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池子の森を守ろう!

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コミュ内全体

詳細 2016年10月9日 10:42更新

地球を愛と平和の星に

◆設立趣意
 神奈川県逗子市の東部、鎌倉市と横浜市金沢区
に接する池子の森の米軍住宅追加建設につき、市
長、市、県、国などにたいし、「NO!」の意志を伝
え、自然破壊や軍事施設拡張などにつながる計画
をSTOPさせることをめざします。

◆池子の森とは
 コナラ、クヌギ、イロハモミジなどの落葉
広葉樹林と、スダジイを主としてシイ、カシ
などを含む常緑広葉樹林などが広がっています。

 池子の森は戦前は海軍に接収されて弾薬庫が
造営され、その跡地として戦後は占領軍の接収
するところとなっていたため、森の部分は長い間
手つかずで、自然度の高い森となっています。

植物734種、哺乳類5種、鳥類87種、昆虫類807種
が確認されています。また、オジロワシ、オオタ
カ、ハヤブサ、ハチクマ、チョウゲンボウなどの
猛禽類も観察されています。(1982年横浜防衛施
設局:環境影響予測評価書の調べ)

さらに、地球の歴史を知る上でも貴重な資料とな
るシロウリ貝の化石は、440万年前に水深1,000m
の海底に群生していたものが約50万年前に地殻
変動により地上に現れたものです。
埋蔵文化財の発掘調査でも先土器、縄文時代から
現代まで地層ごとにきれいな層をなして出土品
が出ていることからも、縄文から明治までここに
人々の暮らしがあったと考えられます。

◆池子の森と人々

何百年も昔から続いていた何軒かの旧家をはじめ
地域住民が海軍から昭和12年に立ち退きを命じられ、
戦後は占領軍に接収され、昭和22年には弾薬庫の大
爆発、朝鮮戦争、ベトナム戦争時には、弾薬の出し入
れが行われ、弾薬を満載したトラックが通り、池子の
人たちは夜も眠れなかったという時代がありました。

その後に池子の弾薬庫跡地の返還運動が起こりま
したが、現在までに第一運動公園(昭和47年)と
久木中・小学校(昭和52年)が返還となりました。
これは池子の森の接収地288ha(万?)-うち逗子市域
が252ha(万?)-の8.63ha(8万6300?)にあたります。
 

◆新たな展開

池子の森約280haには、すでに98年に完成した米軍
住宅854戸(3300人)が約80ha(逗子市域)に建てられ
ています。
現在、さらに森の横浜市域側に、米軍施設の拡張
(軍人・軍属用住宅700戸+地下駐車場900台+本設
小学校+トンネル)を容認し、40haの緑地公園の有
償返還を得ようとしています。

◆今回の問題の発端

 2009年4月に国側は防衛省の担当者(南関東防衛
施設局長)が逗子市役所を訪れ、池子の森の横浜市
域側に米軍住宅を追加建設したいので理解と協力
をお願いしたいとの申し入れをしてきました。
その際、「返還」は建設への協力が前提であるとの
説明がありました。

一方、逗子市にはこれまで長い間、全面返還を訴
え、その要求が米軍住宅建設とは別個の問題だと強
調してきた歴史があります。
しかし、今回はこの点が大きく変わり始めています。
というのも、その後も防衛施設局長は何度か来庁し
ますが、池子の森の接収地内にある緑地公園用地や
西側運動施設などの一部返還の検討(7.10の回答、緑
地公園のみはすでに4.15に調整するとの回答)など、
具体的な用地や施設の名を挙げて、「建設と返還を
一括して解決したい(5.13の回答)」などの姿勢を国
側は示してきました。

わかりやすくいえば、「取引」です。
本当なら、「建設」で失うものの大きさを考えるなら、
「返還」を急ぐ必要はないといえます。

これにたいし、市側も在日米海軍司令官に緑地公園用地の
返還を求めた(4.16でこのときは現在米海軍が使用してい
るとの理由から断られた)り、緑地公園用地の返還に向け、
県知事の支援を依頼しています。ただし、一方で市はこの
時点でも、「返還と建設は別の問題」(5.13)として考えて
いることを伝えながら、「31年間にわたり返還がなく、国
は返還を実現すべきであり、それが話の前提である」(6.19)
という意思を国に示しています。

6.30に防衛施設局長が来庁して、緑地公園用地や西側運動
施設の自由使用を交換条件に、建設協力を求めてきましたが、
平井市長は、国の提示内容が市の要望してきた返還の一部に
すぎないとの理由から、受け入れられないと回答しました。

7.10には、在日米海軍司令官と南関東防衛施設局長と会談し、
市からの返還要望にたいし、建設協力があれば、緑地公園用
地と西側運動施設を含む西側の土地の一部返還を検討したい
との回答がありました。

こうしていつのまにか米軍側、国側の「取引」の協議の俎上に
平井逗子市長はのせられてしまっているのですが、

ここまでの段階では、いちばん大切な市民との対話というこ
とに関しては、ようやく7月になって、7.4と7.5の両日に、
初めて市内の四カ所、(7.4に小坪公民館と市役所、7.5に沼間
公民館と池子会館)で「池子の動き現状説明会」を開催したの
みです。

ところが、7.22に南関東防衛局長が来庁し、新たな提示をして
きます。
西側の一部の約40ヘクタールというこれまでに示されなかった
広大な土地の返還を条件に、建設協力を要請してきたのです。
平井市長は、慎重に考えて結論を出すということで、具体的な
イエスノーの返事はしていないということ、そして、国側に
提示した返還要求にたいし、どのような回答がもどってくるか
により、返答をきめるとの平井市長の考えが、このあと緊急に
開かれた7.28(市役所)、29(池子会館)両日の説明会で明らかに
なりました。

◆もう少しさかのぼると

 米軍住宅の建設計画が最初に逗子市にたいし示されたのは、
1982年のことでした。
 市民は市議会や市長と一丸となって反対しました。
 神奈川県もこれと歩調を合わせ、国と米軍側にたいし、NO
を唱えてきました。
 しかし、84年に当時の逗子市長の三島市長が、33項目の条
件つき受け入れ表明をしてしまいます。

 すると、すぐさま市民の力による三島市長リコール(解職請
求)が成立、冨野市長が誕生します。そして、条件付き承認を
白紙撤回し、もはや逗子市の問題にとどまることなく、全国
的なグリーンデモクラシーの運動に発展して、10万枚の意見
書が寄せられ、また海外の自然保護団体などへの呼びかけの
ために地元逗子市の市民運動家グループが渡米するなどして、
国際的な論議を呼び起こし、海外の新聞や雑誌にも紹介され、
逗子市を世界に知らしめることになりました。 

 ところが、こうした民意を無視するかのように、米海軍と
国は再三、米軍住宅の建設の容認を迫り、環境アセスメント
手続きを進めてきました。
 冨野市長は市民の信託を問う意味で自ら辞任して市長選挙
を行い、またも勝利しました。
 投票のたびに住宅建設反対の意思表示が多数を占めました。
 逗子市の不屈の粘り強い反対住民運動は、日本の民主主義
の成熟という課題に希望の光を与えるものであり、地方政治
の可能性が試される実験として、全国から注目を集めます。

 しかし、アセス手続きは進められ、建設準備が整ってゆき
ました。冨野市長が勇退したあと、94年に国と県と市との三
者合意で米軍住宅建設受け入れが行われます。
 そのとき、「追加建設はしない」との契約があったにもかか
わらず、2003年には追加建設申し入れが米軍からあり、2004年
には横浜市内の四つの基地(根岸、上瀬谷、深谷、富岡)の返還
を条件に、池子の森の横浜市域側に新たに700戸の住宅を増設す
る計画を容認するよう要請がありました。

 これはしかし、94年の「三者合意」の契約に違反するものです。
 逗子市側は、国を相手どって最高裁で争うはずだったのですが、
残念ながらこの計画は裁判を闘う予算は出せないなどの理由から
反対議員の阻止があって市議会で可決に到らず、実現しませんで
した。

 そして、当初は県と逗子市とともに四者で米軍住宅建設に反対
してきた横浜市は、池子の森の横浜市域側は山がちで崖も多いの
で宅地として開発するのには不向きだとする米軍側の見解をまと
もに受けて、もうそのエリアに建設はあり得ないと判断したこと
から、反対グループからおりてしまいました。

 そのことは、大いに禍根となったわけで、当時の横浜市(細郷
市長)の早計であり、政治判断ミスであるとの専門家(安田八十五
関東学院大学教授 環境政策が専門で池子問題を研究)の見方も
あります。

 先月、突然、横浜の中田市長が辞任し、次期市長にこの問題は
バトンタッチされますが、もともと池子の森の大部分は逗子市域
であって、国、米軍側も逗子市を無視しては、この計画を進めら
れません。(トンネルや施設建設に要するトラックなど交通面で
逗子市の協力が不可欠などの理由があります)

◆解決のマスターキー
 -誰がいちばんパワーをもっているのか?-

 肝心なのは、市民一人一人の意思を示すことです。

 私たちが、「私は一市民であり、無力である」「私のちっぽけな
意見や行動では、とても状況を変えるなんてことはできない」と
信じ込んでいる、その信念こそが、居心地の悪い現実をつくっている
ということに気づく必要があります。

 湘南鷹取台の自治会長さんが、去年九月から横須賀基地を母港と
して配備された原子力空母ジョージ・ワシントンの原子炉事故が
起きたときの危険性をよく調べ、地域住民だけでなく、他の自治体
にも呼びかけ、この活動が取材され報道されたときは、米軍側が
非常に気にして、記者にたいし情報を求めてきたそうです。
 つまり、権力がいちばん恐れているのは、じつは住民パワーであ
るということです。

 反対運動が、単に子どもの安全が心配されるとか、いろいろな迷
惑がかかることが嫌だとか、緑の財産を奪ってほしくないとかとい
う狭い私心や地域エゴからやみくもに住宅建設に反対するだけであ
るならば、それはそれだけのものとして扱われることでしょう。

 しかし、緑や動植物などのいのちと私たちが深いところでつなが
っていることを忘れて、地球を人間の手で傷つけることにたいする
いのちの悲痛な叫びや、米軍住宅の背後に空母があり、その背後に
はアフガニスタンやイラクはじめ戦争により、武力により、暴力に
より、殺傷され、人権を蹂躙された多くの市民、非人間的な行為を
強いられ、体や心に深い痛手を負って人生が狂わせられた米兵らが
いることを思って、基地を提供し、受け入れている国の国民として、
本当に責任をもってアメリカの軍事行動を見守り、個我を超えた高
い見地から各人が気持ちや意見を表明してゆくなら、その力という
のは、どんなに不可能と見えることをも、可能にしてゆくのだと思
います。

 ノーというのは、簡単です。ノーにもいろんなノーがあり、いろ
んなレベルがあります。真実に向き合った魂の底からの、ハートの
深いところからのノーであるなら、それはイエスと同じことです。

 なぜならば、そこには愛があるからです。

 愛あるノーは、必ず人間の心の奥深いところに届きます。

 そして、どんな巧妙な欺瞞であろうと、狡猾な理論武装であろう
と、厚顔無恥で汚れた欲念であろうと、邪(よこしま)なたくらみで
あろうと、そうした頑なな心に光を照射し、いつかはそれらを溶か
して、奥に眠る本来の人間としての良心を揺さぶり起こし、愛や叡
智といった神聖なるものを共鳴させ、蘇生させてゆくと信じています。


◆この問題の本質と普遍性

-逗子の問題だけじゃなく、日本全体の問題であり、世界と地球全
体の問題だっていうこと-

 池子問題は、環境問題であると同時に、基地問題です。
 
米軍住宅の背後には横須賀の原子力空母があり、その背後
には、イラクやアフガニスタンで亡くなった多くの子供や
無辜(むこ)の市民がいます。また、亡くなった米兵もいれば、
PTSD(心的外傷後ストレス症候群)で自殺したり、犯罪に走る
帰還兵もいます。
 
 そして、私たちは基地を提供する国の国民として、米軍の
行う軍事行動を常に監視する責任があるし、真実の情報を得
る必要もあると思います。
 
 日米安保条約があるから、守られているんだから、基地を
貸すのはしょうがない。そう考えて、アメリカの起こした戦争
がどんなものなのかということは、知らなくてよいのでしょうか。

 たとえば、2001年の911事件の真相を知らずして、それを
口実として始められた「対テロ」戦争の本質は理解できません。

 もし、アメリカが間違った行動をとっていたら、それにたい
し、NOということができます。

 日米安保で守ってもらっているから、アメリカが世界のどこ
かで何をしても関知しないし、たとえ知っていても、声をあげ
ることは封殺して、基地を貸し続けるしかないという考えとは、
チガイマス。

 基地問題の本質とは、何か?

 いまこそ、日本人は、基地問題といういちばん身近な問題を
あきらめたり、避けたりすることなく、今、こうした体験を与
えられている意味は何だろうかということを考えて、真実に忠
実に行動してゆくときに来ています。

嘘やごまかしのない本当の平和を創造するときではないでしょうか。

地元の逗子の人だけでなく、沖縄の人たち、岩国の人たち、座間
の人たちをはじめとして、同じ現実や困難と直面している人たち
ともつながってゆきたいです。

※書き込みの内容によっては、予告なく削除させていただくことも
ありますが、あらかじめご承知ください。

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開設日
2009年8月12日

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カテゴリ
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