GANZFERD・完全視野とは何か
完全なる視野とは、現象界と内なる映像を可逆的なものとする超越的視覚であり、目覚めながら眠ることである。完全なる視野は心象に係わる全てを現前させ、狡滑なる知覚の合理化と合目的的解釈学を否定する。本来、認識と理解は別事項の物である。
完全なる視野とは、偶然の思想である。それを表す再現装置は未知のものではあるが、我々はいかなる速度への志向も、その時間内の相対化に他ならないことをすでに知っている。存在の漸進性の前に予定調和はなく、全ての原理が観測者の価値に批准されることに改めて異を唱えよう。
不可知の力の発見こそが「完全視野」獲得のための唯一の方法である。我々は現象学に対し因果律の逆転を提唱する。とは言え、我々は錯乱の擬態を用いることも見者の美学も改めて主張はしない。人類の理性の歴史が錯誤の繰り返しであったとすれば、現代とは、いかなる精神の到達点なのであろうか。
ともあれ、非合理が常に対立物で在り続けたからこそ、我々は天空高く理性の指標を掲げ得たのである。だが、今やこの純粋理性の限界をこそ検討せねばならない時代に我々は直面している。ほかならぬ理性こそが不完全なのであり、我々に課された正序への志向のみが盲目的欲望の派生物であるして、曖味体の全的把握からはじめよう。
まずは不可能を前提とする思考実験を介し、ザーヒルは以降様々な実験報告を展開していく。
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ZAHIRの由来
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zahirとは貨幣であり、虎であり、天球儀であり、石理であり、井戸の底であると、ボルヘスは美しくも透明な一篇の物語を捧げて語った。 眼球そのものがひとつのカレイドスコープに変じる幻惑的な世界は、未成の視覚に新たな項目をもたらすだけであろうか。キメラ的な視覚は、見えざる物の脅威を倍化するにすぎないのだろうか。この一語を説明するのはたやすい。マクベスの魔女に登場願えばよいだけである。 「綺麗は汚い、汚いは綺麗」。
ザーヒルは、混沌と正序をふたつながらに調停していくCartesian Theaterの実験室である。
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