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2Pacついて語ろう!

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詳細 2017年7月20日 03:17更新

2Pac(Tupac Amaru shakur)

身長
約180cm
体重
90Kg
"Death Row"レコード所属。



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1971年6月16日、元ブラックパンサー党活動家"Afeni shakur"を母に、NYブロンクスに生まれる。

1986年、ボルティモアに引っ越し、高校では演劇を学ぶ。 後にカリフォルニア州マーリンシティに移住。

1991年、 (Digital Undergroundの一員として)グラミー賞候補。

1991年10月、オークランド警察を相手取り訴訟を起こす。

1992年、映画「Juice」に出演し、俳優デビユー

1993年、アメリカンミュージックアウォードの best new rap hip hop artistを受賞。

1993年10月、アトランタで警官を負傷させたとして逮捕、正当防衛を主張。

1993年11月18日NY…第二級性的虐待容疑で逮捕。

1994年11月29日NY…客演した先のレコーディングスタジオの一階で強盗に遭う。5発銃撃され重症。スタジオにいた"Biggie" Smalls,Sean"Puffy"Combsなどの彼に対する様子、対応に疑いを持ちワナにはめたと確信。

1994年11月30日NY…銃撃を受けた次の日には病院を自分でチェックアウトし、法廷へ。93年11月の件で同意なしに相手に触れたとして、懲役二年半求刑。獄中に読んだ「君主論」に感銘を受け、それまでのギャングスタ的な生き方(サグライフ)を捨てようと決心する。

1995年、"Death Row"の社長"Suge Knight"が140万ドルの保釈金を支払い釈放される。恩に報いるため"Death Row"に所属。L.A.では顔利きの"Suge Knight"と行動を共にし、サグライフを余儀なくされる。舎弟軍団"Outlawz"を従え、"Puffy","Biggie"を筆頭に"Bad Boy Records"のラッパー達をDISしまくる。
その後、East Coastの"Mobb Deep"なども巻き込み、"Death Row" vs "Bad Boy"のレーベル対決から"West vs East"のCoast対決へと発展。

1996年9月NY、MTVアウォード受賞式出席。

1996年9月7日、ラスヴェガスのホテルで行われたマイクタイソンの試合をリングサイドのVIP席で観戦後、彼らは一路、パーティー会場に向かう。TOYOTAレクサス、黒の96年式BMW、MAZDAミアタ、メルセデスの高級車の列。 黒のBMWを運転するのは、デスロウレコードの社長"Suge Knight"。助手席には"2Pac"。後続車にはボディガードと友人達。信号待ちで停止したBMWの隣に、白のキャデラックが停まった。"2Pac"が座る助手席に撃ち込まれた銃弾は5発。2発は胸に、1発は腕に、もう1発は腿に命中。ハンドルを握る"Suge Knight"は頭部に軽傷を負う。キャデラックは右折して逃走。BMWは急発進してUターンするが、ラスヴェガス大通りとハーモンの交差点でタイヤが二本パンクし、停止。ラスヴェガス警察が駆けつけ救急車が呼ばれ、"2Pac"は大学医療センターに搬送される。生命維持装置に繋がれ、右肺の摘出、胸郭に溜まった2リットルの血液を除去。骨盤で止まった銃弾。砕けた左手。2度の大手術に6日間の昏睡状態が続いたが、意識は回復しなかった。9月13日金曜日に死亡。享年25歳。
誰よりも早く哀悼の意を表したのはパブリックエナミーの"チャックD"であった。

亡骸は火葬され、灰の一部はLAのウィルシャーブールバードと"2Pac"が住んでいた家の近くのマリブ、そしてNYのハーレム125番街、アトランタにある実家の庭に撒かれ、残りは家の中にある先祖の祭壇に収められている。

1997年3月9日、LAで行われたソウルトレインミュージックアウォードの授賞式の直後、走り去る車からの銃撃により"Biggie" Smalls(ノートリアスB.I.G)死亡。

これにより"West vs East"の戦いは沈静化へと向う。死後、母"Afeni shakur"が設立した"Amaur Records"と"Death Row"の共同で未発表曲を編集して、"Makaveli"名義を含む数枚のアルバムをリリースしてる。これからも"2Pac"のアルバムはドロップされ続けるだろう。

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"2Pac"は非常に好戦的な反面、友情には厚くダチに頼まれれば即座に駆けつける。しかし、自分を裏切る者には怒りもハンパじゃない。94年NYで5発の弾丸を受けながらも生還を遂げた"2Pac"。撃たれた現場に居合わせた友人達が誰一人"2Pac"を助けようとせず、見て見ぬふりをしたという現実。すさまじい孤独感を背負った"2Pac"は、最後の救いをママに求め、"Dear mama"という曲を完成。やさしい一面も持っており、長年孤児院に寄付をしていた。


追悼記念


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今から4年前の1996年9/13は『Tupac』の命日です・・・。もし彼が生きていたらHIPHOP界の頂点に君臨していたでしょう。『Tupac』の死はブラックだけでなく音楽を愛する全ての人にとっての損失です。死を悼んで彼の魅力を再認識しよう。

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"Live fast, die young, always leave a cool corpse"
「生き急げ、若死にしろ。クールな死体を残せ!」・・・。これはHIPHOP業界で語り継がれる警句ですが、『Tupac』はこれを地で行くような人生でした。すでに伝説のラッパーとなってしまった『Tupac』の信条とも言える"THUG"(サグ)。その男気あふれる生き方に『B-BOY』だけに限らず、中高生、カラーギャング、一部の暴走族、もちろん女性にも絶大な支持を受けています。彼の魅力とは何か??きっとそれは1度聴いたら忘れられない声、独特の流れるようなフロウ、歯切れの良いラップ、器用なリリック・・・。他にもルックスだとかいろいろあるけれど断言します。Voice(声)です!!

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かなり前から『Tupac』を聴いていたけど、始めて『Tupac』を意識したのは、とある喫茶店でした。その時スピーカーから流れていたのは"Holla at me"。鳥肌がたつくらい聴き入ってしまい、完全にノックアウトされました。知ってますか?この曲。悲しげなサウンドに波のように押し寄せるラップ、訴えかけるリズム、透明感のあるバックコーラス・・・。
家に帰ってアルバムをチェキしたらありました。悲しいかな大ブレイクしていた"California love"に気を取られて、ほとんど聴いていない曲でした。

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以前にも書きましたが、『Tupac』は裏切りに関してはシビアです。その怒りをリリックにもおりこみます。"Hit 'em up"のオリジナルシングルのカヴァーアートではパフィーの頭がヘビの身体についていて、ビギーの頭はブタの身体についていたそうです。また、『Tupac』が生きていた当時の副大統領が公の演説の中で、こう言っています『2pacの音楽はアメリカには不必要だ』その発言に対してのアンサーソングが"Letter to the president"です。
常に虚勢を張って等身大以上であろうとした『Tupac shakur』・・・"Rest In Peace"(安らかに眠れ)・・・。

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