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平氏と源氏の千年振りの再会

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詳細 2017年2月23日 03:38更新

平氏と源氏の末裔の皆さんの一千年振りの再会です。天皇家よりの血脈を持ちながら、護衛の仕事から始まる武士草創期の武士団で有名な家柄です。平氏も源氏も平安時代初期から坂東、現在の茨城を中心に千葉県栃木県さらに埼玉県、東京都、神奈川県で繁栄しまた。

この時代からも平氏と源氏は婚姻関係による親しい友好関係にあったのですが、領地問題などで、たびたびいざこざがあり、戦いが絶えなかったようです。。中でも将門の乱は関東全域に渡り、独立国の宣言をします。

鎌倉時代には源頼朝の鎌倉幕府創建の為に協力した、北条、三浦、和田、千葉、相馬、村岡、等々、ほとんどが坂東平氏でした。あの源平の戦いも、実は平氏と平氏の戦い、平平の戦い、同族の戦いだったわけです。血脈からみても、平安初期からの婚姻による親戚同士でもあったのです。
源氏と平氏の末裔の皆さん、一千年振りの再会をしましょう!。

または源氏や平氏に興味のある皆さん!お気軽にご参加よろしくお願いします。

平氏と言えば、平将門、平清盛が代表の二人です。平家も将門も最後には、時の権力に敗れて不遇な末路を辿ることになり、落武者、落人となり、山奥でひっそり暮らす者あり、(平家の落人伝説のある村は全国に130以上あります)再起して豪族や武士となった者もいます。不遇な環境でも子孫を現代まで育み、伝えた先祖に感謝したいと思います。

ともあれ、平氏の始まりから千年も過ぎた現代ですから、家系図があるのは僅か、あっても信憑性に疑問ありですから。
とりあえず、先祖代々、平氏、将門公、平家の末裔だと言い伝えのある皆さん、または将門公や平氏、平家に興味のある皆さん、お気軽にご参加よろしくお願いしますわーい(嬉しい顔)
きっと私の遠い親戚さんです。わーい(嬉しい顔)

また源氏といえば源頼朝、源義経を支えた有力武将は平氏の流れをもった武将達でした。

清和源氏流、新田、大島、里見、山名、足利、一色、上野、畠山、細川、吉良、佐竹、武田、板垣、小笠原、浅野、明智、など。
宇多源氏には、佐々木、尼子。
村上源氏には久我、北畠、岩倉、など。

清和天皇、宇多天皇、村上天皇は全て桓武天皇の子孫ですから実は桓武天皇からの血脈で、平氏も桓武天皇の血筋ですから源氏も平氏も同族なのです。

実は親戚関係だったにも関わらず、何かと対立的な関係にもあったのも事実ですが、今は平成の世、あれから一千年が過ぎた現在、遠い親戚同士仲良くしたいと思います。「源氏の子孫と平氏の子孫の千年振りの再会」を企画しました。

桓武天皇から葛原親王-高見王-高望王が「平朝臣」を賜姓されて平高望に臣籍となり、平高望から武士団としての桓武平氏が始まりました。

良将流、桓武天皇-葛原親王-高見王-高望王-平良将-平将門-<良門、将国>----千百年後の現代、相馬氏、篠田氏(信田)(信太)、三田氏、神田氏、門馬氏、大和田氏、江戸氏、柴崎氏、鏑木氏、築土氏上斗米氏、下斗米氏、などその他幾つかの名字に枝分かれして全国各地に子孫が繁栄しています。
さらに高望の子、国香、良兼、良将、良孫、良広、良文、良持、良茂、は坂東平氏の祖先です。

国香流から伊勢平家の清盛や北条氏が出ています。多気氏、下妻氏、東条氏、真壁氏、鹿島氏、など。
平氏政権を樹立し栄華を誇りましたが壇ノ浦で滅亡しました。平家の落人の末裔として、薩摩の種子島氏、対馬の宗氏、尾張の織田氏など。越後平氏に奥山氏、城氏。

良文流からは坂東八平氏、秩父氏、上総氏、千葉氏、中村氏、三浦氏、鎌倉氏、土肥氏、梶原氏、大庭氏、長尾氏、秩父氏からは色部氏、本庄氏などが派生しました。
その他多くの子孫のみなさんも枝分かれして繁栄しています。

源氏の子孫、平氏の子孫の皆さんご参加よろしくお願いします。


古来より言い伝えで平氏、源氏または将門公が先祖だと伝わっている皆さんや、源氏、平氏、将門公に興味のある皆さんの集いです。

写真は将門戦死の地にある国王神社(茨城県坂東市)の将門座像です。
将門の娘、如蔵尼が三十三回忌に際して刻んだと言われています。この社殿と共に重要文化財に指定されています。

将門公の人物像は、例えば、戦場では勇猛果敢に戦ったが伯父の良兼と戦った時には負けた良兼を殺さずに逃げ道を作ってやったり、平貞盛と源扶の妻を捕らえた時も、衣服を剥ぎ取られ無惨な姿になっていた二人に、かつて自分の妻を殺されていたにもかかわらず、二人に衣服を与えて解放しています。敵の妻や女子供には情けをかける、無意味な人殺しを嫌うヒューマニストだったのです。
弱きを助け強きを挫く心優しき荒武者、生涯戦いに明け暮れ、多くの敵をなぎ倒した将門。しかし、ひとたび戦場を離れると気取らず庶民的であり、困った人がいれば放っておけない、思いやりに溢れた武人でした。謀犯人と呼ばれながらも、時代を越えて人々に愛され続ける将門の魅力は、語り継がれる伝説や逸話の中に散りばめられています。

将門の残党の一派は下総から、隅田川を渡って江戸へ流れ込んだと言われています。当時江戸は、新開地だったのです。江戸初期の開発には将門の旧臣の子孫たちが関わっていました。将門塚や将門を祭神とした江戸の総鎮守神田明神があるのもそのためだと伝わっています。
将門の影武者が、青梅、さらに奥多摩に落ち延びて、将門に由来する地名や伝説も残されています。
またある一派は将門の子供を連れて霞ヶ浦の浮島地区に隠れ住んだとも伝わっています。源平の合戦で落ち延びた平氏の末裔たちも日本全国に安住の地を求め豪族や武士として、または帰農しながら全国各地に広がって行ったと考えられます。

平氏、源氏の末裔、または将門の末裔だと言い伝えのある皆さん。近い親戚、遠い遠い親戚さん、または興味がある皆さん、はじめまして!!
お気軽にご参加よろしくお願いしますわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

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2010年5月20日

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