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都営浅草線5000形

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コミュ内全体

詳細 2015年1月15日 11:48更新

都営地下鉄のパイオニア。
都営浅草線5000形のコミュニティです。

逗子急行があった頃が懐かしい。
ご愛好の方はぜひご参加ください。

東京都交通局5000形電車

開業時から1995年まで使用された5000形
(1993年6月14日)
編成 最終時8両編成
起動加速度 3.5 km/h/s
営業最高速度 浅草線70km/h
乗り入れ線内100 km/h
設計最高速度 100 km/h
減速度 4.0 km/h/s(常用最大)
5.0 km/h/s(非常)
車両定員 先頭車140(座席48)人
中間車150(座席52)人
最大寸法
(長・幅・高) 18,000 × 2,800 × 3,650 (mm)
車両質量 32.0 - 33.5t
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
主電動機 直流直巻電動機 85kW
歯車比 98:15=6.53
制御装置 抵抗制御方式
ACDF-H885-400A
駆動装置 WN平行カルダン
台車 揺れ枕吊り式コイルバネ台車
KD-38形(都形式:T-1形)
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 1号形ATS
製造メーカー 日本車輌製造・日立製作所
東急車輛製造・近畿車輛
ナニワ工機

東京都交通局5000形電車(とうきょうとこうつうきょく5000がたでんしゃ)は、東京都交通局に在籍していた通勤形電車で、1960年(昭和35年)の都営地下鉄浅草線の開業に際して製造された車両である。

本項では旧・5000形6次車の5200形電車についても記述する。

目次 [非表示]
1 形式別概要
1.1 5000形
1.2 5200形
2 その他
3 脚注

形式別概要 [編集] 5000形 [編集]開業時に全編成が2両編成で登場した。その後の路線延長とともに2両から5041以降は4両編成に、そして1968年(昭和43年)11月15日の泉岳寺 - 西馬込間の開通をもって浅草線(当時の1号線)が全通した際に6両編成化され、在籍車両数は152両となった。その後1991年(平成3年)より一部編成が8両編成化され、1995年までに8両に統一された。

車体側面の形状は、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)丸ノ内線用の500形に準じていた。台車の枕バネにはウイング金属バネ(軸箱支持装置は近畿車輛製シュリーレン式)を使用したが、最終新製車は空気バネとなった。主電動機出力はやや大きめだが歯車比が6.53と低速域重視であり、定格速度が低い上に弱め界磁制御も中速域までであった。さらにWN形駆動装置の影響で高速域では床が振動し始めるなど、高速性能が悪く、最高速度は100km/h程度が限度だった。そのため、京急線内での急行運転時はほとんど惰性走行することなくマスコンハンドルを入れたままで走行していた。

当初の他社線直通運用は京成電鉄本線の東中山と京浜急行電鉄本線の京浜川崎(現・京急川崎)までが原則であったが、1981年(昭和56年)より京急線への乗り入れが逗子海岸(現・新逗子)まで、1983年(昭和58年)より京成線への乗り入れが京成成田までそれぞれ延伸された。京成線東中山以東まで直通する運用は原則として急行運用となり、5000形・5200形とも京成線の急行運用時には種別幕に「急行」を掲出する他、専用の円形「急行」マークを貫通扉の窓に装着して運行した。

乗り入れ区間の拡大前にも、1963年(昭和38年)に高速試験で京成成田まで走ったことがある。[要出典]

当初の車体塗装は、当時京成の通勤車両の塗装に合わせて上半身がクリーム色、下半身がオレンジ色で、中央に銀色の帯とステンレスの飾り帯(後期車は銀塗装のみ)を施していたが、京成の通勤車両がファイアーオレンジ色にステンレスの縁取りとモーンアイボリーの帯を施していた最中の1981年(昭和56年)より約10年掛けて車体更新の施工・車体塗装の変更が行われた。この工事は空気圧縮機をA-2形から絶縁性のよいC-1000形に、戸閉灯器の縦長2灯化と前照灯のシールドビーム化、ステンレスの帯の撤去、車体塗装のクリームと赤帯の軽快な2色塗りとなった。この期間は3色塗りと2色塗りの混色編成が多く見られた。ただし、全車両が更新された訳ではなく、未更新のまま廃車になった車両もある。旧塗装車は1991年(平成3年)の5057 - 5060編成の廃車により消滅している。なお、この旧塗装車は北総開発鉄道北総・公団線(現・北総鉄道北総線)への入線実績もある。1990年には4編成に浅草線開業30周年ヘッドマークを掲示して運用に入った。

なお、5024は1972年(昭和47年)に京成線内において踏切事故に遭遇し、先頭部を大破した。当時は既に4両編成以上での運行が常態化していたことから、2両編成の先頭車であった同車の運転台は不要とされ、復旧に際しては中間車化を実施し運転台を撤去した。破損した先頭部を切断し、新たな構体を組み立てる形で復旧されたため、外観・内装とも本来の中間車とほぼ同一であるものの、屋根縁のベンチレーターは先頭車用の仕様そのままとされ、本来の中間車と比較して通風口の数が一つ少ない点が異なる。

1991年3月31日からは北総・公団線への乗り入れも開始され、広域運用が目立つようになるが、老朽化のため、5300形への置き換えを開始した。置き換え最中の1993年(平成5年)4月1日の京急空港線羽田(現・天空橋)延伸後は主に千葉ニュータウン中央 - 羽田間の運用を中心に運用されるようになった。これは当時の京急空港線では羽田駅(当時)の引き上げ線などが8両編成に対応していなかったため、5300形での運用ができなかったためである。

そして、1995年(平成7年)7月2日に全車両が営業運転を終了し、同時に浅草線の車両は冷房化率100%となった。同日には、最後まで車籍が残っていた5097編成・5125編成を繋げてさよなら運転を行い、西馬込 - 京成成田間にて定期列車の運行ダイヤで行われ、記念Tカードも通常発売分(登場当時の塗装が図柄)と車内発売分(変更後の塗装が図柄)の2種類が発売された。その後、馬込検車区(現・馬込車両検修場)や京浜急行電鉄久里浜工場(現・京急ファインテック久里浜事業所)でも実施された。その後、同車は休車を経て、廃車回送を実施した。このため、最後の走行は1996年(平成8年)2月初頭であった。なお、都営地下鉄全体では1999年(平成11年)に6000形6141編成の休車をもって全車の冷房化を完了した。

5069は渋谷区西原にある東京消防庁消防学校の訓練用として活用されている。5089と5092は営業運転終了後もしばらくの間旧・馬込車両工場内に保管されていた。


5200形 [編集]東京都交通局5200形電車

5200形
(2004年4月22日 / 京成押上線 四ツ木)
編成 最終時8両編成
落成時6両編成
起動加速度 3.5 km/h/s
設計最高速度 100 km/h
減速度 4.0 km/h/s(常用最大)
5.0 km/h/s(非常)
車両定員 先頭車140(座席48)人
中間車150(座席52)人
最大寸法
(長・幅・高) 18,000 × 2,780 × 3,650 (mm)
編成質量 266.6t(冷房化後)
車両質量 32.7 - 34.2t
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
主電動機 直流直巻電動機 85kW
歯車比 98:15=6.53
制御装置 抵抗制御
駆動装置 WN平行カルダン
台車 揺れ枕吊り式空気バネ台車
KD-80形(都形式:T-1A形)
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 1号形ATS
製造メーカー アルナ工機

1976年(昭和51年)に最終増備車5201 - 5212が製造された。この12両は従来の普通鋼製車体からセミステンレス車体に変更、高運転台、さらに冷房装置搭載スペースを屋根中央部に確保するなど、6000形や10-000形試作車の設計要素を盛り込み、見た目は新形式車両であるが、走行機器類は従来の5000形を踏襲しているため、形式は5000形に包含されている。

1988年(昭和63年)に冷房化が行われた。この工事により浅草線車両初の冷房車となった。

1996年(平成8年)12月には6両編成2本(12両)の組成から8両編成1本に変更した。これにより余剰となった4両は廃車となり、京浜急行電鉄久里浜工場で解体された。この1本の補充は1998年に5300形第27編成の増備で対応した。その後、2000年(平成12年)8月14日に5200形に形式を改めた。

1999年(平成11年)7月31日のダイヤ全面改正では、通称逗子急行運用消滅とともに、ダイヤ混乱時を除き京急線内への入線がなくなった。運用終了直前には主に泉岳寺 - 西馬込間の区間運用に使用されていたが、車両の制約上運用が限定されており、所定運用以外には基本的に入らなかった。この中には夜間に1往復京成線の京成高砂駅に乗り入れる運用もあったが、末期には5300形と共通運用とされていた関係上、5300形を使用する場合が多かった。

ダイヤ混乱時の代走などで羽田空港(当時)や印旛日本医大に入線した実績もあるが、「羽田空港」の行先表示がなかったため、その際の表示は「羽田」であった。なお、側面の種別表示器は故障に伴い2003年頃から使用を停止し、これ以降営業運転終了まで側面の種別表示器は白表示であった。

老朽化が進む一方、馬込地区での工場機能と検修機能の統合により車両運用の1本削減が可能となったことから、2006年(平成18年)11月をもって廃車が決定した。そのため、同年10月28日に馬込車両検修場で開催された「都営フェスタin浅草線」で最後の一般公開を行い、11月3日の西馬込 - 千葉ニュータウン中央間の臨時列車としてのさよなら運転を最後に運用を離脱した。その後12月20日に京急ファインテック久里浜事業所へ廃車回送された。2007年(平成19年)1月から解体が開始され、同年2月上旬までに全車が解体された。

5200形の廃車に伴い、浅草線の在籍車両は5300形に統一された。

車内の路線図は、当初5000形とともにドアの広告枠の上に掲出していたが、5300形の路線図式案内表示器が使用停止されて以降は5200形も5300形と同一のものを広告枠内に掲出していた。

【参考リンク】
都営地下鉄浅草線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E6%B5%85%E8%8D%89%E7%B7%9A

検索 都営浅草線 都営地下鉄

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開設日
2011年7月10日

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