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森田勝

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詳細 2016年5月20日 22:02更新

森田 勝(もりた まさる、1937年12月19日 - 1980年2月24日)

孤高のアルピニストとして70年代の登山ブームの中で総括された存在だが、近年は夢枕獏が小説で主人公のモデルとしている。(無論、小説『神々の山嶺』はフィクションではあるが時代背景を疎かにしているため森田の実像を捉えていないという批判がある面、再評価のきっかけとしては良いのではとの声もある)

【経歴】
1937年12月19日、東京都荒川区に4人兄弟の長男として生まれる。戦争中、埼玉県松伏に疎開、家族で自給自足生活に入る。小学生4年生の時に、母が死亡。父が再婚すると、野田の醤油工場に奉公に出される。しかし、中学校も卒業できぬまま実家に戻り、父の下で金型工の見習いとなる。そのころブームになりつつあった登山を始めるようになる。

1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とするする生活になる。

1966年、東京緑山岳会にも海外遠征の話がではじめる。目標を南米最高峰のアコンカグアと決まり、森田も強く参加を希望する。しかし必要な費用の工面ができずに参加できなくなる。そこで、雪崩が頻発して発生するため冬季登拳は不可能と見られていた谷川岳滝沢第三スラブ(三スラ)を、岩崎英太郎との登壁を計画。危険すぎる計画に東京緑山岳会から脱会を言い渡されるが、1967年2月24日午前に取り付き。引っ切り無しに発生するチリ雪崩の中を登壁。ビバーク。翌2月25日、チリ雪崩、雪の中をハングを乗り切り、夕方初登拳成功。

1969年、木村憲司らとヨーロッパへ初の海外遠征。冬の間に、アルプス三大北壁(アイガー・マッターホルン・グランド・ジョラス)を落とすという挑戦的な試みだった。1970年1月19日、アイガー北壁に取り付く。悪天候が続き、苦戦する。1月24日、頂上まであと300mのところで木村憲司が転落。左足を骨折する。1月27日ヘリコプターで木村憲司が救助される。残された4人で、チリ雪崩の中を掻い潜り、午後2時登頂成功。救助費用のため、残り2つの登拳は断念することになった。さらに後日、全員無事にアイガー北壁登拳に成功した日本人パーティーと比較され、批判めいた批評もうけることになった。

1972年、アルパイン・ガイド協会に入会。プロ登山家となる。1973年、第2次RCCのエベレスト遠征に参加。森田の推薦で、長谷川恒男も参加する。この遠征の目的は、エベレスト南壁からの世界初登頂、南壁からの初降下、秋季初登頂の3つ。森田は南壁からの登頂隊長に選出される。しかし、荷揚げのシェルパが雪崩に巻き込まれて遭難。南壁からの登頂が困難になる。森田に対して、ノーマルルートへの転進するか南壁にとどまるかの選択を迫られる。森田は、南壁からの登頂にこだわる。ノーマルルートから加藤保男・石黒久のアタック隊とサポート隊(長谷川恒男ら)を行かせることを決定。森田隊は8,350 mのところまで行って,登頂を断念する。加藤保男・石黒久は、なんとか秋季エベレスト初登頂に成功。

1974年、結婚。しかし山への情熱は衰えず、1976年、日本山岳協会によるK2登頂隊に参加する。荷揚げ・ルート工作に人一倍働く。8月2日、登頂メンバーが発表されるが、森田は第2次アタック隊にまわされる。第1次アタック隊でルートを開き、第2次隊で確実に山頂を落とす計画だったとも言われているが、あくまでも一番にこだわる彼はそれを良しとせずに造反。体調を理由に下山してしまう。

1978年、長谷川恒男がアイガー北壁冬季単独登頂を世界で始めて成功させる。グランド・ジョラス北壁を冬季に落とすと、長谷川は世界初のアルプス三大北壁の冬季単独登頂に成功することになるはずだった。これを聞いた森田は、1978年12月8日、グランド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)、冬季単独登頂をねらいヨーロッパに向かう。翌年早々、アタックを開始するが、悪天候に阻まれる。2月になり長谷川恒男もドキュメンタリー映画の撮影隊を従えて、麓のシャモニに入る。森田は、2月18日、再度アタック。その日の午後1時、休憩中にフックが外れ、50メートル落下。4時間意識を失う。激しい痛みで意識を取り戻すが、すでに夕刻。しかも左足骨折。胸部打撲。左腕も動かない。宙づりのまま、幻覚と戦いながら夜を明かす。翌日、右手・右足と歯で25メートルの、文字通り決死の登拳を行う。6時間以上かけて、荷物のあったテラスに戻る。ここでまた夜を明かす。翌日、フランス陸軍の山岳警備隊にヘリコプターにより救助される。2月25日、絶妙のタイミングを見計らいライバルの長谷川恒男がグランド・ジョラス北壁に取り付く。幻覚幻聴まで感じながら、長谷川は、3月4日、グランド・ジョラス北壁を征服。世界で初めて、アルプス三大北壁冬季単独登頂の偉業を達成。予想以上に反響を呼び、マスコミが大挙してシャモニに訪れる。当然、取材はシャモニで入院していた森田に対しても容赦なく行われたようだ。

帰国後、エベレスト登山隊への参加の話もあったが、K2での造反と骨折した左足にボルトが入っていることを理由にメンバー入りできず。

翌1980年の冬、まだ左足にボルトが入ったままグランド・ジョラスに現れる。森田の運営していた登山学校の村上文祐と、2月19日登拳開始。2月24日、行方不明。2月25日、山岳警備隊により2人の遺体発見。およそ800メートル転落、即死したとみられている。

【関連書籍】
佐瀬稔 『狼は帰らず?: アルピニスト・森田勝の生と死』 ISBN 4-12-203286-5

山際淳司 『みんな山が大好きだった』 ISBN 4-12-204212-7

夢枕獏 『神々の山嶺(上・下)』 ISBN 4-08-747222-1 , ISBN 4-08-747223-X

【主な登山・登拳歴】
1967年2月25日 滝沢第三スラブ冬季初登拳、岩崎英太郎

1970年1月27日 アイガー北壁 冬季日本人初、岡部勝・羽鳥祐治・小宮山哲夫と

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