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前原一誠 (佐世八十郎)

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詳細 2017年7月24日 19:12更新

TV2015年大河ドラマ【花燃ゆ】で佐藤隆太さんが演じてますTV

"維新の十傑"の一人。
やそ(八十)こと、佐世八十郎/前原一誠(させやそろう/まえばらいっせい)

維新の勝者である長州藩の光と闇を体現し、明治政府に立ち向かったこういう人物にこそ、"本物の維新史"を感じます。


【生年】
天保5年3月20日(1834年4月28日)長門国土原村にて、大組47石の長州藩士・佐世彦七の長男として生誕。

【字】
子明、士明

【通称】
八十郎、一誠、彦太郎

【雅号】
古心、黙生、黙宇、松処、梅窗、蕉雨、瓶城、後己、寸晦、晩香、松渓、花渓、狐洲、斃休斎、斃椿東、倚傲軒、大雅園、太虚洞、芳城閑人、指山樵夫、淞浦漁夫、行屍散人

【変名】
米原八十槌、米原直蔵、米原誠蔵、原狷介


〜〜松陰の教えを自分のものとし、その志を、忠実に継いだ〜〜

前原一誠は、萩の長州藩士の家に生まれた。
幼い時、父の仕事の関係で船木宰判のある目出に移った。
内職をしながらの、貧しい暮らしの中で、一誠は、近所の農家の子供たちと共に育った。
後に、農家や身分の低い人に目を向ける考え方は、幼少のこの頃に育まれた。
教育熱心な父は、一誠に勉強させるため、独り萩に出した。
ある日、馬に乗り、父母が住む目出に戻る途中、落馬して足と胸を強打し、それが一生の持病となった。
再び萩に出るが、家の都合もあり目出に戻った。
一誠は「井の中の蛙」と元気がない。
仕事が変わり萩へ帰った父が、そんな一誠を見て、松陰の塾に行くことを勧めた。
松陰は、罪人として萩に送り返された人物である。
その松陰を、父は勧めた。
松陰の元を訪れた一誠は、わずか10日間だけ学んだ。
そして、松陰に感動した。
松下村塾で多くの友と出会い、一誠の世界は、一瞬にして広がった。
一旦目出に戻った一誠は、再び松下村塾に現れた。
一誠は、松陰の教えを心に刻んだ。
「仁政」。人に対して優しい政治。
後に、それを一誠は、全身全霊を傾け、基本とした。
松陰は、自分の志を継ぐ人があれば、死など取るに足らないと言い切った。
その志を継いだのが、前原一誠である。

以上『月刊松下村塾Vol.8吉田松陰と前原一誠』より


24歳で吉田松陰の松下村塾に入門。
27歳で、《一誠》を名乗ると動乱の世に出ていった。

文久年間は攘夷活動に奔走し、高杉晋作の功山寺挙兵にはたった一人で駆けつけた。
慶応年間は藩の中枢である政府員として活躍し、高杉からは"後進之英物"と最大級の評価を得る。

四境戦争では小倉口参謀として長州軍を指揮。
戦火で荒廃する土地、苦しむ人々を目の当たりにして、"慘然として独り心を痛む"と心境を詠む。

戊辰戦争では干城中隊副総督、次いで北越征討総督府参謀に就任。北越で戦った。

仁政をモットーとし、小倉や新潟では、周囲の反対を押しきり年貢半減令を出す。
傷ついた人々を助ける職務に使命感を覚えた。

意外と知られていないことですが、会津陥落後、厳罰を望む新政府軍首脳部を説得。朝敵となっていた会津藩救済に尽力。


戊辰戦争が終結すると数々の功績を認められ、永世禄600石を支給される。
しかし、同じ長藩出身の木戸孝允や広沢真臣は1800石も支給され、過小評価されてるのでは!?との意見も出たが…

「私のように才能のない者が、賞典を受けるのさえ恥ずかしい。なのに永世禄600石を頂くことになり、身にすぎたことです。それを今日禄が高いの低いの言うのは男子の恥」と語る。

明治新政府では、大久保利通、副島種臣、広沢真臣と並び参議という大職に就任。
続いて、大村益次郎の後を引き継いで兵部大輔に就任。
だが、弱者を切り捨て西洋式近代化を急ぐ政策に失望を覚えた。
やがて職を辞任すると東京を離れ、萩へ帰郷。

"今より人の世の交わりを絶とう、剣を売り牛を買おう"と詠み、幼き頃のように農耕で生きてゆくと、畑仕事に精を出し、隠遁者となった。
「私は百姓だ、もう金輪際世上のことには関わらぬ」とまで周囲に語った。

だが、周囲には困窮する士族たちや、使い捨てにされた緒隊の人々が多く訪ねてくるようになる。
彼らの話しを聞いていくうち、政府の方針を正すべく、天皇へ諫言することを決意。

かつての同志・友さえ敵に回し、地位も名誉も捨て立ち上がった。
明治9年、"前原騒動"が始まる・・・世に萩の乱とも呼ばれた。

家族に宛てた手紙に、
「病に死すも、刃に死すも、死は同じことなり。我は忠義に死すると思い詰め候も、奸吏も我らを賊となりとも盗となりとも言わば言え。心は誠に清く候はば、天地神仏へ対し、いささかも恥ずかしき心、これなく候まま、我ら死に候とても、少しもお悔やみなきよう、一重に祈り候」 と記した。
43歳で刑場の露と消えるその瞬間まで一誠を貫く。


感情の起伏が激しく、不器用だが妙に素朴で人間臭い。
理想主義過ぎる面もありますが、その魅力は何より松陰先生お墨付きの誠実さ、徳の高さ。
そんな前原一誠先生を慕うコミュニティ。

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◇幕末維新資料出版『マツノ書店』
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◆春風文庫
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