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邪宗!禅(臨済・曹洞・黄檗) 

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詳細 2016年10月8日 05:11更新

禅宗では、仏の悟りを「月」に、経典を「月を差す指」に譬え、
仏の悟り(月)を得た後は、経典(月を指す指)は必要ないとし、
その教義は達磨の「教外別伝・不立文字」「直指人心・見性成仏」に代表されます。

「教外別伝・不立文字」とは、釈尊の教えの真意は文字などで表現できるものではなく、以心伝心といって、経典とは別に心より心へと伝えられるというものです。

「直指人心・見性成仏」とは、教経を用いずに坐禅の修行によって自分の心を見つめ、自己の本性が仏そのものであると知ることをいいます。

禅宗では「教外別伝・不立文字」と主張しているにもかかわらず、
本尊と所依の経典を定めています。

本尊は、釈迦牟尼仏・大日如来・薬師如来・観世音菩薩を中心として、宗派によってそれぞれ異なったものを立て、一定していません。

また、所依の経典も『金剛般若経』『楞厳呪』『観音経』等で、宗派によって様々であります。

禅宗では、釈尊の一代聖教には真実を顕さず、真実の法は釈尊が迦葉一人に、一代の教えのほかに別に伝えたといいます。
しかし、釈尊の涅槃のときには、迦葉はその場にいなかったのであります。
ゆえに、釈尊が華を拈んで迦葉尊者一人が笑みを浮かべたという事実はなく、禅宗でよく言う「拈華微笑」とは、まったく根拠のない作り話であります。

また「教外別伝・不立文字」と説き、仏の真意は文字を立てず心から心へ伝わるというが、「教外別伝・不立文字」と仏が説いたこと自体が教えであり、言葉であり、文字として残っているではないでしょうか。

不立文字とは文字を立てないことでありますから、当然、経典等は用いないことになりますのに、その根拠を『大梵天王問仏決疑経』の経文に依るとは自語相違でありましょう。

しかも依経としている『大梵天王問仏決疑経』は、大蔵経の古録である『貞元釈教録』『開元釈教録』にもその存在はなく、古来より偽経として扱われているのであります。

また、達磨は『楞伽経』を註釈した書物を作り、第二祖慧可に禅の法を伝えたとしていますが、これもまた「不立文字・以心伝心」の禅宗の教えに自語相違しています。

一代聖教を誹謗し、経典を捨て去り、教外別伝・不立文字を立てる禅宗は、
『涅槃経』の
「若し仏の所説に随わざる者あらば、是れ魔の眷属なり」と説かれるように
天魔の所業といわざるをえません。

さらに「直指人心・見性成仏」といい、教経を用いず、坐禅によって見る自己の本性が仏性であり、仏そのものとします。

たしかに衆生はすべて仏ともいえますが、それは単なる理論上の仏であって実際の仏ではありません。

三毒強盛の凡夫の心は所詮、迷いの心であって、その心をいかに見つめても仏心を観ずることはできません。

だからこそ釈尊は『涅槃経』に
「願って心の師と作るとも心を師とせざれ」と説かれ、
人の心は迷いの心であって、その心を師匠とすべきでない、と誡められているのであります。

完全無欠の仏を蔑ろにし、「是心即仏・即身是仏」などと凡夫の愚癡無慚の心をもって、
「我が心を観じることによって仏となる」という禅宗の教えは、随分と増上慢な教えと言えましょう。

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開設日
2013年7月2日

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カテゴリ
学問、研究
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