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JEAN ALESI (ジャン アレジ)

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コミュ内全体

詳細 2017年2月23日 00:52更新

ジャン・アレジ

国籍

フランス

F−1で所属したチーム

ティレル, フェラーリ,ベネトン, ザウバー,プロスト, ジョーダン

出走回数

202

優勝回数

1

通算獲得ポイント

241

表彰台(3位以内)回数

32

ポールポジション(pole position)

2

ファステストラップ (Fastest Laps)

4

F1デビュー戦

1989年フランスGP

初勝利

1995年カナダGP

最終戦(引退レース)

2001年日本GP


経歴

フランスのアヴィニョン生まれ。両親はシチリア出身のイタリア人のためイタリア語名ではジョヴァンニ・アレージ(Giovanni Alesi)となる。妻は日本人で女優の後藤久美子(入籍していない事実婚)。


F1デビュー

フランスF3選手権、国際F3000選手権などを経て、1989年フランスGPで、スポンサー問題で移籍したミケーレ・アルボレートの代役としてティレルよりF1デビュー。そのレースでいきなり4位入賞を果たし、注目を浴びる。この年は国際F3000にも継続参戦し(EJR:エディ・ジョーダン・レーシング、後のジョーダン・グランプリ)、チャンピオンを獲得した。


デビュー後

翌1990年ティレルからF1フル参戦(チームメイトはこの年ロータスより移籍した中嶋悟)。開幕戦アメリカGPではアイルトン・セナとの激しいバトルを繰り広げ、いきなり2位入賞。その後もモナコGPでも2位に入るなど活躍。
将来のチャンピオン候補と目され、ウイリアムズ、フェラーリとの2重契約問題の末、1991年にフェラーリに移籍。フェラーリに1995年まで5年間在籍したが、ちょうどチームの低迷期と重なり、1995年カナダGPで挙げた1勝にとどまる。
その後ベネトン、ザウバー、プロスト、ジョーダンなどを転々とし、2001年限りでF1を引退。2002年よりDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に参戦。現在にいたる。


F1ドライバーとしてのスタイル

卓越したマシン操縦力を持っていたが、不幸にもアレジがF1で活躍した時代は「ただ速く走る」から「レース戦略で勝つ」時代への変貌となっていた。マシン自体もアレジのようなブレーキを遅らせたドライビングスタイルでは結果が出しづらいようになっており、「10年遅く生まれてきたドライバー」という評価もある。ただ、その熱きドライビングスタイルに魅了されたファンが今でも多く、『記録よりも記憶に残る』ドライバーの一人として挙げられる。


エピソード

イタリア系フランス人、ジャンアレジ
彼は赤いレーシング・スーツがよく似合った。
アレジのF1での記録は、優勝回数1回、PP 2回。シリーズランキング最高4位。決して大成功したレーサーではない。 しかし、その記録を遙かに超えて、ファンの記憶に刻み込まれている。記録ではなく、「記憶に残るレーサー」まさに典型であり、彼は勝つことではなく、魂のこもった走りと決してあきらめない闘志でファンの心をつかんで離すことはなかった。 「正しい時に、正しい場所にいること」あるチャンピオンドライバーは、成功する秘訣をこう語った。 そう、アレジは正しいときに正しい場所にいなかった。頭での判断と、気持での判断が揺れ動いたとき、自分の気持ち正直に従ってしまったから・・・。 1990年アメリカGPでのセナとのクリーンで激しいバトルで一躍注目を浴びたアレジは、翌91にはウィリアムズに移籍を決めていた。ウィリアムズ・ルノーは90年にも2勝し、トップクラスのチーム。アレジがその才能を開花させるためには、最適のチームと思われた。 しかし、そこにフェラーリからのオファーが入る。フェラーリは90年A.プロストがセナとチャンピオン争いを繰り広げていた。フェラーリは新人が乗るチームでは無いとの一部の声を押し切り、アレジはウィリアムズとの契約を白紙に戻してまでしてフェラーリへの移籍を決める。 プレッシャーの大きさ、チームの勢い、色々と考えれば当時のアレジにはウィリアムズがベスト。それをわかっていながら、アレジにはフェラーリのドライバーになるというチャンスを逃がすことが出来なかったのだ。 しかし、フェラーリは次第に混乱、低迷していく。表彰台に乗ることはしばしばだが、勝利に手が届かない。 逆に、本来アレジが乗るはずだったウイリアムズのマシンに乗ったマンセルは快進撃を開始し、92年には圧倒的な速さでチャンピオンを獲得した。 アレジは正しい場所を間違えてしまったのだろうか。 しかし、アレジはフェラーリに身も心も捧げ、全身全霊でマシンを走らせていた。熱い走りは数多くのファンの心をつかみ、多くのファンの声援を受けながら走り続けた。 いかにティフォシ(熱狂的フェラーリファン)に愛されたか。97年ベネトンに移籍していたアレジがイタリアGPでPPを獲得すると、イタリアのファンはフェラーリに乗るシューマッハーよりも多くの拍手で祝福されたのだ。 シューマッハーと入れ替わる形で、ベネトンに移籍するが、そのブルーのスーツ姿に大きな違和感を感じたファンも多かったのでは無いだろうか。 その後、ザウバー、プロスト、ジョーダンと移籍し、2001年日本GP直前に突然引退を宣言。 多くのファンに惜しまれながらF1から身を引いた。 結局、アレジは熱い走りでファンを虜にしながらもチャンピオンになることは出来なかった。 正しいときに、正しい場所に。91年予定通りウィリアムズに移籍していたら、F1はセナとアレジ、そして後に台頭するシューマッハーの3強の時代となっていたかも知れない。 しかし、当時のアレジにとってフェラーリからの誘いを受けた以上は、選択の余地は無かったのだろう。結果がどうであれ、アレジにとってフェラーリこそ最も正しい場所だったのだ。


全成績

http://www.f1-data.jp/script/db/score/driver.php?ID=44


J.アレジ 公式HP(英語・フランス語表記なので、何書いてあるかわかりません^^;)

http://www.jean-alesi.com/



こんな熱いドライバー J.アレジについて語りましょう!
昔の思い出に残ってるレース・シーン・最近の近況などなど色々語りましょう 皆さん気軽にカキコお願いします☆

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