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西住戦車長

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詳細 2017年1月9日 04:41更新

西住小次郎 中尉(死後大尉)のコミュです。
陸軍省から公式に「軍神」と指定された最初の人物。

大正3年1月12日熊本出身、甲佐小、旧制御船中を経て、昭和5年に陸軍士官学校に進む。

昭和12年8月 西住小次郎は戦車第一連隊の細見大隊の小隊長となる。
昭和12年9月上旬 第二次上海事変の宝山城の戦いで初陣
(毎日新聞に、西住中尉が将校でありながら部下と一緒に泥土や油にまみれながら戦車のキャタピラを掃除する姿が報道されている)

その後、月浦鎮から羅店鎮へと転戦

同年10月21日 大場鎮の戦いにて、堅牢を誇る敵陣へ僅か二両の戦車で150メートルの近くまで迫り89式乙型中戦車の備砲57?砲と軽機を乱射し、敵は混乱、これを契機に潰走する。
(敵の遺棄死体数百を数えたが、西住戦車隊長の戦闘詳報には、僅か数行「若干の敵を撃破せり」と記されているにすぎない)

同年10月下旬 南翔の戦いでは中隊長代理として戦車隊を率いた。謝家宅に近づくと、敵の大軍に遭遇、中隊は各戦車を展開して縦横無尽に敵陣の中を踏みにじり、敵を逸走させる。その後、敵は南翔外側の小南翔の防塞に立てこもり、日本軍歩兵に甚大な被害を与える。そこで、西住中隊長代理は、戦車を駆って敵陣に突入、戦車前面に被弾し、大穴があくが、西住中尉は天蓋に馬乗りになり、戦車隊を指揮、2時間あまりで敵を制圧する。

乱戦のために見失った部下の山根小隊を、西住は敵前でありながら戦車から飛び降り、真っ暗な前線で部下を探し続けたという。やがて山根小隊はルートを間違えただけで、無事合流する。この日、西住は足部に小銃弾を受け、長靴が履けず、片足は自作の下駄を縛り付けて戦っていたという。野戦病院では、自分の傷を忘れ、時間があれば部下につきっきりで見守っていたという。

昭和13年5月17日 徐州攻略戦にて、宿県攻撃の際に立ちはだかった長大なクリークの水深を測りに、指揮官旗の旗竿をもって、弾雨のなか渡河点を探す。偵察を済ませ、そのまま中隊長戦車の方に向かう途中、後方から飛来した敵弾に右ポケットの時計を突き抜かれ、さらに鼠蹊部の動脈を撃ち抜かれ、出血多量で息を引き取った。

戦車で後方に運ぶ途中、部下の高橋伍長、高松上等兵、砲手の斑目上等兵に「たった一年で…お前達と…別れようとは…。しっかりやって、いい軍人になってくれよ」と遺言し、母に「母に…頼む、小次郎は満足して…お先に参ります…と」と、母と姉への遺言を頼んで息を引き取った。徐州入城を見ず、その二日前に戦死した。(享年25)

初陣から34回の出撃激戦を重ね、負傷5回。愛車には千発以上の弾丸跡を残した。

昭和13年12月18日、陸軍省により「(前略)支那事変の軍神である」との発表。

各界もこぞって西住戦車長伝を喧伝、菊池寛「西住戦車長」、映画「西住戦車長伝」(主演上原謙)が制作される。


軍神云々の前に、人望が厚く、非常に勇敢、純粋であり、武士道の鑑のような人物だと思います。


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日中戦争 支那事変 上海事変 徐州 八九式

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