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90年代サブカルチャーの総括

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詳細 2017年1月24日 20:06更新

青山正明、ねこぢる、ペヨトル工房の編集者だった妻に先立たれた、「危ない1号」の元編集長、吉永嘉明が記した「自殺されちゃった僕」。

作者が訴える、自殺する人を少しでも減らしたいというメッセージも大事だが、この本は実質、90年代サブカルチャーの総括でもあると思う。作者は「僕は間違っていた」という確信の一言を延べられず、その周縁の言葉を選ぶように綴っているように読めた。

昔のクイックジャパンが面白かったとか、GON!が面白かったとか、宝島30ってあったよな等、郷愁に浸る事を一時止め、このあたりで90年代サブカルチャーを総括してみよう、というコミュ。

数多のスターと廃人を生み出した90年代サブカルチャーについて、例えば石丸元章と鶴見済。例えばコーネリアスと小沢健二。現役/隠遁という両者を隔てた理由を探る等、トピックには事欠かない。

検索用用語は順次拡充。
<敬称略>

検索用用語。語りうるべき視点の幾つか。
中森明夫の東京トンガリキッズは今読むに耐えられないのは何故だろう。80年代に高校生だったら感動しながら読んだと思うが。鈴木邦男は最早サブカルだよね。憂国のコペルニクスとか。格闘技評論もやってるし。裸のラリーズをあえて否定しないか。阿部薫って坂本九の親戚らしいね。BURST復活してるよね。見沢知廉追悼記事は良かったよ。宮台真司って、制服少女の選択な自分の言説を否定したらしいね。それで朝日新聞でケーダブシャインと対談したり。真心ブラザーズ戻ってきたね、まだ新曲聴いてない。伊集院光のラジオを未だに聴いている。90年代初頭に、ラジオを通じて繋がっていた、電気グルーヴとかスチャラダパーとか真心ブラザースとか伊集院光とか浅草キッドとかが好きだね。インターネット草創期にワイアード、WIREDとかで山形浩生が書いていたネット論は今でも有効。サブカルライターって彼みたいな人が余興でやるべきなんだろうね、本当は。<第一弾→第二弾>三多摩に響きうる音楽としての空気公団の希求の理由を知りたい、DMBQの誰かと、ゆらゆら帝国の坂本が話していたけど、村上龍の限りなく透明に近いブルーに惹かれて訪れる最初の福生の、情けなさといったらないよね。私は駅前のマクドナルドで59円のハンバーガーを食ってアメリカを感じたけど、それっていつもの事で、福生まで行ってすることじゃない。ロッキングオンとSNOOZERの差異を必死に見つけて、どちらかにつくことでアイデンティティを保つ事はもうやめにしたよね。渋谷のサウンドデモが瓦解した本当の理由を知っていれば、音楽と政治なんて、しょうもないレベルの話でしかない。大塚英志が言うように、小林よしのりのゴーマニズム宣言で知る柄谷、浅田、スガ、松原、宮哲、それぞれの名前。上野俊哉ブームって一時期より冷めたよね。ピュアな連帯関係を求めず、中村一義の孤独を見習うべく江戸川土手に行ったらいいんじゃないかい。でもそれを言っちゃあおしまいよと、寅さんが嘆く。<第二弾→第三弾>駄洒落だろうけれど(第何弾と<弾>)、元オンザエッヂの小飼弾は、相当日本共同体、立川談志言う所の日本教に憎悪がある。多分村上龍と対談すればすごく話が合うと思う。そんな龍の思い通りのならないまま、レゲエが消費されてゆく。サルサが消費されてゆく。プエルトリカン、ジャマイカンの心の叫びは何処へ届く!サルサは龍で、レゲエは中上。実は中上健次はボブマーリーにインタビューまでしている。ボブマーリーが癌で死んでいる所が僕がドラッグカルチャーを強行に否定する理由の一つ。飲んだときはダザいJポップに限る。篠原ともえが、ロッキングオンジャパンのアンケートで(確か二十世紀総括ぐらいの題目だったと思う)で、私に影響を受けた音で「チボマット」を挙げていたけど、もっとあるだろう。言えない何かが。そんな「チボマット」も包括する、90年代アメリカンなオルタナティブに最近興味がある。音楽のみではない。このメディア自身=インターネット=オルタナティブであった時代。今はネットワークが発達した分、何が出来て何が出来ないかがわかってしまっている。むしろ、全てが出来る万能感の方を受けたい。青臭さはそこで生きる。それでも一回転して、浅野いにおの「素晴らしい世界」が何かよくなったりしている。既に僕らは「さくらの唄」のトラウマも乗り越えないまま、むしろ忘却したかのように。最近買った「オルタカルチャー」なる本に全て記されている。アシッドジャズ、トランス、グランジ。もういいです。欲しいものはジャミロクワイのふかふかな帽子だけです。(第三弾→第四弾)TBSラジオで平日の昼間に放送されている「ストリーム」という番組があって、その中で「コラムの花道」というコーナーがある。これはゲストを招いて、ワンテーマで20分喋ってもらうのだが、その面々は吉田豪、町山智浩、大槻ケンヂとサブカルな面々が揃っており、ネット配信もなされている。先日の大槻ケンヂの回は自身のユニット「空手バカボン」について語っていたのだが、そこで東京で五人ぐらいしか知らない情報という話題になった。これはオーケン自身が、中高時代に組んでいたバンドを知っている奴に出会って驚いたというものである。その後、ケラリーノサンドロビッチ(当時ケラ)のナゴムレコードあたりの話題になっていくのだが、そうなると千人くらいは知っている話題になる。多分一万部くらい出ていそうな「ナゴムの話」という本もある。どんどん数が増えてくるが、惹かれるのは最初の五人くらいしか知り得ない情報というもの。東京で五人、と言えば私が高校時代に監督した映画、大学時代に編集していたミニコミを知り得るものに出会えそうな気はする。私の側にいた誰かではない、全く知らないが、見ましたよ、読みましたよという人が現れるのならば、世の中の狭さを知り、自らの自惚れが蘇りそうな気はする。今私の手元には「学院雑誌43」という冊子がある。図書館のリサイクルコーナーで見つけた。これも東京で五人という言葉が似合うものだと思う。「学院雑誌」は、早稲田の附属高校が文化祭において毎年一冊発行する雑誌らしく、発行年は96年となっている。特集として「テクノ」が取り上げられており、ele-kingの野田努との対談も載っている。高校生が作った事を考えれば上出来の内容ではある。幻想かも知れないが、偏差値40くらいの学校に通っていた身としては、偏差値が高めの学校は、相対的に文化的レベルが高いんじゃないかとずっと思っていた。高校時代、学校でクイックジャパンを読んでいたのはクラスに一人でさえなく、学校で一人だったと断言できるが、他の学校にはいたんじゃないかと思っている。それでも二人か三人だろうが、二倍と三倍である。木更津の書店だけで二十冊くらいは入荷していたから、他にも消費者は確実にいたはずだ。件の「学院雑誌」の編集人は「WIRED」という言葉を盛んに記していた。インターネットに関する記事や、テクノが特集されている所、確かにワイアードである。単なる作文集にはなっておらず、確実に「編集」された「雑誌」の体を成している所はすごい。巻末に三年生全員の一言コメントが記載されており、バカらしさが溢れていて、これは全国共通。(第四弾→第五弾)何やら変則的なサブカルばかりを示してきたので、今回はベターに行こうと思う。ただ、どこまで行ってもゲームとプロレスの話だけはわからない。と、ここで一つ妄想があって、浅野忠信が初主演作に選んだ事でも知られる「ヘルプレス」という映画があって、監督の青山真治は、ブライアンウィルソンと中上健次とマイルスデイビスを敬愛している人で、格闘技とゲームはわからない人らしいのだが、私の趣向と合致する。ただこれは、単に青山映画が好きな人は、ビーチボーイズも中上もマイルスもきっと好きになるという当たり前の事実に帰結するだけなのだが。そして今回の話題。コラムニストの石原壮一郎とオバタカズユキが編纂した「大学図鑑」という書物があって、最新版である2005年版を図書館で読んだ。このシリーズは、1999年に大学ミシュランという名目で刊行されたのが最初だったと思う。以降年度事に改訂版が出されている。メンタツに習って、殆ど描写は変わらずなのだが、細かい所を見ていくと大きな変化がある。特に、和光大学に関する記述が、文化祭前日の終わらない準備期間が延々と続く、押井守「ビューティフルドリーマー」のような大学として紹介されていたのが、「かつて」そういう空気があった大学として紹介されていた点だ。松本大洋と吉田戦車とオリジナルラブの田島貴男と、「たま」のランニング、と大学出身者を眺めてみれば、魅力的な大学に見える。中高まで含めれば、四人囃子や、小沢小山田まで出てくる訳で、一時期編入試験を受けようかとも思っていた。ただ、私は天の邪鬼なので、和光に行っていたらミニコミを作りはしなかっただろうし、今の仕事をやる事もなかっただろうと思う。なので、君は昔ならヘルメットを被っていたねという、教授の意見は間違っている。多分、私は楯の会に入っているか、何もしなかったかのどちらだろう。だから今、ムーブメントとさなってるリストカットやってます、クスリ飲んでますのメンヘラーにはならない。リストカットと言えば、「コロンバインハイスクールダイアリー」の解説を解説の中で、大澤真幸が、コロンバインは外部に暴力が及んだ最後の世代で、以降暴力は内向化して、それに代表されるのがリスカ、だというのはまっとうな指摘だと思った。最近、買った山田花子自殺直前日記を読むタイミングを計らいつつ、彼女の本棚にあったという寺山修司「田園に死す」を見返すタイミングも同じく模索しながら、電気グルーヴ「俺の体の筋肉はどれを取っても機械だぜ」を読み返しながら、せきしろとか椎名基樹とかカーツ佐藤あたりの何となく自由業へ憧憬を募らせる。泉麻人とかいとうせいこうとか、みうらじゅんとかもいるけど、変な言葉だがその辺りは敷居の高い自由人。実は苦労人で、根が真面目な石野卓球や、ピエール瀧とかいう結論に行き着くのは一番避けたい所。(第五弾→第六弾)僕はブックオフに行くと雑誌と百円棚しか眺めないのだが、懐かしいベストセラー本やタレント本に混ざって稀少本が混ざっている事がよくある。ブックオフは発行年で価値付けを行っているので古い本=価値無しとされてしまい、レア本が百円棚に混ざるようになっている。そこで阿部和重「シンセミア」や、小熊英二「民主と愛国」、ドゥールズ=ガタリ「千のプラトー」なんかに、出会えやしないかと日々、百円棚を巡っている。そんな百円棚で最も出会う書物として、「VOWにっぽん温泉」がある。宝島社から出ている「VOW」シリーズの一つで、温泉場の面白写真が紹介されているもので、表紙は浴衣姿の蛭子能収なのだが、これを見る度に「えびす温泉」を思い出してしまう。「えびす温泉」とは、九十年半ばにテレビ朝日の深夜で放送されていたポストイカ天とも言える番組で、ブランニューモンキーズやカスケードやスキップカウズが出ている。ブランニューモンキーズといっても誰も知らないと思うが、今はジャニーズ楽曲のブレインとして活躍する井手功二が組んでいたラップユニットで、その後井手は、ニッポン放送で「ゲルゲットショッキングセンター(通称ゲルゲ)」なる番組を始め、チャミグリという新ユニットを組むようになる。当時僕は熱心なゲルゲリスナーで、そこから「えびす温泉」への興味は発生する事になるのだが番組は一度も見たことはない。当時深夜番組にあった「稲中卓球部」「GAHAHAキング」や、女子高生が作っていた番組は何となく観ていた記憶はあるのだが、「えびす温泉」だけはテレビ欄に載っていた名前を覚えているだけだ。そして同時期に書店に並んでいた蛭子さん表紙の「VOW」の印象と相俟って、エビス繋がりの記憶が生まれる事になったのだ。実は自身が最もアンダーグラウンドであったのはこの頃ではないかとも思う。情報量が少なかった事もあるかもしれないが、テリー伊藤「お笑い北朝鮮」、爆笑問題「日本原論」、「GON!」「世紀末倶楽部」、これからの書物が並ぶ書店には明らかな妖しさがあった。この頃の空気を仔細に思い出す度に、九十年代には何もなかったはずはないと思い直すのだが、瞬間に気持ちは戻る。(第六弾→第七弾)実家の棚に転がっていた無記名のテープを再生したら、鹿野淳のオールナイトニッポンが入っていた。99年の1月2日放送で、当時の肩書きはBUZZ編集長。番組の内容はインターナショナルジャパニーズロックと題して、世界に出てゆくべき、若しくは世界で活躍する日本人アーティストを紹介するものだった。コーネリアスの「ニューミュージックマシーン」から始まり、ピチカートファイヴ、嶺川貴子、ボアダムズ、バッファロードーターとAMらしからぬ楽曲が次々とオンエアーされていた。リスナーからのファックスも次々と紹介され、フィッシュマンズやスーパーカーが世界に行くべきだとの声が紹介されていく。実はフィッシュマンズは海外のレーベルからオファーが来ていた話や、スーパーカーのセカンドアルバム「ジャンプアップ」のデモトラックを聴いたら、ドラムンベースやブレイクビーツが使われていた裏話を、鹿野編集長が次々と明かしていった。これは佐藤伸治がまだ生きていて、SUPERCARがへなへなギターロックを奏でていた時代なのだ。(そしてこの年、エゾロックことライジングサンは最高の取り合わせを作った。真夜中のミッシェルと椎名林檎と夜明けのサニーディーサービス)実はこの放送は何となく聴いていた記憶はある。若い兄ちゃんが、日本の音楽を紹介していたなと。後にロッキングオンジャパンやメイドインジャパンの音楽批評など意識する前、既に萌芽は掴み取っていたのだなと思った。(第七弾→第八弾)昨日新宿のルノアールで、アイスティー一杯で三時間ある人と話した。北野誠と竹内義一が、ABC(探偵ナイトスクープの局!)でやっている深夜ラジオ「サイキック青年団」の打ち合わせで、二人が初めて会った時、アイスコーヒー一杯で六時間か八時間喋ったという逸話には及ばないが、いい時間だった。彼は僕と同学年で、15歳で宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」を読んで感銘を受けたという。同じ頃、僕は小林よしのり「戦争論」を読んで感銘を受けていたので意味もなく宮台が嫌いという彼とは相対する高校生活を送っていた。彼はクイックジャパンのプレ創刊号(0号)を吉祥寺の古本屋で二千円出して買ったという。僕はブックオフの百円棚で買ったのでこれもまた相対的だ。彼はその後、歴史学や社会学へ興味が移っていったようだが、僕はと言えば、アナーキーでアヴァンギャルドでオルタナでと、浅田彰の逃走論のように、スキゾでスノッブなものばかりを目指していた。彼は一切聴かないという、ボアダムズ関連のあれこれ、羅針盤、OOIOO、山本精一、ROVO、思い出波止場、花電車、ヨシミ、ヒラ、ジムオルーク等々に僕が妙に惹かれていったのも対照的だ。そんな彼と様々話をしたのだが、80年代に浅田彰、90年代に東浩紀が出てきたように、00年代(ゼロ年代)に僕らぐらいの年齢の人文スターが出そうにないなという話題になった。むしろ、無記名で匿名で複数人の参与のあるネット上の言説のようなものが、その変わりになるのではないかという結論になった。例えば振り返ってみれば「電車男」がそれでしたとなるのかもしれない。堅い話もしつつ、フジロックの話もした。彼と僕が共に参加した02年頃のフジロック。フィールドオブヘヴンやアヴァロンフィールドのあたりには、明らかに自作のリストバンド付けていた奴とかうろうろしていたよなという話になった。そんな奴も、リストバンドに埋め込まれたデジタルチップ認証でどこかで消えてしまった。フジロックはグラストンベリーにならないよな〜と嘆きつつ新宿の夜は終わる。僕が学生時代に作っていたミニコミを久々に他人に渡す事も出来たのはよかった。地下流通さえしない幻のコピー用紙の束が東京の荒野に放たれる。カルスタ、ポスコロ色満載のサブカルミニコミですが、どなかたご興味のある方がいましたら問い合わせを。在庫大量。書籍小包の着払いにてお送りします(送料だけご負担下さい。内容は全部無料。ウィキペディア以前に存在していたツギハギブギウギです)。(第八弾→第九弾)見沢知廉はどこにもいない。(この項書きかけ

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2006年1月26日

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