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師岡熊野神社☆パワースポット

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詳細 2015年10月22日 16:42更新

神社の由緒


この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体であります。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わりそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は1050回余にもなる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝へて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池(指定地域史跡)、のの池ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。
享禄2年北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文五年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治6年三十三ヶ村の郷社に列した。
 その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、遂に今般「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施し、面目を一新した。

当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。


みくまのものがたり


今を去る1277年の昔、第45代聖武天皇の御代の神亀元年甲子歳、この師岡の地にどこからともなく一人の不思議な老人がやって来ました。その老人の名前を全寿(ぜんじゅ)と申しました。全寿は、現在、神社のある熊野山の梛(なぎ)の大木のうろの中に住み、草や木の根を食べて生活し、日夜怠ることなく法華経(ほっけきょう)を読み続けておりました。
全寿は法華経一万部を読もうという願を立てていましたが、遂に一万部を読み終えたその日、空には紫色の神々(こうごう)しい雲が棚引き、その雲の中から熊野大権現の御声があって、この山こそ、長年私が祀られるために待ち続けていた神山であると仰せになりました。そして、一枚の熊野大権現の神札が空から降りてきました。  
全寿は、空から降って来た熊野大権現の神札を梛の大木のうろに納め、大切にお祀りし、以前にも増して精進の毎日を送りました。  
そんなある日、全寿の夢に金色の阿弥陀如来が現れました。そして、「私は、この世の人々を救うために、熊野権現なって現れ、この師岡の熊野山においてお前に祀られることを長い間待っていた。私はお前と対面したいと思う。すぐに大和国(今の奈良県)春日大明神(今の春日大社)までやって来て、参篭(さんろう)せよ。そこで、私はお前に姿を見せるであろう。」と告げられました。  
夢から覚めた全寿は、涙を流して喜び、さっそく大和国春日大明神へと向かいました。  
春日大明神に着き、全寿はさっそく参篭の生活に入りました。その甲斐あって、ある暁方、浅い眠りから目覚めた全寿の前に、まごうことなき熊野権現がお立ちになり、早く師岡の地に連れて行ってくれと仰せになりました。  
春日大明神の御神前で全寿の前にお姿を現わされた熊野権現は二尺六寸ばかりの木のお像でした。  
全寿は熊野権現のお像を背負って関東に帰ることにしました。しかし長い道のり山を越え野を越えて行くうちに全寿はすっかり疲れ果ててしまいました。すると、熊野権現の空に澄み渡るような御声が聞こえました。「お前の苦しみは見てはおれない。私がお前を背負ってあげよう。」  
全寿は「とんでもない。」と堅く辞退しました。しかし、熊野権現は全寿を軽々とその背に負われたかと思うと、あっという間にこの師岡の地に連れてこられたのでした。  
全寿は、熊野権現を霊木、梛の木のうろに安置し、日々精進を欠かさずお祀りいたしました。これが現在に伝わるこの師岡熊野神社の御祭神の由来です。  
全寿はその後、熊野権現から飛行自在のの神通力を与えられ、仙人と生まれ変わったということです。  
全寿仙人が熊野権現をおまつりしてから幾星霜(いくせいそう)かが流れました。  
第58代光孝天皇の御代、仁和元年(885)七月のこと、諸国に天変地異があいつぎました。  
宮中にも地震が続き、皇后は不安におびえ、思い病にかかりふせってしまわれました。いろいろな薬や御祈祷も効果がありません。  
その時、皇后の御夢に一人の翁があらわれて告げました。  
「私は熊野権現である。武蔵国師岡の熊野山に私をまつっている全寿という者がいる。しかしまだ社殿がない。私のために社殿を建てて下さらば、病気をなおそう。」  
夢から覚めた皇后は、さっそく熊野権現ために社殿を寄進しようと、天皇にお願いされたのです。この願いが許されるや、皇后の病気もたちまちに回復しました。  
光孝天皇の勅命を受けて、神社建立の奉行となった六条中納言藤原有房卿が全寿仙人のいる師岡の地にやって来ました。  
光孝天皇の御社殿御造営の勅命を受けた六条中納言藤原有房卿は、全寿と対面しさっそく神社の建立にかかられました。  
天皇様の勅願所となる神社ですから、技術の粋を集め、選りすぐった大工達によって、金銀を散りばめ、珠玉を尽くした荘厳華麗な御社殿が完成しました。時に仁和元年(885)十二月のことでした。天皇様はたいそうお慶びになり、御自ら筆をとられ「関東随一大霊験所熊埜宮」という勅額を賜ったのです。  
以後当社は、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇、村上天皇の四代にわたり、天皇家の勅願所となりました。  
今の足洗川は、有房卿が関東下向のとき、足を洗った川で、大口坂は有房卿が、ここで装束を改め大口をお召しになったのに由来するといわれています。

サッカーの神様

日韓共催のワ−ルドカップ。 そのメイン会場となった日産スタジアム『横浜国際総合競技場』のある横浜北部の守り神である当社では、(財)日本サッカー協会公認のエンブレムとマスコットを用いた「サッカー御守」を頒布しています。 当社の御社紋は古来より、サッカー日本代表チームの胸に刻まれているエンブレムと同じ「三つ足烏」です。チームの必勝と選手の健康を祈って多くのサッカー関係者がお参り訪れます。

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