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男の星座

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詳細 2016年5月19日 18:39更新

梶原一騎「引退」記念作品
一騎人生劇場 男の星座
原作 梶原一騎
劇画 原田久仁信
週刊漫画ゴラク連載

さらば!友よ
梶原一騎

思えば4分の1世紀──25年の余にわたり梶原一騎は劇画の原作を書いてきた。
 そして、このたび「引退」を決意した。理由は今更もうクドクド言わぬ。思うところあって、と日本語には奥行の深い表現があるではないか。あえて一言だけ残すなら、あの百恵チャンや都はるみだって引き際を知っていた、いわんや男一匹……。
 とにかく、これが劇画原作者・梶原一騎として最後の作品になる。
題して──一騎人生劇場・男の星座。さよう、完全なる自伝である。私の青春遍歴ドラマだからして、当然「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」「タイガーマスク」「空手バカ一代」はじめ、私の代表作とされる無数の作品群の母胎とも称ぶべき最終作ともなろう。さまざまの男たちの群像、すなわち「男の星座」を遊泳し、交錯し、その光を浴び、反射し、輝き合うことで私は謂ゆる「男の世界」を描ける作家になれた。成人相手の「人間兇器」や「カラテ地獄変」も同断。
 従って力道山が出てくる、大山倍達が登場する、A・猪木もG・馬場も2人のタイガーマスクに至るまで。空手、プロレス界のみでなくプロ球界、芸能界、さらには極道界(?)の男たちも本家・尾崎士郎氏の飛車角、吉良常そのままに。
 無論、すばらしき多くの無名の男たちも、否いろいろ世間で噂してくれた女優タレント達のことだって赤裸々に描くつもりだ。友よ、愛する読者諸兄よ、梶原一騎とのゴージャスなる「最後の晩餐」に堪能せよ!



昔 原稿を
持ちこんだ覚えのある
講談社の
マンモス・ビルを
一太は訪れた編集長の
背景(バック)に見た………



さようなら
アニキ!!

安らかに
…………



男の星座よ、永遠に
真樹日佐夫

大いなる遺産

「梶原一騎なくして劇画史を語ることはできない。」
とは、さる評論家のコメントであるが、私としても身贔屓ではなく掛け値なしにそう思う。
 前述の通り「チャンピオン太」にはじまって「巨人の星」、「あしたのジョー」、「タイガーマスク」、「愛と誠」、「四角いジャングル」、「男の条件」、「空手バカ一代」、「夕やけ番長」、「ボディーガード・牙」、「カラテ地獄変」、「恋人岬」、「斬殺者」、「若い貴族たち」、「人間兇器」……そして「男の星座」と、梶原が劇画界にのこした足跡は偉大の一語に尽きようが、それとは別の功績も見落としてはなるまい。
 劇画原作者なる職分は、かなりののちまで劇画家の付け足しの感を拭えなかった。作品の冒頭に並ぶ作者名ひとつをとっても原作者のそれは劇画家よりも一段と小さい活字でしかなく、また原稿料、単行本の印税配分などにしても永らく後塵を拝し続けてきたのだ。
 そうした通例、悪弊をひとつひとつ打破してのけ、
「ストーリーがまずあってこその劇画作品である。」
そのある意味ではわかりきった事実を業界に浸透させるとともに、劇画家に並ぶものとして原作者の地位を高らしめたのは梶原にほかならない。といって、そこへ至るまでの道程は彼にしたところで決して平坦なものではなかった。梶原は劇画原作者としてデビューしたその当初から、一貫して編集部からの手直しの要求には応じなかった。
 前出の牧野が手を加えさせるつもりで玄関の下駄箱の上に置いて行った原稿を、梶原がそのまま翌日まで放置し、取りにきた編集者に渡してすませた逸話はあまりにも有名である。
 また彼は、いかに高名な劇画家とコンビを組もうとも、ストーリーを一部修正するなどは勿論、吹き出しの文句を一字たりとも変えることすら許さなかった。
 梶原一騎だからこそ可能であった、とする見方もできようが、とにかく彼が万難を排し意識的にこわもての姿勢を貫いてきたことこそが原作者の地位向上をもたらし得た、この事実は動かせない。
 青山葬儀所での告別式の席上、私が弔辞を依頼した小池一夫は、
「梶原大兄。」
と彼に呼びかけ、さらに、
「偉大な?戦友?。」
とも評しつつ、その双眸には光るものが見られた。

 梶原は天上の星になった、と信じたい。
 彼がその作品群のなかで常に追い求め続けた男の星座のひとつの位置を占め、未来永劫光を失わずに輝き続ける、と―――。

私の一番好きな作品
高森篤子

「奥さんとして一番好きなご主人の作品は何ですか?」
 もし、そう聞かれたなら私は、すかさずこの「男の星座」を上げるでしょう。
 数多い主人の作品中、どうしてこの「男の星座」が好きかというと、主人が初めて真実を公にした自伝であるのが、まず第一の理由です。
 自らの素を公にさらす事が出来たのは、本当の意味の強い人間、すなわち、何ものも恐れない、負けない強さを持ったからだと、私は思います。
 頂点からころげ落ちたのちの人間が見る、ある種の達観した境地と、死から生還した人間が知るこの世の真実を、同時に体験したからこその、この作品だと思うのです。
 冷静に客観視して描かれている全ての登場人物は、肉の温かさや、心の痛みが伝わってくるほど活々と浮かび立ち、主人の生きた遙かな時間が、深く遠い所から目前に迫って、あたかも同時間を共有しているような思いに捕らわれるのは私一人でありましょうか。
 この作品に、特別な思い入れのある事を否む事は出来ないのです。
 真実はともかくも、夢を与えるべき立場の人間のけじめとして、この作品をもって劇画作家梶原一騎の名を最後とする、と言った言葉通り、梶原一騎は消えてしまいました。
 この作品の連載当時は、私達夫婦が再び復縁し、バラバラだった家族がやっと一つになって、失った時間を必至で取り戻そうと努力している時期でした。
 元に戻る事などおよそ不可能なくらい、粉々に砕け散った状態の我が家だったのです。
 子供達に反抗される事、嫌われる事、憎まれる事を恐れず、大きく強い愛を言葉や行為の裏に秘めた主人の努力で、私達一家は、考えられない程の短時間で家族になってゆきました。
 あの急な主人の行為を思う時、あたかも自分の残り時間を知っていたような気がしてなりません。
 残念ながら未完となってしまったこの作品です。
 でも、私は伝えたい!
  ベッドでの横臥を絶対とされ、喫煙は自殺行為だったあの時期
  絶対安静の入院中でも、「男の星座」の原稿を書いていた事を──
  「先生、今日の点滴は左腕にお願いします──。」そう言い、右手で鉛筆を走らせていた事を──
  血痕がついてしまった原稿を気にして書き直そうとまでしていた事を──
 あの絶筆となったラストシーン。講談社という姿をした大きな出版メディアを、万感の思いで仰ぎ見る梶一太……。
 今主人は、多くの出版社が見渡せる護国寺に眠っています。ラストシーンと同じあの場所で……。

「僕は、梶原塾の最後の卒業生だと思っているんです。先生は、自分を赤裸々にさらけ出した『男の星座』の仕事を通して、僕に恥をかきなさいって教えてくれたんですよ。体当たりで向かっていけば、読者は必ず応えてくれるよ、と」 (原田久仁信)


 梶原一騎の墓は東京都文京区音羽、護国寺の一角にある。戒名は高照院啓發一騎居士。彼の栄光と破滅とともにあった講談社本社社屋を眼前に睨む墓石の前には、今もファンからの献花が絶えることがない。

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