な役割が多く2007年前半戦は1得点のみに終る。後半戦もスーパーサブ的な役割が大半であったが次第にチームにフィットし始め4得点を叩きだす。だがJ11年目は5点に終わり本人にとっても、「僕はジェフではまだなにもしていない。」と話す通り消して、満足できるものでなかった。


2008年は2007年の考えて走るサッカーから方向転換を余儀なくされ、更にスタメン5人が抜けまさに1からチームを作り直さなければならなくなった。このようなチーム事情からも当然新居はFWの軸として期待をされていた。しかしオフシーズンに半月盤を損傷2008年当初は怪我からのスタートとなってしまった。怪我からの復帰戦の大宮戦ではベンチスタートとなるも1点ビハインドの後半途中からピッチに入ると、終了間際にオーバーヘッドでゴールを決め、ジェフに新居あり、そして新居の復活を誰しもがよろこんだ。しかし、1から作り直したチームは勝ちがなく、クゼ監督からアレックス・ミラー監督に交代を余儀なくされると、新居はFWとしてでなくウイングとしての役割を与えられることとなる。しかし監督交代直後の大分戦では決勝点をアシストするなど、適応力とポテンシャルの高さを伺わせた。2008年はFWとしての役割が少なかったことから本人は2007年より満足はできるものでは無かったはずだ。しかし、2008年ホーム最終戦残留をかけた試合では、2点ビハインドの後半からピッチに入ると反撃の狼煙の1点、とどめの1点をアシストするなど奇跡の残留の立役者となった。


2009年も2008年からチームの大きなコンセプト変更はなく、新居にとっても不満の年であった。チームは勝てず、試合にはスタメンではない。サブとして出場しても数分、夏にはまたも監督を代え今までコーチであったジェフOB江尻を監督にするも、出場機会は増えるも試合には勝てない日々が続いた。そして2009年待望のゴールは対京都戦相手ゴールキーパーが弾いたボールをお手本のようなボレーで決めたものであった。直後のゴールパフォーマンスで涙を見せる場面も、それが今年の新居の苦悩を語っていた。だが一向にチームは勝てず、チーム史上初の2部降格を味わうはめになってしまった。シーズン終了後、J2を知っている新居が来年はキーになるそんな思いがサポーターの中にはあった。しかし、蓋を開けてみればまさかの戦力外通告。


2010年、湘南ベルマーレに完全移籍


【所属チーム】
2002年〜2004年:コンサドーレ札幌
2004年:静岡FC
2005年〜2006年:サガン鳥栖
2007年〜2009年:ジェフ・ジェフユナイテッド市原・千葉
2010:湘南ベルマーレ
【リーグ戦出場記録】
J1 31試合8得点
J2 137試合46得点


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情報が入り次第更新していきますのでしばらくお待ちください。

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