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走水神社

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コミュ内全体

詳細 2016年7月4日 09:04更新

☆走水神社(はしりみずじんじゃ)

☆所在地
 神奈川県横須賀市走水2丁目

☆御祭神
 ヤマトタケルノミコト
 オトタチバナヒメノミコト

☆旧社格 郷社

☆祭礼
 祈年祭  3月上旬日曜日[春祭り]
 夏季例祭 隔年7月20日前後の土日[天王祭]
 例大祭  10月15日
 他

☆摂社
 神明社・須賀神社・諏訪神社・稲荷社

☆記念碑など
 弟橘媛命記念歌碑「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」(明治四十三年建)

 庖丁塚「庖丁と鳥獣魚介菜類等食物に感謝」(昭和四十七年建)

 舵之碑「弟橘媛命の顕彰と海の平和安全を祈る」(昭和五十年建)

 針之碑「草枕 旅の丸寝の紐絶えば あが手とつけろ これの針持し」針と衣類等に感謝(昭和五十八年建)

 顕現之碑「武尊と橘媛命の愛と御神徳を崇める。」(平成三年建)

※ 特に神社本殿裏手にある弟橘媛命記念歌碑は、発起人がスゴイです。

  海軍大将正3位勲1等功1級 伯爵 東郷平八郎
  海軍大将従2位勲1等功1級 伯爵 伊藤祐享
  海軍大将従2位勲1等功2級  子爵 井上良馨
  陸軍大将従2位勲1等功1級 伯爵 乃木希典
  海軍中将従3位勲1等功1級 男爵 上村彦之丞
  陸軍中将従4位勲2等功2級     藤井茂太     
  枢密院顧問官兼御歌所長従2位勲1等 男爵 高崎正風
階級や官位は当時のものです。特に東郷平八郎と乃木希典が連名であるのに注目。他にはあまり例がないそうですよ。


☆走水神社由緒
 神社の創建は、資料の焼失により不明。

 伝承は『古事記』と『日本書紀』に見える、ヤマトタケル東伐の物語に依拠する。

 第十二代景行天皇の皇子、ヤマトタケルは天皇の勅命により、東国の蝦夷征伐の旅に出た。途中、伊勢神宮で戦勝祈願をし、その際に斎宮であったヤマトタケルの叔母ヤマトヒメから宝剣を授かる。これが「天叢雲之剣(アメノムラクモノツルギ)」である。
 旅の途中、駿河(『古事記』では相模のこととされる。これは後のオトタチバナヒメの和歌につながる。)で賊にだまされて焼き討ちにあうが、宝剣で草を薙ぎ払い、火の方向を賊に向け直して難を逃れた。この時から天叢雲之剣は「草薙之剣(クサナギノツルギ)」とも呼ばれるようになった。また野原が焼き払われたことから、「焼津」の地名がついたとされる。

 更に旅は続き、一行は東京湾を渡って房総半島へ向かおうとした。これは古代の東海道の一部で、この旅程が一般的だったのだそうだ。
 しかし海が大シケで、一行は立ち往生するハメに。この時に一行の宿を世話した土民に、ヤマトタケルは自分の冠を下賜した。この冠を祭ったのが走水神社の創建だという。
 ヤマトタケルの妃で、この一行に同行したオトタチバナヒメは、みずからが生け贄となって海の神を鎮めると申し出て、大シケの海に入水した。するとたちまち海は凪ぎ、一行は旅を再開することができた。
 その七日後、オトタチバナヒメの櫛が海岸に流れ着き、それを納めた御陵をつくることになった。これが後の橘神社になったということだ。橘神社は、一行が陣営を張った「御所ヶ崎」にあったが、明治十八年に「御所ヶ崎」が軍用地として国に接収されたため、走水神社の境内に移された。その後明治四十二年に走水神社に合祀され、以後、走水神社の後祭神は二柱となり、現在も近隣の尊崇を受けている。



 ここで『古事記』と『日本書紀』原文を紹介しましょう。原文はもちろん漢文ですが、便宜上、岩波大系本の訓読文を見ていくことにします。

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 『古事記』

《書き下し文》
 其より入り幸(い)でまして、走水の海を渡りたまひし時、其の渡(わたり)の神 浪(なみ)を興(おこ)して、船を廻(めぐら)らして得(え)進み渡りたまはざりき。
 爾(ここ)に其の后(きさき)、名は弟橘比賣命(おとたりばなひめ)白(もう)したまひしく、「妾(あれ)、御子に易(かわ)りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政(まつりごと)を遂げて覆奏したまふべし」とまをして、海に入りたまはむとする時に、菅疊(すがだたみ)八重・皮疊(かわだたみ)八重・絁疊(きぬだたみ)八重を波の上に敷きて、其の上に下り坐ましき。
 是(ここ)に其の暴浪(あらなみ)自(おのづか)ら伏(な)ぎて、御船得(え)進みき。
 爾に其の后 歌ひまひしく、
  「さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも」
とうたひたまひき。
 故、七日の後、其の后の御櫛(みくし)海邊に依りき。乃ち其の櫛を取りて、御陵(みはか)を作りて治(おさ)め置きき。〔中巻〕


《現代語訳》
 それから進んでいって、走水の海を渡ることになった時、走水の海神が大シケをおこしたので、船がグルグルと回ってしまい、進むことができなかった。
 この時、ヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが、「私が代わりに入水いたします。あなた様は命じられたお仕事をこなし、陛下に復命なさいませ。」と仰って、入水しようとしたのだが、その時には、菅の敷物と皮の敷物と絹敷物を八枚づつ波の上敷いて、その上に降りるように入水なさった。
 こうして、この大シケは自然とおさまり、ヤマトタケルの船は進めるようになった。
 この時オトタチバナヒメは、「相模の野原で焼き討ちにあった時に、火中にありながらも私のことを気づかって、私の安否を尋ねてくださった愛しいあなたさまよ。」とお歌いになった。
 その七日後、オトタチバナヒメの櫛が海辺に打ち寄せられた。そこでその櫛を拾って、陵墓を建ててその櫛を納めた。


『日本書紀』

《書き下し文》
 亦(ま)た相模に進(いでま)して、上総に往(みた)せむとす。海を望(おせ)りて高言して曰はく、「是(これ)小さき海のみ。立跳(たちおどり)にも渡りつべし。」とのたまふ。乃ち海中に至りて、暴風忽(たちまち)に起りて、王船漂蕩(ただよ)ひて、え渡らず。
 時に王(みこ)に従ひまつる妾有り。弟橘媛と曰ふ。穂積氏忍山宿禰の女(むすめ)なり。王に啓(もう)して曰(もう)さく、「今 風 起き 浪 泌(はや)くして、王船没(しず)まむとす。願はくは賤(いや)しき妾が身を、王の命に贖(か)へて海に入らむ」とまうす。言訖(おわ)りて、乃ち瀾(なみ)を披(おしわ)けて入りぬ。暴風即ち止みぬ。船、岸に著(つ)くこと得たり。
 故、時人、其の海を号(なづ)けて、「馳水(はしりみず)」と曰ふ。〔巻七〕


《現代語訳》
 続いて相模に進み、ここから房総半島へ渡ろうとしていた。ヤマトタケルは海を眺めて、「これは小さな海であるな。立ったままからの跳躍で飛び越せそうだ。」と仰った。すると、船で海に出た時に、たちまち暴風が起こり、船が漂流して渡れなくなってしまった。
 この時、ヤマトタケルに付き従っていた女性がいた。オトタチバナヒメといって、穂積氏忍山宿禰の娘である。彼女はヤマトタケルに、「今 暴風が起き、波は高く、今にも船が沈みそうです。どうか私の身をあなたさまの命に代えて、私が入水することをお許しください。」と仰った。その言葉を言い終わって、そこで波をかきわけるようにして入水した。すると暴風はすぐさま治まった。そして船は岸に着くことができた。
 時の人は、この海に「馳水(走水)」と名付けた。

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 この二つの伝承をまとめると、以下のようになります。

 一、ヤマトタケルが景行天皇の命により、蝦夷征伐へ旅立ったときに、東京湾を渡って房総半島へ出ようとした。『日本書紀』では、景行天皇四十年十月の条に載せる。

 二、ヤマトタケルの一行には、オトタチバナヒメという妃が同行していた。ただし『日本書紀」の原文には妃と明記されていない。

 三、東京湾を渡ろうとする時に、大シケに見舞われて、海を渡ることができなくなった。『日本書紀』によれば、ヤマトタケルの暴言が、海の神を怒らせたことが原因となっている。

 四、本来ならヤマトタケルみずから海の神を鎮めなければならなかったが、代行者としてオトタチバナヒメが入水して海の神を鎮めた。その結果、海は凪いだ。『古事記』では、ヤマトタケルが天皇の勅命を奉じているため、その仕事を中断することはできないから、という理由付けがなされている。

 五、オトタチバナヒメは入水の際に、敷物を用意するなどの儀礼的な手順を踏んでいる。当時の鎮魂儀礼あるいは生け贄儀礼の様式を知る際には重要な資料だろう。ただし、『日本書紀』には記載が無い。

 六、オトタチバナヒメは入水の際に、和歌を詠んで遺した。辞世の句という見方もできるが、これも鎮魂儀礼の一部と見ることもできるかもしれない。ただし、『日本書紀』には記載が無い。

 七、オトタチバナヒメの櫛は、七日後に海岸へ打ちよせられた。その櫛を納めた御陵が建設されたが、これが後の橘神社となるのであろう。ただし、『日本書紀』には記載が無い。

 八、この時の大シケの海流の速さから、水が馳せるかのようだ、ということで「馳水」と名付けられた。後に字を当て変えて「走水」となったのだろうか。ただし、『古事記』では始から走水という地名が記載されている。


☆おまけの後日譚

 ○ ヤマトタケル一行は無事に房総半島を渡ったが、ヤマトタケルはオトタチバナヒメを偲んで長くこの地に留まった。そして「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」という歌を作ったとされる。この第一句の「君さらず」がこの地の地名となり、「木更津」と字があてられたという。

 ○ ヤマトタケル一行が無事に東国征伐をおえて帰途についた際、碓氷峠より遥か東方の海を眺め、三度ためいきをついて「吾妻はや(私の妻よ)」と仰った。これ以後、東国を「吾妻・我妻(あづま)」と言うようになったという。



 このヤマトタケルとオトタチバナヒメの伝承は、日本神話の中でも一級品の悲劇であり、長く愛好されてきました。神社の中の諸物もそうですが、走水のあちこちにも、この伝承にまつわる遺跡があります。また隔年挙行の夏季大祭に含まれる儀礼にも、もちろん伝承を踏まえたものがのこっています。

 ヤマトタケルとオトタチバナヒメの、美しくも悲劇的な伝説に興味のある方は、是非一度足をお運びください。




☆オカルトスポットとしての走水神社
 一部のオカルトファンの方々の間で、走水神社は一種のパワースポットということで名が知れているらしいのです。これはWebで走水神社を調べている時に気付きました。
 それによると、大本教の出口王仁三郎という人、これは近代宗教家のビックネームとして、かなり有名な人物ですが、この人が走水神社で啓示を受けたのだとか。ただ残念ながら、資料的な確認はできていません。


☆近隣の史跡

御所ヶ崎
 ヤマトタケルが御滞在したときの御座所のあった所

旗立山
 ヤマトタケルが征軍の旗を立てた所(御所ガ崎の後背)

御座島
 ヤマトタケルとオトタチバナヒメの訣別のお盃があった所(神社前の岩礁)

皇島
 ヤマトタケルが軍船に乗船された所(御所ガ崎の北岩礁)

むぐりの鼻
 オトタチバナヒメの侍女等が殉じた所(御所ガ崎の最先端岩礁)

伊勢山崎
 ヤマトタケルが伊勢神宮で授かった御神符を祀った所


☆その他の観光スポット等

走水水源地

 走水は古来水が豊富なことでも著名でした。「走水」という地名も、上に見た『日本書紀』によるという説の他にも、この土地の水の豊富さから付けられたという説もあります。
 走水水源地は横須賀市唯一の水源で、明治時代にお雇い外国人のヴェルニー(仏国)が開発しました。その施設の一部は現在も稼働中だそうです。
 また走水水源地は桜の名所としても有名で、一昨年より、桜の時期限定で一般開放されています。この時には水源地の美味しい水も飲めます。お花見の場所選定の候補にどうぞ。

 この水源と同一思われる湧水は町のアチコチにあります。神社の境内にも出ていて、手水場の水が該当するようです。水源地の水よりも、町の井戸水の方が、処理されていない分だけ美味しいかも知れませんね。


観音崎公園

 県立の自然公園です。東京湾に大きく突き出した岬に広がり、シイやタブなどの照葉樹が深い木立をつくり、東京湾岸では貴重な“自然の宝庫”となっています。
 海と山が一体となっているので、園内では植物や小鳥・小動物だけでなく、小魚やカニなどの小動物たちと出会えます。
 また、日本最初の洋式灯台である観音崎灯台や、観音崎自然博物館なども楽しめます。さらに現在美術館も建設中。公園散策で疲れたら、京急観音崎ホテル内にある海洋深層水スパ「SPASSO」で汗を流すのもいいでしょう。


走水海水浴場

 横幅700メートルほどのビーチです。雰囲気はとてものんびりしていて、近くに停泊する漁船の姿などにも古びたイメージがあって心なごまされます。夏場は海の家も営業し、ボートのレンタルもやっています。あまり混雑しないので、家族連れには最適です。


☆走水の名産品

海苔
 走水・大津の海苔というのは、全国ブランドなんだそうです。地元の海苔が旨いというのは、大人になってから気付きました。それまでは、それがアタリマエだったので。
 一般に店頭には並ばないと思いますので、買いたい方はネットなどで調べる必要があります。あと、ふるさと小包にも入っていたかもしれません。


走水アジ
 魚の鯵(アジ)です。これの漁業関係者の間では超有名。「西の関アジ、東の走水アジ」という言葉があると、以前釣り船で同席したおじさんが言っていました。
 たしかに、走水のマアジは最高に旨いです。本当に別物ですよ。走水にはアジ釣りの遊漁船もたくさん出ていますから、自分で釣って味わってみてください。



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走水神社写真館
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紹介文改定と管理人交代のお知らせ
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