mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > 学問、研究 > 長慶天皇

長慶天皇

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2013年6月10日 01:47更新

ナゾの天皇・第98代天皇、長慶天皇について語るコミュニティーですぴかぴか(新しい)




【長慶天皇】



南北朝末期の天皇。興国4年誕生。(※康永2年とする説あり)〜応永元年崩御。


明治44年(1911)、明治天皇が南北朝論争で南朝を皇統の正統とする勅語が下り、第98代目の天皇に加えられる。御名:寛成(ゆたなり)親王


資料の少なさから実在したか、在位していたか論議が別れていて室町時代・戦国時代から江戸時代・明治の半ばにかけて、長年の「謎」とされてきた。しかし、明治天皇が南北朝時代の皇統について、後醍醐天皇の流れを汲む南朝を皇室の正統と下すと本格的な研究がされ大正時代に入り、八代国治と武田祐吉の学者が実証的な研究をおこない在位が明確され、宮内省の調査がおこなわれ、大正15年(1926)、大正天皇(その時期は摂政宮)より皇統加列の詔書が下り、長慶天皇の実在が公認された。


出生・生い立ちは不明。祖父は後醍醐天皇。父は後村上天皇で、吉野の安在所(現在の吉野神宮の場所)で立太子をおこない、皇太子となる。

正平元年(応安元年=1363)3月、26歳で摂津国住吉(現在の大阪市住吉区)で即位し、弟の熙成親王を皇太子とした。


南朝は北畠親房らの重鎮を失い、著しく弱体化して、この時期の事績が不明瞭なことから長らく長慶天皇の存在や在位していたか否かは明らかでなかった。


長慶天皇陵は天皇の資料がないため、まるでわからず、宮内省が近畿地方の神社仏閣、旧家や伝説地を調べたが、わからなかった。しかし、南朝の皇子や末裔たちは南北朝統一によって、吉野から引き揚げて京都に戻っていると思われ、また、長慶天皇の事績を記した数少ない文献の中にある慶寿院という寺は皇子の承朝王でのち仏門に帰依した海門承朝がいた京都・嵯峨野にあった天竜寺慶寿院にちなむと考え、天皇は晩年をこの寺院内で隠居して過ごしたと考えられ、崩御したときはこの寺の内で供養が行われたのではと思われ、大東亜戦争中の昭和19年(1944年)、昭和天皇の勅裁を仰ぎ、天竜寺慶寿院があった跡地を整備して嵯峨東陵が作られた。
御陵のとなりに皇子の承朝王陵も造営された。

※参考・Wikipediaより一部引用

コミュニティにつぶやきを投稿

最近の投稿がありません泣き顔
つぶやき・トピック・イベント・アンケートを作成して参加者と交流しようわーい(嬉しい顔)
参加メンバー 7人

もっと見る

開設日
2012年4月26日

1974日間運営

カテゴリ
学問、研究
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!