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相鉄6000系

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詳細 2016年2月2日 23:21更新

相鉄6000系

相鉄の黄金時代を築き、繁栄を支え続けた
相鉄6000系を愛好する人たちの集まりです。

相鉄6000系電車(そうてつ6000けいでんしゃ)は、かつて相模鉄道で使用されていた通勤形電車。

1961年から製造された初期のものと1970年から製造された後期のものでは、別系列と言ってもいいほど車体の形態や電装品が大きく異なっている。このため、前車は「旧6000系」、後車は「新6000系」と通称されており、本項目でもその表記を用いる。

また、本項では特にここの編成について記述する必要がある場合、編成中の横浜方の先頭車のモハ6000形もしくはクハ6700形の車両番号を指して、「○○F」(Formation = 編成)と称して各編成を表すことにする。(相鉄では6707×8のように横浜方の先頭車の番号×編成内の車両数で編成を表すことが公式とされる。)

目次 [非表示]
1 概要
2 旧6000系
2.1 概要
2.2 車体
2.2.1 モハ6021
2.3 車内設備
2.4 走行設備
2.5 形式
2.6 編成例
2.7 更新工事
2.8 廃車とその後
2.9 付記
3 新6000系
3.1 概要
3.2 車体
3.3 車内設備
3.4 走行設備
3.5 形式
3.6 編成例
3.7 塗装・車体装飾
3.8 更新工事
3.8.1 車体
3.8.2 塗装
3.9 廃車とその後
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目

概要 [編集]相鉄では1955年(昭和30年)に自社開発の高性能電車、初代5000系電車を制作した。5000系は当時の最新技術を取り込んだ意欲作で、中古車主体であった相鉄に華を与えたものの、朝鮮戦争以後の高度経済成長において沿線の開発が急速に進み、18m長の中型クラスの5000系では輸送力に難が見られるようになっていた。5000系は2両編成での運用を基本として製造されたが、のちに中間車を組み込み一部が4両編成化された。

このように輸送力の向上は喫緊の課題であったが、5000系は全車両が電動車でかつ、電動車はMM'ユニット構成であり2両単位でしか連結出来なかった。また、丸みを帯びたデザインの先頭部分は貫通扉が設置できず、2編成以上連結すると通り抜けが出来ず不便であった。これらのことをから、1両単位で柔軟に編成を組むことのできる新系列を制作することになった。すでに相鉄では国鉄63系電車と同等の3000系電車を導入していたことで、大型車両が走行できる環境は整っていたこともあり、20m長両開き4つドアの大型車体を持った車両とし、輸送力の増大に備えた6000系電車が誕生した。非常に実用的な車両に仕上がり、一時期の相鉄を代表する車両として旧型車両を一掃し、横浜駅周辺の開発とともに相鉄の躍進に大きく貢献した。

旧6000系 [編集]相鉄旧6000系電車

旧6000系
(厚木操車場 1993年6月27日)
営業最高速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
全長 20,000 mm
全幅 2800 mm
全高 3683 mm
軌間 1,067(狭軌) mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
モーター出力 110KW
主電動機 HS-514-Arb/Crb
歯車比 5.44
制御装置 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
駆動装置 直角カルダン駆動
ブレーキ方式 電磁直通弁式空気ブレーキ
保安装置 相鉄型ATS
製造メーカー 日立製作所
この表について [表示]この表はテンプレートを用いて表示しています。編集の仕方はTemplate:鉄道車両をごらんください。

アルミ車体試作車のモハ6021(1994年10月8日、二俣川駅にて撮影)
モハ6021の車内 概要 [編集]1961年(昭和36年)から1970年(昭和45年)までに120両が5000系と同じく日立製作所で製造された。車体、各種機器ともに気動車に通ずる合理性を追求したつくりとなっているのが特長で、最短2両編成から1両単位で車両を増やすことが可能である。後述する新6000系とは車体幅や走行機器類が大きく異なるためにこの車両は旧6000系と呼ばれ[1]、後述の新6000系と区別されるが、双方の相互連結は可能であり実際に混結も多く見られた。

車体 [編集]相鉄の自社開発車両では初めて20m長の大型の車体と、片側4つの両開きドアを採用した。車体は直線を基調とし先頭車中央部には貫通扉を設けており、編成中間に組み込んだときにも通り抜けが出来るように配慮されている。中間車両側面は5000系中間車と同じく窓の配置が前後で非対称になっているという、近年では見られない珍しい設計である。この扉と窓の配置は、車体長が少し長い近鉄や南海に採用例が多い。

材質は普通鋼製。登場時の車体の色は5000系と同じ紺色系の塗装に塗り分けられた。貫通扉の塗り分けが、最初の6編成とそれ以降とで若干の違いがある。1973年より緑色系の塗装に変更されている。 全車両が非冷房で登場したものの、1979年(昭和54年)から冷房装置搭載工事を行い、1986年(昭和61年)までに全車完了している。屋根上に搭載された冷房装置の形式は日立FTUR-550で能力は40000kcal/hである。

モハ6021 [編集]1967年(昭和42年)にモハ6000形の1両として登場したアルミニウム合金車体試作車。6000系の中でもアルミ車体はこの1両のみである。6000形車体重量は軽量性に優れるアルミニウムを用いた結果、普通鋼製のモハ6000形に比べ約4.5tの軽量化に成功している。塗装はアルミの地の色を活かしたクリア塗装。アクセントとして正面の貫通扉付近を縦一直線に赤色を配色[2]。銀一色では風景と同化しやすいため、目立つ色を配置することにより、車両接近を視覚伝達する機能を兼ね備えたデザインとした[3]。 屋根上のベンチレーターも他の車両のガーランド型に対してグローブ型を搭載、後年の冷房装置搭載改造の際にも、7000系電車で試験的に設置されていたヒートポンプ式のものを移設されるなど異彩を放っていた。7000系で試用されていた際には、頭上の吹き出し口から温風が出ていたが、モハ6021に移設した際に、温風を座席下へダクトで送り込む方式へ改造し、試行していた。晩年はサハ6621とともに新6000系へ組み込まれ[4]、旧6000系としては最後に廃車された。

車内設備 [編集]すべての座席がロングシートを採用、生地の色は緑色(登場時は紺色)である。車内は薄い青緑の寒色系でまとめられている。天井には扇風機が備え付けられている。客用ドアは相鉄では初の両開き扉を採用し輸送力の増大に備えた。1車両につき片側4つの扉を備える。

走行設備 [編集]5000系は動力車2両を1組とする、いわゆるMM'ユニット方式を採用し各種機器を2両に分散して搭載することで軽量化を実現していた。しかし、一方でこの方式は動力車の数が増えることは保守の増大を招き、編成内の車両数の調整も2両単位でしか行えないなどの問題点が露呈していた。本系列では5000系以前の車両の設計に立ち返り、動力車1両に運転に必要な各種機器を搭載し、モーターを搭載しない付随車を組み込むという設計に変更した。

主電動機(走行用モーター)は日立HS-514-Arb/Crb型(出力110kW・端子電圧750V・電流165A)を採用、5000系に搭載していたものの2倍の出力となった結果、動力車の数を減らしても性能を維持することに成功した。抵抗制御であり、主制御器は日立製作所製のMMC-HT-10C系(直列10段、並列7段、弱め界磁5段)である。ブレーキは5000系と同様、応答性に優れる電磁直通式(日立の開発した電磁直通弁式電磁直通ブレーキ)で、5000系に搭載されていた発電ブレーキは無いものの、応荷重制御機構があり、乗車率の違いによってブレーキの強弱を制御できるものとなっている。

車軸への動力の伝達方式は、初代5000系電車に続き直角カルダン駆動方式が採用された。台車は日立製のKHシリーズで形式は電動車がKH34,KH43,KH59、制御車がKH34A,KH43A,KH60などを履いており、非常にバラエティ豊かであった。このうちKH34とKH34A以外は、ディスクブレーキが車輪の外側に装着されている。通常だとディスクブレーキは車輪内側に装着されるが、直角カルダンと併用するためには、外付けにせざるを得ないためである。そのため、ディスクローターを輝かせる姿は相鉄車の特徴の一つである。以後直角カルダン車はこのタイプの台車を採用してゆくことになる。

ブレーキやドアの開閉に使う圧縮空気を作り出す空気圧縮機 (CP) は動力車であるモハ6000形とモハ6100形に搭載し、車内照明などの電源用として小型電動発電機 (MG) もモハ6000形とモハ6100形に搭載するなど、動力車に各種機器を積み込むことで柔軟な運用を可能していたが、前述の冷房化に伴い電源用として東洋電機製造製の大容量MGをクハ6500形とサハ6600形に搭載し、動力車の小型MGは撤去された。なお、編成を組んだときに必要量が満たされている場合ではMG,CPともに該当形式であっても搭載しなかった車両もあり、またMGやCPの形式も様々であることと相まって非常にバラエティに富んでいる[5]。

本系列では採用されなかったMM'ユニット方式だが、導入最終段階では再び採用を模索しており、モハ6100形の最後の車両であるモハ6144とモハ6145は大容量CPをモハ6144だけに搭載し2両分を賄うなど、のちの新6000系につながる研究も行われた。ただし、この2両はどちらにも主制御機器(走行モーターの制御機器)を搭載するため、厳密なMM'ユニット方式とは言い難い。

形式 [編集]本系列では各車両の果たす役割によって番台が区分されている。

モハ6000形…横浜向きの制御電動車。(25両製造)
モハ6100形…中間電動車。(45両製造)
サハ6600形…中間付随車。(25両製造)
クハ6500形…海老名向きの制御車。(25両製造)
編成例 [編集]各車についているアルファベット記号の意味は以下のとおり。

M … 走行用モーターを有する車両、いわゆる電動車。
T … 走行用モーターのない車両、いわゆる付随車、Trailer。
c … 運転台のある車両
CONT … 走行用モーターの制御装置(抵抗器)
MG … 電動発電機 (Motor-generator)
CP … 電動空気圧縮機 (compressor)
PT … 集電装置 (Pantograph)
搭載機器については編成全体で供給が満たされた場合は未搭載とした車両も多く、あくまで一例である。

2両編成(最短構成)

← 横浜海老名 →
号車 1 2
形式 モハ6000 クハ6500
記号 Mc Tc
搭載機器 CONT, PT, MG, CP

冷房装置搭載後8両編成

← 横浜海老名・いずみ中央 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 モハ6000 サハ6600 モハ6100 クハ6500 モハ6100 サハ6600 モハ6100 クハ6500
記号 Mc T M Tc Mc T M Tc
搭載機器 Cont, PT, CP MG CONT, PT, CP MG CONT, PT, CP MG CONT, PT, CP MG
← 横浜海老名・いずみ中央 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8
形式 モハ6000 サハ6600 モハ6100 ※クハ6500 モハ6000 モハ6100 モハ6100 クハ6500
記号 Mc T M ※Tc M M M Tc
搭載機器 Cont, PT, CP MG CONT, PT, CP MG CONT, PT, CP CONT, PT, CP CONT, PT, CP MG

※のクハ6500形 (Tc) は編成によってはサハ6600形 (T) になる。8両編成には大きく分けて上記の2パターンがある。

冷房装置搭載後10両編成

← 横浜海老名・いずみ中央 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式 モハ6000 サハ6600 モハ6000 サハ6600 モハ6100 クハ6500 モハ6000 サハ6600 モハ6100 クハ6500
記号 Mc T Mc T M Tc Mc T M Tc
搭載機器 CONT, PT, CP MG Cont, PT, CP MG CONT, PT, CP MG CONT, PT, CP MG CONT, PT, CP MG
更新工事 [編集]車体

ヘッドライトを1灯からシールドビーム2灯に交換。
冷房装置の搭載。初期車両は東急車輛にて車体更新工事も行われたが、後期車は東横車両の出張工事により、冷房改造のみ行われた。
車両前面に運用番号の表示機器を新設、列車種別表示を機器を前面と側面に新設。
側面扉をステンレス製のものに交換(6021の客室扉は除く)。
塗装

緑色系の塗装に変更(6021は除く)
車内

一部の車両の連結面に貫通扉を設置。
側面扉前の滑り止め付き鉄板床を、滑り止め付きリノリウム床に張り替え。
廃車とその後 [編集]
旧塗装化されたモハ6001
(かしわ台車両センター付近にて撮影)車体・機器の老朽化によって、1992年(平成4年)の20両から導次8000系電車と9000系電車置き換えによる廃車が始まり、1997年(平成9年)5月までに120両全車両が運用を離脱した。運用期間は35年7ヶ月間となり、相鉄の車両では当時の最長期間を記録し、最適化設計の妥当性を実証した。

その後、トップナンバーのモハ6001とアルミ車体のモハ6021はかしわ台車両センターで静態保存されているが、その他の車両は解体されている。旧6000系の合理化設計はその後の車両開発に大きく影響を与え、特にアルミ車体のモハ6021は、その後アルミ素材用いて車体軽量化を図ってゆく礎となった他、正面貫通扉の赤色系の塗装[6]もその後の車両にも引き継がれた。

付記 [編集]1993年(平成5年)に廃車となったクハ6502の編成は、一部部品の撤去後もしばらく厚木駅構内の相鉄電留線に留置されていたが、前面方向幕の窓部分には当時の相模鉄道社員が「惜別」というステッカーを製作し、前面の行先表示器に表記された。
2007年(平成19年)9月には、同年12月に相模鉄道が会社創立90周年を迎えたのに併せて、かしわ台車両センターに保存されている6001号車の旧塗装化と6021号車の車体再塗装が行われた。ちなみに、旧塗装が復刻された6001号車の貫通扉は、6007号車以降の塗り分けに準じている。
8000系導入のころ、3010系に続いてVVVF化改造が検討されたが、最終的に9000系の代替新造と8000系の増備をすることとなり中止になった。

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2011年9月28日

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