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森boyz

森boyz

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詳細 2011年6月6日 09:04更新

森boyz、
2011年再始動。


2011.06.26(sun) @ eel (Fukuoka)

19:30open
20:00start

2500yen
サイラーのパンとドリンク付き

※当日はサイラーのパンの販売もあります(数量限定)



eel
福岡市中央区薬院1-7-12セルクル薬院1F
092-406-8035
http://blog.livedoor.jp/kiking/


sailer
福岡県福岡市南区長丘2丁目1−5
092-551-7077
http://www.sailer.jp/public_html/shop/index.html



http://www.yakuin-records.com/index.cgi?mode=event&id=20110523182539

http://9studio.net/moriboyz/


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森boyz (mori boiz):

ぺーター・イリッチ・チャンコフスキー(ボーカル、パーカッション他)
ジョバンニ・ダ・ゼロノビッチ(ウクレレ、コルネット他)
フランソワ・マコベー(キーボード他)。


森boyz、初来日。

1960年代後半〜70年代には、イギリスのソフトマシーンやドイツのカンと並び称され、はたまた、後期ビートルズの影武者とも噂された彼らも、80年代以降は欧州のごく限られたフェスに出演する程度の活動しかしていなかったのだが、今年に入ってから、突如、二度に渡って来日した。初来日は、大分の「カテリーナ古楽器研究所」主宰・松本公博氏が一昨年のブルガリア滞在時にチャンコフスキーの楽器を修理したのが縁となって、同氏と縁の深いトラッド・デュオbaobabのコンサートのオープニングアクトとして、二度目は、ゼロノビッチが「博多ボサノバ研究所」主宰・マツオシンヤ氏と親交があったことから、とどろき酒店主催の日本酒イベントのメインアクトとして、いずれも何の予告もなく来日を果たした。
それにしても、猟銃を背負っていた彼らが、苦もなく入管を通過したのには唖然としたが、1966年と1971年の二度来日しながら、いずれも羽田から直帰させられた理由がこれでやっと判明した。ちなみに、1966年はビートルズのオープニングアクトとして、1971年は『'71 箱根アフロディーテ』に招かれての来日だったが、彼らが出演出来なかったことで、コントグループになる前のザ・ドリフターズが武道館の舞台に立つことになったことや、ピンク・フロイドが初来日を果たすことになったことは知る人ぞ知る話である。


伝説の「森」。 

ビートルズが1965年12月3日に発表した『ラバー・ソウル』は、音楽的・芸術的・商業的ないずれの面でも成功を収め、ビートルズがそのアイデンティティを確立したアルバムであり、この作品なくして、その後の『リボルバー』や『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は生まれ得なかったとも言える。ところが、この歴史的名盤は何の下準備もなく、わずか4週間程度で制作されており、アルバム収録曲とシングル『恋を抱きしめよう』『デイ・トリッパー』とが同時期に制作されていることを考え合わせると、当時のレコード制作の方法では物理的に極めて困難であり、ビートルズのメンバーが全てを録音したのかについての疑義は当時からあった。
そして、奇妙なことに、当時の音楽界四大誌、「ビルボード」「キャッシュボックス」「レコード・ワールド」「ラジオ&レコーズ」がレコーディング中の会話として取り上げた記事には、「森」(forest)という言葉がたびたび登場する。例えば、『ノルウェーの森』で、初めてのシタール演奏に苦労しながらジョージが言った“The forest can do it but I can't. ”や、『ミッシェル』のコードに悩んだ時にジョンが言った“Ask the forest, we can leave this portion and they can go the distance.”などは、哲学的な意味合いを含んだ言葉として取り上げられているが、単純に解すれば「The forestには出来るけど俺は無理」「the forestに頼もう。これは彼らにやってもらえばいい、彼らなら仕上げられるよ」とも取れるのだ。
では、the forestとは何を意味したのか。その答えは、1965年11月7日、ササ=グリノワ共和国の首都タマヤで開催されたササグリノワ音楽祭の記録フィルムに偶然残されていたあるグループの演奏にあった。そこには、『ラバー・ソウル』発表のひと月近く前に、まるでオリジナル曲のように『ノルウェーの森』を演奏する三人組が写っていたのだ。クレジットされていたグループ名は“Ліси”、英訳すれば“The Forest”となる。当時はまだ正式名称がなく、「EMIのスタジオの仕事でそう呼ばれているから」という理由でそう名乗ったらしい。そう、「EMIのスタジオ」とは、後の「アビー・ロード・スタジオ」であり、「仕事」とはビートルズのレコーディング・サポートだったことは想像に難くない。このことについて、森boyzのメンバーはもちろん、関係者の誰一人として語りたがらないため事実は未だに明らかにされていないが、その程度は別として、三人が『ラバー・ソウル』録音に関与していたことは間違いないと考えるのが妥当ではないだろうか。
(http://www.youtube.com/watch?v=N4wyglImBgA)


森boyz登場。

1965年8月、オーストリアのザルツブルク音楽祭で、カラヤン作の歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の劇中で演奏するfeenwald musiker(森の妖精楽団)として初めて人前に登場した彼らは、同音楽祭のみならず、バイロイト音楽祭、エディンバラ国際フェスティバルなど、同年8月から12月にかけて東欧を中心に数多くの音楽祭やイベントに招かれ絶賛を博した。
デビュー当初の彼らが舞台で演奏していたのは、ジプシー〜バルカン〜ケルトなどを含む欧州全域のフォルクローレに同時代的解釈を施したような楽曲であったことから、民俗音楽寄りのグループとしてとらえられていたが、翌1966年、活動の舞台を西欧に移し、ピンク・フロイド、ソフト・マシーン、カン、ゴング、ペンタングル、フェアポート・コンヴェンションなどと共演するとともに、DECCA系列のジャズ・アルバムの多くをサポートしたことから、特定の音楽ジャンルで縛れない先進的なバンドとして、ロック〜トラッド〜ジャズ界でもその名を知られるところとなった。


2011年、森boyz。

森boyzの現在のメンバーは、ドイツ系ウクライナ人のぺーター・イリッチ・チャンコフスキー(ボーカル、パーカッション他)、イタリア系ハンガリー人のジョバンニ・ダ・ゼロノビッチ(ウクレレ、コルネット他)、日系フランス人のフランソワ・マコベー(キーボード他)。また、「森」装飾と撮影も担当するマネージャーと思しき人物が常時随行している。「現在の」と書いたのは、今の三人と45年前に登場した三人とが同一人物とは思えないからだが、その外見は驚くほど似ている。
また、「森boyz」と名乗り始めたのは1966年初頭あたりからのようだが、その後も共演したバンドをもじった「ウッド・ツェッペリン」「ペンギン・フォレストカフェ・オーケストラ」など多数の名称で登場しており、「森boyz」に統一されたのは、人前での演奏が極端に少なくなった1980年以降と思われる。
森boyzは、同グループ名では、公式にはもちろん、プライベートでも正式な音源は一枚も残されていないが、1960年代後半から不定期に続けているイベント『Лесной фестиваль(森の宴)』の数回分をファンがカセットテープに録音したものが、一時期、海賊版レコードとして出回っていたことがある。但し、残存するそれらはいずれも保存状態が劣悪であるため、彼ら自身が録り貯めていると思われる記録の音源化や映像化、あるいは新録の発表が待たれるところである。
いずれにせよ、こうした類の質問に対しては、彼らも関係者も一切答えてくれないので、詳細も今後の見通しも未だに不明である。

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参加メンバー 7人

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開設日
2011年4月11日

2071日間運営

カテゴリ
音楽
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