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ガイ・フォークス

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詳細 2016年12月21日 17:19更新

ガイ・フォークス

1570年4月13日(ユリウス暦) – 1606年2月10
は、1605年にイングランドで発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物である。
立派な髭を蓄えた、赤毛の偉丈夫であったと伝えられる。

なお、「男、奴」を意味する英語「ガイ(guy)」は、彼の名に由来する。


ガイ・フォークスは、ユリウス暦1570年4月13日にヨークで生誕した。
父エドワード・フォークスと母イーディス・ブレイクは、共にプロテスタントであった。

両親は幼い息子をヨークのフリー・スクールに入れた。
ここで彼は、トマス・モートン
オズワルド・テシモンド
そして後に火薬陰謀事件の共犯となる
ジョン・ライト
やクリストファー・ライトと知り合った。

1578年、父エドワードが死去。
スコットンへ移ったイーディスは、ディオニス(デニス)・ベインブリッジと再婚した。
ベインブリッジは多くのカトリック信者の家庭と関係が深く、この縁によりフォークスはカトリックの教えを奉ずるに至った。なお、ベインブリッジとイーディスは、フォークスに与えられた遺産を使い込んだといわれる。

1590年、フォークスはスコットンにて妻マリアと結婚し、
彼女との間に
息子トマス
娘マリアをもうけたとされる。
ただし、これらの記述は、教区記録による情報ではなく二次資料からの引用とみられ、正確性は不明である。

1593年頃、いとこと共にイングランドを離れ、フランドルへ渡った。
この地で彼は、オーストリア大公アルベルト(後のネーデルラント長官)指揮下のスペイン軍に加わった。
勇猛で博学、かつ高潔であるとして兵士からの信頼を集め、1596年には指揮官として
カレー攻略に貢献した。
彼の名声は、ウィリアム・スタンリー
ヒュー・オーウェンらの関心を惹いた。


この頃イングランドでは、国王ジェームズ1世の国教会優遇政策により、カトリック教徒は弾圧を受けていた。
これに反発したロバート・ケイツビーは、
ジェームズ1世が上院の開院式に出席したところを爆殺する計画を目論み、協力者を探していた。

この時、熱心なカトリック教徒であり、かつ従軍経験のあるフォークスが、彼の目に留まった。

フォークスは1604年5月、
ロンドンのストランド地区にある「ダック・アンド・ドレーク」という名の宿でロバート・ケイツビー、ジョン・ライト、及びトマス・ウィンターに会い、トマス・パーシーと共に陰謀に加わる誓約に合意した。
彼はパーシーの使用人ジョン・ジョンソンなる肩書きのもと、行動を開始した。

パーシーが借りた家の管理を任されたフォークスは、
ここからウェストミンスター宮殿内の議場地下に至るトンネルの掘削を行ったが、極度の重労働であったことから放棄され(トンネルの掘削は事実ではなく、フォークスらの取調べの際に捏造されたものとされる)、

1605年3月頃、彼らは議場地下の石炭貯蔵室を借りることにした。フォークスはパーシーと共に、この地下室を火薬の樽で満たすのを手伝った。その後、スタンリー及びオーウェンに陰謀の詳細を伝えるためにフランドルへ急派された。

余談だが、8月末にロンドンに戻ったフォークスは、
聖クレメント教会の裏手に住む未亡人・ハーバート夫人の家に住んだ。
しかし、程なくして彼女が彼とカトリックとの関係を疑い始めたため、彼はこの家を去ることを余儀なくされた。
この一件は、カトリック信者であるということが如何に危険であったかを示している。


10月26日、
「議会の開院式への出席は危険である」と警告する匿名の書簡が、第4代モンティーグル男爵ウィリアム・パーカーの元に届けられた。

これを知った陰謀者の間で懸念が噴出したが、
書簡の記述が抽象的であったこと、また火薬に荒らされた形跡がなかったことから、ケイツビーは計画の続行を決意した。

フォークスは、火薬の見張りと点火の任を帯びて、宮殿地下に籠った。
しかし11月5日未明、治安判事トマス・ナイヴェットらの捜索により、フォークスは逮捕された。


11月5日早朝、フォークスは国王の寝室に連行され、
尋問を受けた。

彼は、「トマス・パーシーの使用人ジョンソン」という嘘の肩書きを語ったほかは、いかなる情報の提供も拒否した。

しかし拷問の結果、自らの本名と、陰謀に関わった者の名を自白した。

彼に対する裁判はウェストミンスター・ホールで行われた。
裁判とはいっても名ばかりのものであり、
有罪の評決が下されることは初めから決定済みであったとみられる。

フォークスは1606年1月31日
首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑
と呼ばれる、国王に対する大逆罪を犯した、
貴族でない男性にのみ執行される極刑に処せられた。

フォークスは、それまでに受けた苛烈を極める拷問と病で衰弱し、
死刑執行人の手を借りねば絞首台にも登れない程であったという。

また、首を吊られた時点で衰弱の為に絶命してしまったらしいことが、
記録として残っている。


フォークスは、ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われているが、スコットランド方面では自由を求めて戦ったとして英雄視されている。

ガイの犯行についてはイギリスの伝統的な子守歌である『マザー・グース』にも見られる。

イギリスのコミックを原作とし、
2006年に公開された映画作品『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公「V」は、ガイ・フォークスの仮面を被っている。
彼は独裁体制の破壊をもくろむアナーキストであり、
原作コミックでは初登場の時点で反逆者の代表としてフォークスに言及していた。

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