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神仏習合

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詳細 2017年7月20日 20:56更新

本項は主に日本における神仏習合についてのコミュニティです。

以下、wikipediaから「神仏習合」関連の項目を複数引用致しました。
長くなりましたが、ご参照ください。

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神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、土着の信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。一般的に日本で神祇信仰と仏教との間に起こった現象を指すが、広義では、世界各地に仏教が広まった際、土着の信仰との間に起こった現象をも指す。以下、日本における神仏習合について述べる。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。

【仏教の伝来】
552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の存在として認識された。日本で最初に出家して仏を祀ったのは尼(善信尼)であるという記録が『日本書紀』にあるが、これは巫女が日本の神祇を祀ってきたというのをそのまま仏にあてはめたものだと考えられている。

寺院の焼亡による仏の祟りという考え方も、仏には祟るという概念が無いため神祇信仰をそのまま仏に当てはめたものと理解できる。

【神宮寺の建立】
日本人が、仏は日本の神とは違う性質を持つと理解するにつれ、仏のもとに神と人間を同列に位置づけ、日本の神々も人間と同じように苦しみから逃れる事を願い、仏の救済を求め解脱を欲しているという認識がされるようになった。715年には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、満願禅師らによる鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。また、宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた。奈良時代後半になると、伊勢桑名郡にある現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立の動きは地方の神社にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、他の諸国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依したいとの意思を示すようになった。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになった。

こうした神々の仏道帰依の託宣は、そのままそれらを祀る有力豪族たちの願望であったと考えられている。律令制の導入により社会構造が変化し、豪族らが単なる共同体の首長から私的所有地を持つ領主的な性格を持つようになるに伴い、共同体による祭祀に支えられた従来の神祇信仰は行き詰まりを見せ、私的所有に伴う罪を自覚するようになった豪族個人の新たな精神的支柱が求められた。大乗仏教は、その構造上利他行を通じて罪の救済を得られる教えとなっており、この点が豪族たちに受け入れられたと思われる。それに応えるように雑密を身につけた遊行僧が現われ、神宮寺の建立を進めたのだと思われる。まだ密教は体系化されていなかったが、その呪術的な修行や奇蹟を重視し世俗的な富の蓄積や繁栄を肯定する性格が神祇信仰とも折衷しやすく、豪族の配下の人々に受け入れられ易かったのだろうと考えられている。

こうして神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示している。8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになった。710年(和銅3年)の興福寺における春日大社は最も早い例である。また、東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を勧請して鎮守とし、これは現在の手向山八幡宮である。他の古代の有力寺院を見ても、延暦寺は日吉大社、金剛峯寺は丹生神社、東寺は伏見稲荷大社などといずれも守護神を持つことになった。

この段階では、神と仏は同一の信仰体系の中にはあるが、あくまで別の存在として認識され、同一の存在として見るまでには及んでいない。この段階をのちの神仏習合と特に区別して神仏混淆ということもある。数多くの神社に神宮寺が建てられ、寺院の元に神社が建てられたが、それは従来の神祇信仰を圧迫する事なく神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合う形となった。

【大乗密教による系列化】
これらの神宮寺は雑密系の経典を中心とし、地域の豪族層の支援を受けて確立しようとしていたが、一方でこの事態は豪族層の神祇信仰離れを促進し、神祇信仰の初穂儀礼に由来すると見られている租の徴収や神祇信仰を通じた国家への求心力の低下が懸念されることとなった。一方で律令制の変質に伴い、大寺社が所領拡大を図る動きが始まり、地方の神宮寺も対抗上、大寺院の別院として認められることを望むようになってきた。

朝廷側も、国家鎮護の大寺院の系列とすることで諸国の神宮寺に対する求心力を維持できることから、これを推進したが、神祇信仰と習合しやすい呪術的要素を持ちながら国家護持や普遍性・抽象性を備えた教説を整えた中央の大寺院として諸国神宮寺の心を捉えたのが空海の伝えた真言宗であった。一方でこのような要望を取り入れるべく天台宗においても、円仁や円珍による密教受容が進んだ。

この一方で、奈良時代から発達してきた修験道も、両宗の密教の影響を強く受け、独自の発達を遂げることとなった。

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本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

【概要】
本地とは、本来の境地やあり方のことで、垂迹とは、迹(あと)を垂れるという意味で、神仏が現れることを言う。究極の本地は、宇宙の真理そのものである法身であるとし、これを本地法身(ほんちほっしん)という。また権現の権とは「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が神の形を取って仮に現れたことを示す。

本地という思想は、仏教が各地で布教されるに、その土地で様々な土着的な宗教を包摂する、という性格をもっていることに起因する。それを表すように、仏教の天部の神々のほとんどはインドのヒンドゥー教を由来とする。またその思想概念は、後期大乗仏教で、本地仏大日如来の化身が、不動明王など加持身であるという概念を生むことになった。

これに対し、垂迹という思想は、中国の『荘子』天運における迹(教化の迹)や、所以迹(教化を成立させている道=どう)に由来し、西晋の郭象(かくしょう)がこれを註釈した『荘子注』で、これを聖王(内聖外王)の説明において展開させ、“迹”を王者としての統治・主導とし、“所以迹”を本質的な聖人として引用した。

そして、これを仏教に取り入れたのが後秦代の僧肇で、その始まりである。僧肇は『注維摩詰経』で、魏の王弼(おうひつ)などが用いた“本末”の思想を引用し、“所以迹”を“本”と言い換えて、“本”を菩薩の不可思議なる解脱(悟りの内容)とし、“迹”を菩薩が衆生を教化するために示現した方便という意味で使用した。

日本では、仏教公伝により、奈良時代の物部氏と蘇我氏の対立を見るまでもなく、相互には隔たりがあった。しかし次第にその隔たりがなくなり、仏教側の解釈では、神は迷える衆生の一種で天部の神々と同じであるとし、神を仏の境涯に引き上げようとして納経や度僧が行われたり、仏法の功徳を廻向されて神の身を離脱することが神託に謳われたりした。

しかし7世紀後半の天武期において、天皇を中心とする国造りが整備されるに伴い、その氏神であった天照大神を頂点として、それら国造りに重用された神々が民族神へと高められ、仏教側からもその神々に敬意を表して格付けを上げるようになった。実際には、仏の説いた法を味わって仏法を守護する護法善神の仲間であるという解釈により、奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に菩薩号を付すまでに至った。民族神の代表格である八幡神が八幡大菩薩などはその典型的な例である。

しかしながら、代表的な神でない死霊などの小規模な民族神は、この本地垂迹説を用いずに区別した。これはたとえば、権化神(権社神)に対して、実類神(実社神)などがそうである。このため、仏教側では権化神には敬意を表してもよいが、実類神は信奉してはならないという戒めも一部に制定された。これは仏教の一線を守るというあらわれであったと考えられる。この本地垂迹説により、権現造りや本地垂迹の図画なども生まれ、鎌倉中末期には文学でも本地物(ほんじもの)と呼ばれる作品が創作された。

【反本地垂迹説】
鎌倉時代中期になると、逆に仏が神の権化で、神が主で仏が従うと考える神本仏迹説も現れた。仏教優位に不満を持っていた神道側が仏教から独立しようという考えから起こったものである。伊勢外宮の神官である渡会(わたらい)氏は、神話・神事の整理や再編集により、『神道五部書』を作成、伊勢渡会神道の基盤を作った。

また、現実を肯定する本覚思想を持つ天台宗の教義を流用し、神道の理論化が試みられ、さらに空海に化託した数種類の理論書も再編され、渡会行忠・家行により、それらが体系づけられた。南北朝時代から室町時代には、反本地垂迹説がますます主張され、天台宗の側からもこれに同調する者が現れた。慈遍は『旧事本紀玄義』や『豊葦原神風和記』を著して神道に改宗し、良遍は『神代巻私見聞』や『天地麗気記聞書』を著し、この説を支持した。吉田兼倶は、これらを受けて『唯一神道名法要集』を著して、この説を大成させた。しかし鎌倉期の新仏教はこれまで通り、本地垂迹説を支持した。

【垂迹神と本地仏】
神の正体とされる仏のことを本地仏という。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって違っている。日本の神の仏号は菩薩が多く、八幡大菩薩は阿弥陀如来であるなど本地仏の仏号と相違することもある。

垂迹神と本地仏の一例を以下に示す。

天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩
八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇
熊野権現 = 阿弥陀如来
日吉 = 天照大神 = 大日如来
市杵島姫 = 弁才天
愛宕権現 = 秋葉権現 = 地蔵菩薩
素盞鳴 = 牛頭天王
大国主 = 大黒天
東照大権現(徳川家康) = 薬師如来
松尾 = 薬師如来

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山王神道(さんのうしんとう)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天台宗の総本山である比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である。狭義には、江戸時代の天海より以前のものを山王神道という。

最澄が入唐して天台教学を学んだ天台山国清寺では、周の霊王の王子晋が神格化された道教の地主山王元弼真君が鎮守神として祀られていた。唐から帰国した最澄は、天台山国清寺に倣って比叡山延暦寺の地主神として日吉山王権現を祀った。音羽山の支峰である牛尾山は、古くは主穂(うしお)山と称し、家の主が神々に初穂を供える山として信仰され[1]、日枝山(比叡山)の山岳信仰の発祥となった。また、古事記には「大山咋神。亦の名を山末之大主神。此の神、近淡海国(近江国)の日枝山に座す。また葛野の松尾に座す。」との記載があり、さらには三輪山を神体とする大神神社から大己貴神の和魂とされる大物主神が日枝山(比叡山)に勧請された。日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合したのが山王神道である。山王権現(日吉大宮権現)は釈迦の垂迹であるとされ、神仏分離では大山咋神とされた。また、「山」の字も「王」の字も、三本の線と、それを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。

【山王一実神道】
徳川家康につかえていた江戸時代の僧・天海は、家康の歿後、山王神道説を発展させた山王一実神道(さんのういちじつしんとう)を唱え、山王一実神道に従って家康の霊を権現(東照大権現)の神号で祀るよう主張した。山王一実神道では、山王権現とは大日如来であり、天照大神であると説いた。これには伊勢神道の影響も見られる。

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法華神道(ほっけしんとう)とは法華経の開会の思想に基づく日本の神々への信仰をいう。

【概要】
信仰の中心は三十番神。日蓮の弟子の日像はこれを日蓮宗・法華宗に取り入れ、室町時代には教団に広く浸透した。道場の祭壇または社殿に守護神として祭られた。祭壇祭式は天台宗の日吉神社祭祀の先例に従ったが、天台宗のように専門の神職を置くことはなく、勧請などの儀式も宗徒が行った。 鬼子母神・十羅刹女とともに法華守護の善神として尊重されたが、明治の神仏分離により衰退した。また、最澄(伝教大師)が比叡山に初めて祀ったという説もある。

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三十番神(さんじゅうばんしん)は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことである。太陰太陽暦では月の日数は29日か30日である。

最澄(伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗(法華神道)で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。これは、京都に日蓮宗を布教しようとした日像が、布教のために比叡山の三十番神を取り入れたためである。また、吉田神道も天台宗・日蓮宗とは別の三十番神として「天地擁護の三十番神」「王城守護の三十番神」「吾国守護の三十番神」などを唱えた。吉田兼倶は三十番神信仰が吉田神道から発すると主張した。1868年、神仏分離のため、明治政府によって配祠を禁じられた。

以下は、日蓮宗の良正が『神祇正宗』などで唱えた三十番神である。

日 神名 本地仏 現在の名称
1 熱田大明神 大日如来 熱田神宮
2 諏訪大明神 普賢菩薩 諏訪大社
3 広田大明神 勢至菩薩 広田神社
4 気比大明神 大日如来 気比神宮
5 気多大明神 阿弥陀如来 気多大社
6 鹿島大明神 十一面観音 鹿島神宮
7 北野大明神 十一面観音 北野天満宮
8 江文大明神 弁才天 都久夫須麻神社・宝厳寺
9 貴船大明神 不動明王 貴船神社
10 天照皇太神 大日如来 伊勢神宮内宮
11 八幡大菩薩 阿弥陀如来 石清水八幡宮
12 加茂大明神 聖観音 賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)
13 松尾大明神 毘婆尸仏 松尾大社
14 大原大明神 薬師如来 大原野神社
15 春日大明神 釈迦如来 春日大社
16 平野大明神 聖観音 平野神社
17 大比叡権現 釈迦如来 日吉大社西本宮
18 小比叡権現 薬師如来 日吉大社東本宮
19 聖真子権現 阿弥陀如来 日吉大社宇佐宮
20 客人大明神 十一面観音 日吉大社白山姫神社
21 八王子権現 千手観音 日吉大社八王子社
22 稲荷大明神 如意輪観音 伏見稲荷大社
23 住吉大明神 聖観音 住吉大社
24 祇園大明神 薬師如来 八坂神社
25 赤山大明神 地蔵菩薩 赤山禅院
26 建部大明神 阿弥陀如来 建部大社
27 三上大明神 千手観音 御上神社
28 兵主大明神 不動明王 兵主大社
29 苗鹿大明神 阿弥陀如来 那波加神社
30 吉備大明神 虚空蔵菩薩 吉備津神社

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