五七五七七のリズムに宿る情緒の謎を、みんなで鑑賞してみませんか?
俳句は叙景歌、短歌は抒情歌、といわれるように、人と人とのふれあいを歌うところに短歌の真髄があるような気がします。
その最たるものが恋歌。
その恋歌を通して人と人の心の交わりに共感し、そのあふれ出る情感を共有しませんか。
1300年の昔より、だれかを想い、悲しみ、そして喜びがあふれ出た言葉は、現代においても変わることなく人々に受け継がれてきています。
万葉集の巻12に以下のような問答の歌があります。
◎ 3101 「紫は灰さすものぞ海石榴市(つばいち)の八十の街に逢へる子や誰れ」
訳「紫染めは椿の木を焼いた灰汁いれて定着させると言うよ、そのツバキに似た名前の海石榴市の繁華街で会ったあなたは誰ですか?」
◎ 3102 「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか」
訳「ママが使う私の本当の名前を教えてさしあげることは簡単よ、でもネ、この道で出会ったばかりのどこの誰かも知らない人に名前を教えるなんて、ありえないわ。」
この歌でのやり取りは、言葉のまま普通のナンパのように、「ねえ、カノジョ!ちょっと時間ある?名前なんていうの?」という解釈でとらえていいのでしょうか。
先人の残した心のひだに見え隠れする情念を、和歌・短歌を通じて鑑賞することで、人間の本質である恋心を追体験してみる会です。
古典に限らず、現代短歌も鑑賞の対象ですので、現代歌人の歌は勿論のこと、各新聞の投稿短歌もOKです。
◎ 不逢恋逢恋逢不逢恋ゆめゆめわれをゆめな忘れそ
これは現代歌人 紀野 恵さんの短歌です。
この歌にはどんな恋が隠れているのでしょう。
一人ひとり感性が違うように歌の受け取り方もそれぞれ、違っていてあたりまえ。
私はこう感じた・・・
こんな読み方はどうかな?・・・
恋を真面目に鑑賞することで、新たな自分発見の旅に出発しませんか。