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Fletcher Henderson

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詳細 2020年2月12日 16:15更新

フレッチャー・ヘンダーソン
James Fletcher (Smack) Henderson<arr, pf, comp>
1897年12月18日生まれ、52年12月28日ニューヨークで死亡。20年にアトランタ大学を卒業。ニューヨークに出て楽譜出版社の新曲宣伝係を務めたあと、21年にブラック・スワン・レコード会社の音楽監督に就任し、吹込みのほとんどすべてのピアノ演奏、コンボの指揮をとった。21年秋から翌年夏まではエセル・ウォーターズ巡業バンドを率いて楽旅したが、23年夏には自己のバンドを組織しクラブ・アラムにデビューした。これが歴史的なヘンダーソン楽団の第1歩で楽団の誕生となった。同バンドには24年10月から約1年間ルイ・アームストロングが在団し、そのコンセプションの設定に決定的な役割を果たした。彼のバンドは種々の点でビッグ・バンド・ジャズのパイオニアといえるもので、30年代に活躍した大物ジャズメンの多くはヘンダーソン楽団の出身者であった。20年代後半にこの楽団は最盛期を迎えたが、ほどなく人気は下降気味となり、34年にはバンドを解散、その後はベニー・グッドマン楽団に編曲を譲渡し同楽団の売り出しに大きな役割を果たした。35年から39年春までは再び豪華メンバーをそろえた自己のオーケストラと活動、その後は単身グッドマン楽団のスタッフ・アレンジャーとなり、41年から45年まで三たび自楽団を率いた後、再びグッドマン楽団の編曲者となった。48〜49年エセル・ウォーターズの伴奏として巡業し、50年にビッグ・バンドを半年間率いた。また同年暮には6重奏団を組織したが、それが彼の最後のバンドとなった。代表作は『フレッチャー・ヘンダーソン・ストーリー』(CBS-Columbia)、と『フレッチャー・ヘンダーソンVol.2』(Decca)。

(世界ジャズ人名辞典、スイング・ジャーナル社、1976年)

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開設日
2010年12月28日

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カテゴリ
音楽
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