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愛知ボランティアセンター

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コミュ内全体

詳細 2017年3月20日 02:29更新

HP http://aichiborasen.org/
Blog http://blog.goo.ne.jp/aichiborasen/
twitter ID aichiborasen

愛知ボラセンについて

1.被災者を仲間として「応援」しよう! 〜言葉を大切にする愛知ボラセン〜

愛知ボランティアセンターは2011年3月17日に任意団体として発足しました。

「被災者応援愛知ボランティアセンター」というシンプルな名前には、誰にでも分かりやすい「ボランティア」という名前で、東北から遠い「愛知」から、愛知の大勢のボランティアさんが「センター」として集まり、被災者を仲間として「応援」をしていこうとの想いを込めています。

「応援」でも「支援」でもたいした違いはないかもしれません。

しかし、言葉は考え方を示す大切なものと愛知ボラセンは考えています。

「瓦礫ってゴミじゃないですよね、邦子さんたち被災者が生活してきた大切な証なんですよね」と板切れを胸に抱えて語った中学生がいました。

十八成浜仮設住宅に住む作家の阿部邦子さんは「愛ボラ素晴らしい点は言葉と感性。

そして、その時々の私たちの思いに、細やかに添ってくれようとしてくれるところ。」(「阿部邦子のがれきに咲いた花」三陸河北新報社)と書いています。

十八成浜の瓦礫撤去では「一緒懸命汗をかく」と大書した横幕を掲げて瓦礫撤去活動を進めました。

愛知ボラセンが被災地から名古屋に帰る時、「さようなら」ではなく、「いってきます」と言うのも言葉を大切にしているからです。

言葉を大切にする愛知ボラセンの姿勢はボランティアさんにも反映していると思います。

「市民を巻き込む」というような表現が市民活動やボランティア活動などでしばしば聞かれます。

その言葉は自分たちが主体で、市民はそれに従い巻き込まれるものという考えの反映です。愛知ボラセンでは「巻き込む」という考えを否定しています。

誰もがボランティア活動に参加する中で、自らの役割を見出して主体者となり、被災者応援活動を自らのこととして主体的に活動することが大切と考えているからです。

そして、実際に実に多くの方々がそれぞれの関心や特技などを基にして、主体的に被災者応援活動に参画されています。 なお、愛知ボラセンは2013年3月にNPO法人として愛知県名古屋市から認可されました。

2.名古屋の行きやすい場所で、誰でもできる活動を
「0歳と2歳の子どもを持っている私でも、名古屋でできることがあるはず」という田中涼子(現愛知ボラセン副理事長)の被災地への熱い思いが愛知ボラセンの原点です。

災害ボランティアは被災地で長期間の活動することが注目されがちです。

地元で誰でも気軽にできる分かりやすい活動をすることが、長期間の活動を続けていくためには大切なことと考えています。

そのためには活動の拠点は重要です。

誰でも分かりやすく、広い場所をと考え、市民活動に理解が深い真宗大谷派の東別院さんに依頼。

ご快諾を頂きました。東別院は地下鉄の駅名で、栄からも金山からも近く、短時間なら車の駐車もできます。

なお、東別院さんのご厚意に応える意味も込めて、被災地ボランティア後には無事に活動が終了したこ仕分けと感謝の念をこめて本堂に合掌・拝礼をしています。

12月13日から6日間、毎年開催されている報恩講(親鸞聖人のご命日法要)では、ボランティアさんでお斎(とき=食事)のお手伝いをし、まさに「ご恩」に報いさせて頂いています。

その東別院ではじめたのが、「春物新品応援衣類」の募集と、仕分け・分類ボランティア募集でした。

衣類を募集した場合に大量の古着が、それも相当の粗悪な衣類が押し寄せてくることを、阪神大震災ボランティアの経験から知っていました。

それは東日本大震災でも同じでした。愛知ボラセンは1か月以上も放置され、誰も引き取り手のいない中古衣類約10トン分を引き取ったこともあります。

段ボールをあけたとたんにすえた臭いがし、「こんなものでもありがとうって言わなきゃいけないの、私たちって」と涙ながら語った被災者もいました。

愛知ボラセンの活動は被災者応援です。もらってうれしくなるものを届けようと考えました。

その応援衣類を男性、女性、子供、上着、下、サイズ別に細か分類し、ほぼ同じサイズの段ボールに仕分け・分類しました。ほぼ同じサイズの段ボールに仕分け・分類することで、運搬の際のロスを少なくし、現地ではすぐに分かりやく応援物資を並べることができます。
一品ずつ心をこめて箱入れをしました。たいへんな手間でしたが、愛知ボラセンは贈ってくださった方々、受け取られる方々のことを想って、大切に取り扱ってきました。
田中は幼い子どもたちを連れて、ほぼ毎日仕分け・分類ボランティアの中心として、参加されたボランティアさんがやりがいを感じられるような配慮をして活躍しました。
仕分け・分類のボランティアさんは昼間のあいた時間、会社帰り、土日など、皆さんがそれぞれご自分の可能な時間に、東別院に集まって活動されました。
いろいろな創意工夫が多くの方々から提案され、改善しながら仕分け・分類ボランティアが行われていきました。
その数はのべ約3,000人。
被災地に届けた衣類は、約1万人の方々から寄せられた約27万着にもなりました。
要求があれば人は集まること、そして、要求を実現しながら、人とつながり、人のために役に立つことを、まじめに続けていけば、人は集まることを愛知ボラセンのスタ ッフ全員が高校時代に学んでいました。

3.スタッフ全員が高校生フェス実行委員&高校生災害ボランティア経験者

愛知ボラセンには前身ともいうべき団体があります。
愛知県高校生フェスティバル実行委員会と、同実行委員会をもとにして、阪神大震災(1995年1月17日)後に久田が顧問となって設立した「阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会」(奨学金を贈る会)です。

愛知県高校生フェスティバル実行委員会は、毎年5月に新入生歓迎フェスティバル、11月にビッグフェスティバルを開催。ともに約15,000人の高校生が参加し、私学助成や教育の充実、よりよい高校生活をつくるために、楽しく、そしてまじめに、愛知県内の多くの高校生が集まる場となっています。

フェスティバルでは高校生の要求実現をベースにして、高校生がつながり、25年以上も活動を続けています。人に対する確信を共有していることは、ブレない活動を続けていく上で大きな意味をもっています。

また、フェスティバルの中心を担うのは愛知の私立学校です。

愛知私学の教員と父母と生徒が愛知ボラセンのホームベースです。

愛知ボラセンが愛知私学会館に事務所をおかせて頂いているのもこの縁からです。

その愛知県高校生フェスティバル実行委員会を土台にして結成し、今も活動を続けているのが奨学金を贈る会です。奨学金を贈る会は毎月17日に「17日募金」と名付けて、震災孤児遺児応援金募金を続けています。19年間で、阪神大震災の孤児遺児は全員高校を卒業しました。

19年間にのべ555人の孤児遺児に3144.5万円の激励金を贈りました。また、阪神大震災、中越大震災、東海豪雨水害などに高校生災害ボランティアを派遣してきました。神戸には2010年12月まで、夏と冬に今の被災地・神戸を学ぶ「ボランティア体験・神戸フィールドワーク」を続けてきました。

芦屋市にある震災孤児遺児のための心のケアハウス「浜風の家」、激甚地域の長田区野田北部自治会やカトリック鷹取教会を訪問し、被災地の今を学び続けてきました。 将来、大災害が起きたら、この活動に参加している高校生たちが真っ先にボランティアとして立ち上がると私は考えていました。

そして、その通りになりました。愛知ボラセンのスタッフ9人全員、高校生時代に奨学金を贈る会に関わり、東日本大震災にあたって大人になった自分たちができることはと考え、私とともに愛知ボラセンを起ち上げました。

4.愛知県で最初の大型バスによる被災地ボランティア派遣
第1回の被災地ボランティア活動は2011年3月20日。

そして、4月8日の第3回ボランティアでは愛知県で最も早く大型バスでのボランティアを派遣しました。

被災地ボランティアは2011年8月末までに、毎週末に実施した0泊3日の通称「弾丸ボランティア」を22回、夏休みには3週間、被災地のコミュニティーセンターなどをお借りして、宿泊のボランティアを実施。あわせてのべ2,500人の方々が参加されました。
4月は石巻市内の湊小学校で応援物資を提供。
5月からは、湊小学校の近隣校区の渡波小学校で炊き出しや野菜サラダの提供、掃除、支援物資の整理などの活動を実施、宮城県気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター(はまセン)で瓦礫撤去の活動のノウハウを学び、瓦礫撤去に必要な資材を購入しました。
さらに、5月に1か月かけて石巻市牡鹿(おしか)半島の約30カ所の全避難所を訪問し、応援物資を配布しました。この活動は長期的な応援活動を続けるために避難所や行政区と直接のつながりをつくれないかという視点で訪問でした。

5.十八成浜で瓦礫撤去活動開始!
その中で、十八成(くぐなり)浜地区の避難所の皆さんとの関係が深まってきました。
十八成地区では約130世帯の60%が家を破壊され、10名ほどの方が犠牲になっています。
6月11日に十八成浜避難所で実施した高校生ボランティアで、焼きそばの炊き出しにいろいろなアクシデントがあって手順が悪く、焼きそばができあがったのは午後2時をすぎていました。
それに対して避難所の初代責任者からはひどく怒られました。
翌日、スタッフがお詫びの挨拶に伺った際にも、(昨日のことがあって)よく来られたな、と言われました。
十八成避難所の前の畑は3ヶ月たっても瓦礫がそのままの状態でした。
そこで、担当スタッフは、前日の不手際はお詫びし、瓦礫がそのままでは、希望も沸いてこないのではありませんか、瓦礫を撤去しませんかと提案しました。

翌々週から、十八成浜での愛知ボラセンの瓦礫撤去活動が始まりました。
目の前の瓦礫がなくなったその日の夕方、「3ヶ月間ずっと同じ光景を見てきて、希望を失いかけていた。今日から希望を見られるようになった」と、避難所第二代責任者の阿部邦子さんが話されました。

ここから愛知ボラセンと十八成浜の関係が深まっていきました。
毎週、毎週100名前後のボランティアが瓦礫を撤去し、骨壺が見えてしまったお墓をなおし、道路を直し、川をきれいにしました。避難所責任者の阿部邦子さんは語ります。
「毎週、毎週、名古屋から100人ものボランティアさんが来て、勇気づけられました。愛知ボラセンに負けていられない。意地でも幸せになります。みなさんも幸せになってください。来てくれてありがとう」と。

毎週、毎週、名古屋から大勢のボランティアがやってくることで、人間に対する信頼や絆が深まっていきます。

そして、人が信頼できることを確認し、その中で明日を信じて生きていこうという思いが沸いてきます。

一方、ボランティア参加者は初めて出会ったにもかかわらず、声をかけあい、共同で作業しながら瓦礫を撤去していきます。

それを通じて人間って捨てたものじゃない、人間ってすてきだなとの思いを抱きます。 絶えざる競争に駆り立てられ、人間関係への信頼が傷付けられ、人間性が疎外されている私たち自身が、ボランティアの共同作業を通じて、人間性を回復しています。

6.十八成浜仮設住宅から孤独死を出さないお手伝いを
愛知ボラセンの被災地ボランティア活動は、2014年4月末までに、116回のべ約7,000人のボランティアを派遣しています。

現在は、宮城県石巻市十八成浜(人口約150人)を月に2回訪問し、十八成浜だけで100回を越えるボランティア活動を続けています。

現在の一番の目的は仮設住宅から孤独死を出さないお手伝いをすることです。「心配り・心拾い班」は愛知ボラセンニュースを持って、十八成浜のすべての家庭を訪問します。

そして、「くぐなり食堂班」が作る約150食のお弁当を作り、仮設住宅の談話室や高齢者のお宅で、おしゃべりをしながら一緒に昼食を食べます。

被災者がボランティアに対して、日常的に、そして気楽に、話をすることはPTSD対策に必要なことです。

石巻市役所の保健担当者の方から、十八成浜の被災者の健康状態は他の地域よりもはるかにいい状態と聞いています。

また、住民のニーズに応え「チーム恭一with安吉&文吾」は仮設住宅班長の阿部恭一さんや高橋安吉さん、後藤文吾さんとともに外周りの仕事全般を請け負っています。

約40人のボランティアさんが乗った大型バスは、金曜日午後7時に東別院を出発。バスは約750厠イ譴申夙成浜に、土曜日午前8時30分に到着します。
ボランティア活動後、午後7時に十八成浜を出発し、日曜日の午前7時30分に帰ってきます。
“0泊3日・弾丸ボランティアバスツアー”と呼ばれ、参加費13,000円で、土日が休みの方なら学生も会社員も誰でも少しだけの無理で参加できます。

7.十八成浜復興へ
花の木1800本!「桃源郷プロジェクト」 
砂浜復活!「砂浜公園プロジェクト」
十八成浜の被災者は一般社団法人十八成ビーチ・海の見える丘協議会(十八成協議会)を結成し、被災者のための復興住宅建築や地震・津波で消失した自慢の砂浜の再生し、地域の復興を自らの手で作り出そうとしています。

十八成協議会は十八成浜の被災者が会員ですが、事務局長を愛知ボラセン理事長の久田が務めています。

復興公営住宅建設は被災者主導で石巻市内では早いペースで進み、2015年春には高台に移転できます。

愛知ボラセンは十八成協議会に、津波で海の中に沈んでしまった美しい砂浜の復元と、津波で流されて何もなくなった住宅跡地(住むことが許可されない)を砂浜にする「砂浜公園プロジェクト」を2012年に提案しました。

この計画は石巻市の十八成浜復興プランとして認められています。 また、仮設住宅班長の阿部恭一さんから、1,800本の花の木を植樹する「桃源郷プロジェクト」が提案され、砂浜公園を造る前段階として「桃源郷プロジェクト」として推進していくことにしています。十八成浜に賑わいを創り、雇用を創出し、十八成浜の復興に対して愛知ボラセンは積極的、具体的に関わっていきます。

8.震災孤児遺児1,755人を応援するワンコインサポーターズ活動
東日本大震災でお父さんお母さんを亡くした子ども達は1,755人(2011年当時0歳〜19歳)。
この子どもたち全員が高校を卒業するのは2030年です。そこで、奨学金を贈る会を母体にして発足した愛知ボラセンは、彼らの応援を続けます。

そのための制度設計が必要と考え、毎月1口500円を応援してくださる方々の銀行口座から、愛知ボラセンの銀行口座へ、2030年まで自動送金する「ワンコインサポーターズ」を募集しています。サポーターさんは2014年3月末で4,436人、7,635口になりました。

義援金などを集めている団体の多くは、義援金の数%から10%程度を運営費などに宛てていますが、私たちはサポーターズの皆さまからお預かりした孤児遺児応援金は、送金手数料を除き、全額を孤児遺児応援金に充てています。

この応援金を孤児遺児の皆さんの口座に直接届けているのも愛知ボラセンの特徴です。

被災三県にはそれぞれ孤児遺児のための基金があります。

しかし、私たちはサポーターズの皆さんの想いを直接届けたいと考えました。

それは前身ともいうべき、「奨学金を贈る会」が阪神大震災孤児遺児応援金を直接届けてきたことにもよります。

岩手県教育委員会、宮城県教育委員会、福島県保健福祉部をはじめ、NHK東北の各放送局などの協力を頂いて、応援金申請者受け付けの告知をしていただき、各年度の応援金総額を、申込された方々の人数で割って、応援金とサポーターの皆さんの応援の想いを直接届けています。

ワンコインサポーターズの事務活動は毎月2回ほど東別院会館にあつまり、振り込みの照合や、送金の作業をしています。名古屋でできる愛知ボラセンの大切な活動です。

9.孤児遺児交流企画「でらえぇ〜友だちつぐっぺぇ」は孤児遺児の心の支えに
孤児遺児の皆さんは1,755人。
大勢とはいえ各学年では85人ほど。
偶然に孤児遺児同士が友達になれる可能性は殆どありません。
孤児遺児同士が友だちになる企画は必要なことと考えました。

彼らが友だちになるようにサポートは、被災地ボランティアに参加してきた同じ世代の愛知のボランティアの学生たち。愛知と被災地の学生たちを大人のボランティアさんが支えます。

被災地ボランティアとワンコインサポーターズの活動を実施してきた愛知ボラセンだからこそできる企画です。

そこで、孤児遺児交流企画「でらえぇ〜友だちつぐっぺぇ笑顔プロジェクト」を開始しました。これまで3回開催し、第4回は8月8日〜12日に石巻市で開催します。

年に2回、みんなで一緒に泊まって、友だちになり、一緒に笑って、一緒に涙を流す活動を続けていきます。

夜、「語る会」を開きます。参加した孤児遺児はそれまで心の中に溜めてきた思いを涙とともに吐き出します。

「家が流されたことや父が死んだことを知っているのは先生のごく一部だけ。交通遺児などで孤児遺児になった子たちの会には出たけど、東北の子たちだけの会に初めて来た。こういう思いをしているのは私だけじゃないとわかってとてもよかった。」(福島・女子)

「(3回目参加の)私のように友だちには話せなくてもここなら話せる子がいる。でらえぇ〜で仲良くなった子と、普段でもいろいろ話している。ここでしか話せないことがでてくると思うので、ここで友だちをつくってほしい。」(宮城・女子)

「でらえぇ〜の人たちがいたからこそ今の自分がいる。心の底から感謝している。でらえぇ〜の人たちと出会っていなかったら自殺していたかもしれない。」(宮城・男子)

「今の自分にとって、我慢せずに安心して泣ける大切な場所です。みんなの体験を聞いたりするのはつらいけど、みんな同じくそれを乗り越えようと頑張っている仲間だから、気持ちを隠すことなく思いっきり泣ける場所です。私はこの時間を作ってくれた愛ボラのみなさんにとても感謝しています。ありがとうございます。」(岩手・女子)

10.フィリピン台風被災者応援
「愛知」の名を背負って、日本の、アジアの、世界の被災者応援を 愛知ボラセンは「愛知」の名を背負って東北へ駆けつけることで、遠く愛知からの応援の想いを伝えることができると考えていました。

そして、今、途上国の被災地へも「愛知」の名を背負って応援に駆けつけています。

2013年11月8日に発生したフィリピンでの台風30号(犠牲者約7,000人)被災者の応援活動。
東日本大震災で応援衣類を集めた経験を活かし、11月から12月に中古応援衣類を集めました。

そして、1,100人の方々が提供してくださった約5万着の衣類を、のべ1,000人のボランティアさんで仕訳・分類し、3.5万着の衣類を同じ段ボール箱に梱包して、セブ州サンタフェ町キナタルカン島に運びました。

キナタルカン島は人口約8,000人。

電気がなく、定期航路もなく、島には1台の車もなく、一家が1日約200円で暮らす、フィリピンでも最も貧しい島の一つです。

台風30号では9割の世帯が全半壊しました。

サンタフェ町、サンタフェ町災害対策本部、キナタルカン島の約40人の若者ボランティア組織ビバート、キナタルカン高校の150人の高校生ボランティア、環境NPOイカオアコ(本部・愛知県)とともに、3.5万着の応援衣類を2月14日〜16日に配布しました。

さらに3月から4月にかけて、さらに3つの小学校と高校で、合計4棟の応急仮設教室を建築しました。

現在、キナタルカン島で現地スタッフを雇用し、継続的な応援を実施していく計画を策定中です。現在のプランは、
(1)イギリスのラズベリーパイ財団が途上国のコンピュータ教育用に開発した省電力のラズベリーパイコンピュータ(35ドルのLinuxコンピュータ)を高校1クラス分(約60台)提供しての、離島でのコンピュータのプログラム開発教育の推進
(2)無医島を将来的に解消するために、医学部、看護学校、医療系専門学校などに進学する学生に奨学金を支給し、将来はキナタルカン島での医療行為をすること
(3)キナタルカン島の倒壊学校再建募金を続ける「奨学金を贈る会」の高校生とキナタルカン島の高校生の相互訪問の交流など

を計画しています。

ここでは行政とボランティア、島の住民の皆さんと極めて良好な関係を築きながら活動を始めることができました。

こうした関係構築の重要性は十八成浜での活動からの教訓でもあります。 そして、今後も「愛知」の代表の想いで、途上国の大災害被災者応援活動を積極的に展開していきます。

11.南海トラフ巨大地震に備えて
全国の団体が、新品応援物資募集→瓦礫撤去ボラ→仮設○○食堂を 南海トラフ巨大地震に対する備えが東海地方では急務となっています。

第一に重要なことは、東海地方の人々の防災意識の向上です。

そのためには、被災地でのボランティア活動をし、被災地を目の当たりにし、被災者の体験を聞くということが大切です。

愛知ボラセンの被災地ボランティア参加者はのべ約7,000人ですが、実数で1万人を当面の目標としていきたいと考えています。

第二に、学校や企業、団体などでの緊急非常食の普及とそれに伴う被災者の講演・講話の普及、災害避難マニュアルの見直しです。十八成協議会は緊急非常食「THE ARK掘廚良甬擇鮨覆瓩討いますが、愛知ボラセンは十八成協議会の応援とともに、東海地方での巨大地震対策の重要な活動と位置づけて普及に努めていきます。

第三に、愛知ボラセンの活動を全国に普及し、次の大災害の時に、「愛知ボラセン方式」とでもいうべき、「新品応援物資募集→仕分け・分類ボランティア→瓦礫撤去→くぐなり食堂」の活動を全国各地で展開していきたいと考えています。
東日本大震災ではくぐなり食堂だけしか運営できませんでした。

それは愛知ボラセンの力量からすればしかたのないことです。

ですが、愛知ボラセンができたことが、全国の他の団体にできないはずはありません。

おそらくもっと見事に活動される団体もあることでしょう。
大災害が発生したら、全国の皆さんに愛知ボラセンと同じマニュアルで応援物資募集を呼びかけます。

そして、その応援物資を東別院にもってきて頂きます。

そして、紀伊半島から渥美半島にかけての被災地へ届け、そこで瓦礫を撤去し、その後、仮設○○食堂の活動を展開していくというものです。

10軒以上の、あるいはそれよりもっと多い数の仮設○○食堂ができるかもしれません。

愛知ボラセンの第一の目標は、日本の、そして途上国の、被災者を応援することです。

その活動を通じて、発災時の緊急医療、その後の応援物資提供、瓦礫撤去、さらに仮設住宅での孤独死を出さない活動と、被災者の人間関係の修復を計りながらのPTSD対策、被災者のためのよりよい復興住宅建築、被災者の雇用の創出、被災地の経済的な復興、震災孤児遺児への寄り添いによるPTSD対策など、総合的な被災者応援活動を展開し、これまでにはない総合的な災害ボランティア活動を創出していきたいと考えています。

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開設日
2011年4月27日

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カテゴリ
会社、団体
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