mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > スポーツ > 広岡達朗

広岡達朗

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2017年6月14日 02:04更新

選手としては遊撃手として巨人の一時代を担ったその守備力が評価されたが、指導者としても弱小球団であったヤクルト・西武をわずかな期間で日本一のチームにした指導者としての手腕が高く評価されている。早稲田大学の後輩である近藤昭仁・中村勝広・八木沢荘六や、監督時代の教え子だった若松勉・大杉勝男・田淵幸一といった信奉者がいる。チャーリー・マニエルは池井優の著書で広岡の人間性を批判していたが、後に自身がメジャーリーグ球団の監督になってから「ようやくヒロオカの言っていたことが理解できた」と発言している。

広岡 達朗(ひろおか たつろう)
1932年2月9日生まれ
広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・
プロ野球監督、野球解説者。
巨人では12年間に亘り、内野陣の要として活躍の後、同41年に現役を引退。
野球評論家、広島カープコーチを経て同49年にヤクルトスワローズコーチとなる。
代理監督から同52年に監督に就任。同53年にはセ ・リーグ優勝、そして日本シリーズをも制覇して日本一に輝く。
同54年にヤクルトを退団するも同57年、その実績が買われ、西武ライオンズの監督に迎えられる。
この年、同58年と2年連続日本一を達成さらに同60年にパ・リーグ優勝するも、日本シリーズであの“阪神”に敗れ監督を辞任。
厳しい鍛錬と妥協を許さない指導はつとに有名だが、勝つために何をいかにすべきか、を徹底的に追求し続ける“広岡野球”の基本がここにある。弱小ヤクルトを日本一に鍛え上げ、西武にあっては今日の黄金時代への礎を確立するなど組織づくりと指揮の一つひとつは野球のみならず、事業経営や人生にも通じる要諦を数多くみることができる。平成4年野球殿堂入りを果す。

■著書
『勝者の方程式』
『意識改革のすすめ』
『積極思想のすすめ』がある



背番号
2 (1954年 - 1966年)
70 (1970年 - 1971年)
71 (1974年 - 1979年途中)
80 (1982年 - 1984年)
91 (1985年)
タイトル・表彰
新人王(1954年)
ベストナイン:1回 (1954年)
正力松太郎賞:2回 (1978年、1982年)
オールスターゲーム出場:6回 (1954年、1955年、1957年 - 1959年、1965年)
野球殿堂入り(1992年)
通算1000試合出場 1963年4月21日(78人目)

トピック立てやアンケートの作成は自由です
コミュニティの活性化にご協力お願いいたします
但し、類似トピ立てや立てるまでもない内容のトピ立てはご遠慮下さい。
また、トピの内容にそぐわない書き込み、
参加者を不快にさせるような書き込みも厳禁です。

コミュニティにつぶやきを投稿

最近の投稿がありません泣き顔
つぶやき・トピック・イベント・アンケートを作成して参加者と交流しようわーい(嬉しい顔)
参加メンバー 8人

もっと見る

開設日
2010年5月29日

2584日間運営

カテゴリ
スポーツ
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!