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第2外人落下傘連隊

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コミュ内全体

詳細 2016年11月9日 00:33更新

第2外人落下傘連隊(2e régiment étranger de parachutistes:2e REP)は、コルシカ島カルビに駐屯する、第11空挺旅団(11eBP)隷下のフランス陸軍の空挺連隊である。

第2外人落下傘連隊は、フランス外人部隊の唯一の空挺部隊である。
外人部隊の中では精鋭中の精鋭として位置づけをされ、48時間以内に世界のどこへでも展開できる。
連隊内に編成されている潜入情報行動コマンドーグループ(GCP)という少数の特殊部隊が存在する。

隊員全員が空挺技術とヘリボーン技術を有しており、市街地戦、山岳・寒冷地戦、潜水、上陸戦、爆破、狙撃等、それぞれの専門分野を持つ戦闘中隊と業務、後方支援中隊など含め、合計9個中隊で構成される。第6中隊は予備役部隊として常設部隊ではない。



歴史

1948年7月から1949年11月に掛けて、インドシナ戦争で奇襲部隊を提供するために、3個の落下傘大隊が編制された。しかし、現地ゲリラとの戦いで、第1落下傘大隊(1er BEP)は全滅するなど、大きな損害を受けた(1er BEPは1950年に再編制された)。その後、第1落下傘大隊と第2落下傘大隊は、1954年に第一次インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦いに参加し、1953年11月20日、空挺降下でディエンビエンフー(現ベトナム北部)に潜入、占領した。その後、ベトミンの猛攻撃で大きな損害を被ったフランス軍守備部隊は、1954年5月7日に降伏する。

インドネシア戦争の後、第1、第2の落下傘大隊は再編制され、連隊規模に増強される。両連隊は、1955年にアルジェリアに派遣された(アルジェリア戦争)。1961年4月に第1落下傘連隊は、シャルル・ド・ゴール大統領の退陣を狙った将軍達の反乱に参加する。この反乱はすぐに鎮圧され、第1落下傘連隊は咎を受け解隊された。

第2外人落下傘連隊は1961年に大幅な再編成をうける。1962年12月10日、連隊は外人部隊総監ルフォール将軍(以前に連隊長に上番していた)から近代化構想を下達され、各中隊に専門特技を付与し即応部隊に生まれ変わるべく、カイヤール中佐の指揮の下で軽介入師団に編入、その後に第11落下傘師団(現在は第11落下傘旅団)の隷下となる。1967年にカルビに駐屯となる。1970年代には、チャドにおける対ゲリラ戦を実行し、1976年にはジブチ・ソマリア国境でのハイジャックされたバスから28人の子供を救出する作戦へ参加し、1978年にザイール(コルウェジ)で分離主義者の反乱軍から、約2000名の欧州人を救出するボニタ作戦にも従事した。現在も、世界各地で平和維持活動などに努めている。


2010年1月から7月までアフガニスタン北東部ウズビン州及びカピサ州においてISAF国際治安支援部隊のフランス陸軍タスクフォースALTORとしてタリバン掃討作戦に参加。
米軍特殊部隊や仏軍特殊部隊、ルーマニア軍特殊部隊による強襲作戦のための作戦地域の包囲、安全化などの支援任務などにも参加 。

6か月の派遣期間中、大隊で合計すると109回の戦闘となった。
戦闘ではAK47小銃、PKM機関銃、RPG対戦車ロケット、中国製の107mmの地対地ロケット、ロシア製の82mm迫撃砲、IED(仕掛け爆弾)などの攻撃を受け、最終的に3名の戦死と19名に負傷者を出した。

戦果は確認されている確実な数だけでタリバン兵を39名殺害し、44名を負傷させた。確認できないものも多く、実際はそれ以上の戦果があった。

編成

連隊本部
後方支援中隊 CCL  
業務中隊 CAS
偵察支援中隊 CEA
第1中隊 - 市街戦
第2中隊 - 山岳戦
第3中隊 - 潜水及び上陸戦
第4中隊 - 狙撃及び爆破破壊
第5中隊 - 整備、落下傘梱包
第6中隊 - 予備役

第2外人落下傘連隊は、連隊本部、4個の戦闘歩兵中隊(第1中隊、第2中隊、第3中隊、第4中隊)と第5中隊(整備)、第6中隊(予備役)、偵察支援中隊、後方支援中隊、業務中隊で編制される。

4個の戦闘歩兵中隊には、それぞれの専門分野があり、市街戦は第1中隊が担当し、山岳戦や極地戦は第2中隊の役目で、第3中隊は海からの上陸戦を行い、破壊工作や狙撃などは第4中隊が担当する。

偵察支援中隊は偵察、対戦車、長距離大口径狙撃、空挺コマンド部隊(GCP)で基本的に連隊の先遣部隊として少数で敵地に先行し潜入し、偵察、監視が主要任務となる。空挺コマンド小隊は連隊長直轄となり特殊作戦や目標発見や極秘任務などに投入される。


戦歴

1948年:第1と第2外人落下傘大隊が編成される。インドシナ戦争に参加(〜1954年まで)
1954年:アルジェリア戦争に参加(〜1962年まで)
1961年:将軍達の反乱の際、連隊長ダミュゼ大佐の優柔不断な態度により決起に参加せず、決起に参加した第1外人落下傘連隊は解隊される
1967年 コルシカ島カルビに駐屯する
1969年:チャド介入
1976年:ジブチのロヨダにおける白人人質解放作戦に参加
1978年:ザイール、Kolweziに緊急派遣。白人人質解放作戦(ボニタ作戦)に参加
1979年:チャド介入
1982年:レバノンに派遣
1983年:チャド介入
1989年:ガボンに派遣
1991年:湾岸戦争に参加(GCPのみ)
1992年:UNTACPKOに参加
1993年:ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に派遣
1994年:ルワンダに派遣
1996年:マケドニア共和国に派遣
2001年:コソボ紛争に派遣
2002年、2004年、2006年:コートジボワールに派遣
2007年:チャド共和国に派遣
2010年:アフガニスタンに派遣。アフガニスタン北東部ウズビン州及びカピサ州においてISAF国際治安支援部隊のフランス陸軍タスクフォースALTORとしてタリバン掃討作戦に参加

その他ジブチ共和国、ガボン共和国、ニューカレドニア、ギアナ等に各中隊は定期的に海外派遣を行う

2011年7月:第2次アフガニスタン派遣に出発予定
アフガニスタン東北部カピサ州にあるFOBウトニック(旧COP46)に駐屯予定


訓練課程

隊員は全員、外人部隊の基礎訓練課程修了後、第2外人落下傘連隊の空挺教育隊にて約3週間の基本降下課程を受け、最低6回の降下を行う。
初降下は非武装単独降下、2回目は非武装の連続降下で空中で予備傘を実際に開傘させる、4回目以降から武装降下となる。
教育終了後、空挺記章授与式があり、その後各中隊に配属される。

各中隊に配属されると歩兵科軽火器課程を修了し、各中隊ごとの中隊専門教育を受け、そして戦闘専門課程(選抜射手課程、ミラン対戦車ミサイル課程、81mm迫撃砲課程など)と戦闘以外の専門技能(医療衛生、車両整備、通信など)の教育課程を受け、さらにジブチやガボン、ニューカレドニアなどの海外派遣を通じて砂漠戦やジャングル戦の3週間のコマンドー課程を受ける事が出来る。



このコミュニティは第2外人落下傘連隊、外人部隊その他の連隊の現役や出身者、またこの世界に興味のある方の交流の場です
本気でこの世界に入りたい人は歓迎します

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2009年7月9日

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