二元論なんてくだらない。僕達は常に僕達であり、それ以外の何者でもなく、またいつまでも僕達であり続けるのだ。そこでは永遠にたどり着くことのない「理想」や「主義」を超越した雲のような主義らしきものが僕達の輪郭らしきものであり、そしてそれが僕達の持つ唯一の武器なのだ。僕達は無意識の多数派を頑なに拒み、そんな奴らに鉄槌を落とすわけでもない。僕達はそんな風景をボーッと見ながら、椅子に腰掛けて素敵な音楽に耳を傾け、煙草をおいしく喫むことこそが重要だということを直感的に理解できる人間である。教育現場ではよくディベートの授業があるが、あんなものはナンセンスの塊である。僕達は巷に溢れる「明るい未来」や「あるべき姿」への同化を拒否し、崖っぷちからそれらへひ弱なウィルスをぶちまける。それは僕達がニヒリストやラディカル思考の人間であるからではない。僕達はただ僕達という存在以外の何者でもない。思考停止と啓蒙主義にはウンザリなのである。さぁ時は来た、今こそ大した意義も無く、目に入るものすべてに君の疑問をぶちまけろ。決して足並みの揃わない僕達と共に。明るい未来への架け橋など僕達は持たない。僕達が持つのは「己」という名の散弾銃である。そんな「ちょっとした」抵抗が世界には足りない。人類は今こそ、petitな行動を起こすべきなんだよ。
方針:既成概念に対するちょっとした抵抗運動研究所
(The Petit Resistance Institute)
1:我々「The Petit Resistance Institute」は、日々さらされている既成の概念・思い込み・全体化した思考・暗黙的了解その他もろもろに芸術・言論・スポーツ・その他の実践的行動により“ちょっとだけ”抵抗の意思表示を行い、べつに人々を啓蒙するわけでもなく、ちょっとだけ思案を巡らせる機会を提供することをもって、その目的とする。
2:我々は正義や「〜べきもの」といったことを主張しない。争いとは、互いの正義の衝突から生じる悲劇であるから。
3:科学とは理論構築から演繹的論証によってそのプロセスを完成する。よって実践的活動も理論的活動と同等の評価対象とするべきである。
4:我々は個々の活動を尊重し、一集団として全体化したイデオロギーを持たない(ちょっとした抵抗運動を除く)。ゆえに、所員それぞれの見解の相違は否めない。しかし、そこに神経質になるべきではない。それは我々の活動そのものが「ちょっとした」という程度のものであるのべきなのだから。
お巡りさんに道を教えてもいいじゃない。
同志よ、立ち上がるでない!
肘掛け椅子に腰を下ろして、ボーっとするだけでいいんだ。
*「Petit Resistance Institute」は、各自フィールドを持った人間のゆるやかな連帯を目指したコミュニティです。コミュニティ内での活動は、活発には見えませんが、趣旨に賛同する方のアイコンとして機能している気が、なんだかします。